ここで クイズなどしながら楽しくすごしてまいりましょう

 ゆっくり寝て5時半に起床、入浴後、オープンと同時の6時30分に朝食バイキングへ。サラダを中心に幾つかのお皿を組み立てたのですが、本丸だったはずのポテサラ(冷菜)は見当たらず。昨日尋ねた給仕の方は毎日あると教えて下さったのですがどうやら勘違いだった様子。明日のチャレンジに持ち越し。本日は、そういう些細なミスやトラブルなどは一切気にならない上機嫌な一日。何しろ、オツカル様と半日デートなのです。
 午前中、先ずは五反田駅前のネカフェで2時間程書き物を。その後、電車で神保町へ移動して古本屋数店を回りました。文庫・新書を中心に数冊をゲット。個人的には、単行本しか所有しておらずいつか見つけたらと思っていた清岡卓行『手の変幻』(講談社文芸文庫)と出会えたのは嬉しかったです。あと、以前持ってて見当たらなくなってた(若しかしたら卒業生にプレゼントしたのかも)渡辺一夫『人間模索』(講談社学術文庫)も。ネカフェの後で古本屋巡りですから、観光というよりは東京に住んでいた頃の(大学時代の)日常生活を再現しているような感覚。当時は学生という身分で、本を読む・人と喋る・酒を飲む、という3つを只管に繰り返す毎日でした。今は、教員という身分で、本を読む・人と喋る・酒を飲む、という3つを只管に繰り返す毎日です。一昨日のエントリに20歳の時から精神年齢が変わっていないと書いたんですけれども、そらそうだという話で。ただ、岩波神保町ビル入口の壁に大きく張り出された「岩波ホール閉館のお知らせ」は淋しい。時は移り変わっています。

 お昼過ぎに中野駅で待ち合わせてオツカル様と合流。嘗て、駅そばの雑居ビルの中で塾講師のバイトをしていたことがあり、駅自体は何度も通ったのですが、駅周辺で遊んだことは一切無く、数年前の『孤独のグルメ』に映った中野ブロードウェイに立ち寄ったことがない……という話をしたら、オツカル様が案内して下さることに。
 商店街のどん詰まりにある複合ビル、時計屋とサブカル屋(というか「まんだらけ」)に侵食された通りを、特にどこの店に入る訳でもないままだらだらと歩いた後、最下層の食品売り場の中で売られているクソでかソフトクリームを見る(買わない)、というコース。シャッターがおりている店舗が多かったのは空き店舗なのか水曜日という曜日のせいなのか。「まんだらけ」はビル内に数店舗が点在、それぞれが専門のコーナーに分かれている感じですかね。或る店舗の入口ディスプレイにはどこから流出したのかTVアニメのセル画が陳列されていました。その中に『サザエさん』のタラちゃんがあってこれは一瞬買おうかなという気分になりました。序でにオツカル様に尋ねます。
 私「最近、『サザエさん』観た?」
 オ「いや、全然」
 私「あのね、近いうちに必ず観て。ちょっと前に偶然観たんだけど愕然とした。タラちゃんが限界。多分、もう直ぐ聞けなくなるから」
 オ「そんなに?」
 私「花沢さんも厳しいけれど、とにかくタラちゃん」

 中野駅で待ち合わせたのは夕食が中野だから。その前にたっぷり3時間のカラオケを、DAMが良いというオツカル様のリクエストに応えられる店舗ということで「まねきねこ」にて。会えない時間に溜めまくった「新ネタ」を大放出、「一度歌った曲は二度と歌わない」「一日に同一アーティストの曲を2曲歌わない」、二つの約束を金科玉条として10年、もう直ぐリストは500曲です。本日の曲目、以下。
 オ①Bialystocks「灯台」(2022年)
 池①関ジャニ∞「NOROSHI」(2016年)
 オツカル様が最近の一推しと披露した曲、私は全く知らず。ボーカルは映画監督と聞いても「??」となるばかりです。ただ、曲は(歌詞も)格好良かった。オツカル様のアンテナに恐れ入るばかりですね(「すぽてぃふぁい」ってやつなんでしょうか)。私は俄エイターの若作り歌唱。風上にも置けないと言われるかも知れませんが、歌詞の「ら抜き」部分は勝手に変えて歌いました。
 オ②モーモールルギャバン「7秒」(2018年)
 池②中島みゆき「倶に」(2022年)
 最初にタイトルを観たときは本当に「7秒」で終わるのかと思いました(そういう巫山戯たことをしそうなバンドというイメージがありますし、何しろオツカル様ですし)がそうではなかった。私は中島みゆきの新曲、あまりに中島みゆきっぽくて別人によるパロディを疑いたくなる、という意見がオツカル様と一致。
 オ③崎山蒼志「覚えていたのに」(2022年)
 池③折坂悠太「星屑」(2021年)
 崎山・折坂両氏は対バンでツアーをした関係。この「覚えていたのに」という曲のぶっ飛び具合に、聴いたことがないまま勝手に「平川地一丁目」みたいな人だと思い込んでいた自分を深く反省しました。いや、滅茶苦茶格好良いっす。
 オ④町あかり「もぐらたたきのような人」(2015年)
 池④松任谷由実「深海の街」(2020年)
 オツカル様の曲は石野卓球が絶賛したものなのだとか。オツカル様の歌い方のせいかも知れませんが……私「これ、浜ちゃんが歌ったら合いそうじゃない?」 オ「分かる」
 オ⑤稲垣潤一「ジンで朝まで」(1982年)
 池⑤イルカ「いつか見る虹~"モルダウ"から~」(2008年)
 稲垣潤一の「クリキャロ」以前はオツカル様の十八番、「日暮山」は1stシングルのB面曲、そして「ジンで朝まで」は2ndシングルのB面曲。私は21世紀のイルカさん、『みんなのうた』から引っ張りました。
 オ⑥楠瀬誠志郎「ほっとけないよ〈Album Version〉」(1991年)
 池⑥米津玄師「パプリカ」(2020年)
 90年前後の男性ソロボーカル曲もオツカル様のカラオケ箱の中にたくさん。私は6曲連続で21世紀の曲(私にとっては最新曲)を歌ってもう弾がありません。
 オ⑦Fes☆TIVE「しゃかりきトップランナー!」(2020年)
 池⑦並木路子「リンゴの唄」(1945年)
 アイドルのお祭りソング、2020年に東京オリンピックを意識して発表したらコロナで延期になったという「曰く付き」の曲らしく。私は前の曲から人の一生分くらいの年月(75年)を遡りました。
 オ⑧CHAGE&ASKA「明け方の君」(1991年)
 池⑧フレデリック「YONA YONA DANCE(フレデリズムVer.)」(2022年)
 そう言えば、今年とれとれの新ネタがまだあったんでした。前の曲から再び人の一生分くらい時計を進めてフレデリズム。オ「前回のカラオケで歌ったのは?」 私「和田アキ子バージョン」 オ「今回が」 私「セルフカバー。聴いたことはないんだけど、多分本家の方が線が細いはず」
 オ⑨Mr.Childrenyouthful days」(2001年)
 池⑨湯原昌幸「雨のバラード」(1971年)
 ここから私は懐メロのゾーンに入ってほとんどヒトカラトランス状態、オツカル様の前で歌ったことが無い大名曲4曲(⑨~⑫)を絶対に歌うと決め、態々Twitterの「下書き」にメモまでしてきました。ミスチルは画面にPVが映ったんですが、余りにもグロい映像でちょっと引きました。
 オ⑩松平健マツケンマハラジャ」(2011年)
 池⑩いしだあゆみ「太陽は泣いている」(1968年)
 私は「金科玉条」なんですが(涙の操です)、オツカル様は融通無碍に決まりを軽くスルーすることも(そういう所も好印象)。様の「マツケンマハラジャ」は多分年1回くらい聴いてると思います。私はいしだあゆみを、キーを2つ下げて。完全に一人浸りなんで、この間にオツカル様にはドリンクの追加に行って戴きました。
 オ⑪MyDearDarlin'「青の君」(2020年)
 池⑪新沼謙治津軽恋女」(1987年)
 BSで長峰由紀関根勤とが司会をしている『昭和歌謡ベストテンDX』を毎週録画して、残したい曲だけ編集しているのですが、新沼謙治津軽恋女」はそれを観ながら覚えた1曲。3番まであって而もサビを最後に1回繰り返す。何回「雪」って言ったんだろう。オツカル様は、Twitterをフォローしている63回生Eくんが「本当に仕事しているんですか?」と心配するくらい、始終アイドル・お笑い芸人のイベントに足を運んでおられます。推し活は素晴らしい(私がオツカル様のことを考えたり実際にお会いしたりするのも「推し活」です)。
 オ⑫SING LIKE TALKING「My Desire~冬を越えて~」(1992年)
 池⑫伊藤咲子「木枯しの二人」(1974年)
 懐メロ大名曲の〆は伊藤咲子、これもキーを2つ下げて。
 オ⑬たま「あるびの」(1996年)
 池⑬武田鉄矢一座「夢の人」(1994年)
 オツカル様はたまの熱狂的な(?)ファン。私は、『ドラえもん』の(21世紀になる前の)映画の主題歌に関しては、熱狂的なとまでは行かないけれども大概なファンだと自認しています。
 オ⑭中西圭三 Featuring 米倉利紀「非情階段」(1994年)
 池⑭布施明「今夜は気取って」(1978年)
 来年2月のライブが今から楽しみな布施明ペンネームを使った自作曲。情けない男の歌ですけれども、歌唱力張り上げ系の、歌っていてノレる曲だと最近気づきました。オツカル様は90年代男性ソロ箱から1曲。二人とも、声には段々疲れが見えます。
 オ⑮鬼束ちひろ「Cage」(2000年)
 池⑮研ナオコ「ワルツ」(1995年)
 黙ってても毎年がっぽり印税が入る高橋ジョージが提供した、研ナオコ90年代のソロシングル。私は密かに名曲だと思っています(以前、自宅近くのスナックで歌ったら知らないお客さんに「良い曲だねぇ」と沁沁言われました)。オツカル様、その高橋ジョージの名前をご覧になった瞬間に、「まともに聴いたことは一回もないけど、アラフォーなら歌えるはず」と、次の曲を……。
 オ⑯THE 虎舞竜「ロード~第二章」(1994年)
 池⑯元ちとせ「君ヲ想フ」(2002年)
 私「あぁ、僕も確かに歌えるわ、これ。『CDTV』でほんの一部を観たくらいしか経験無いはずなのに」  オ「でしょ? 多分、第三章も歌えるんじゃないかな」 私「かすかに覚えてるよ。『君のぶんまで生きよ~♪』ってフレーズがあった」 アラフォーなら共感してくれるやり取りだと思います。鬼束ちひろ元ちとせも、もうふた昔前ですか。さて、そろそろお開きの時間です。ふるさともおまつりもふた昔、と歌ったのは井上陽水で、私が二人のカラオケで必ず最後に歌う(歌わされる)のはその井上陽水の「夕立」なのでした。
 池⑰井上陽水「夕立」(1974年)

 オツカル様との夕飲みは、中野の中華料理「蔡菜食堂」。もともと人気の町中華が『孤独のグルメ』で聖地化したお店。ドラマ直後に56回生「いつメン」と訪問して以来、数年ぶりの再訪です。17時台の予約入店でしたが私たち2人でそう広くない店内は満席、その後に次々と訪れるお客さんは全て断られていました。ドラマでは市毛良枝が演じていた女性店員さんから先ず勧められるのは黒酢ソースのスペアリブ、注文後に秒で(1分以内で)出てきたお店の「お約束」です。美味。その後は、一皿でビール3本はいけそうなおつまみ盛り、後は麻婆豆腐に水餃子、ボードメニューの百合根チップス。〆は焼きそば。オツカル様に配慮して野菜の割合は少なめになる(私にしては少々「腕白」な)注文。紹興酒は瓶で注文して余ったのを持ち帰って良いというシステム(オツカル様に引き取って戴きました)。

 中野駅からバスで要町に移動。オツカル様とのデートの最後(二次会)は、最近話題の(私のTLだけではなくて、割と広く話題になってますよね?)クイズバー「スアール」。池袋駅西口から徒歩圏内の雑居ビルの中に、全ての座席に本格的な早押しボタンが設置されたバーがあるのです。お酒を飲みながら誰でも気軽に早押しクイズが出来る。オツカル様はTQCのメンバーなので、クイズに抵抗はありません。
 Lの字カウンター、テーブル席、で20人程度が入るのかな。お店の一角に問い読みブース(マイク・スクリーン等)があり、問読みとバーテンとを兼ねる店員さん(年若い女性)2人がクイズ企画を進行したりお酒を作ったりと忙しそう。私とオツカル様はカウンター席のいちばん端。最初に渡された名札には「いけもと」と平仮名で。
 先程の中華同様、ここも私たち2人が入ったら満席になりました。特別に何の説明もないまま、早押しクイズ・多答クイズ・イントロクイズ……と色々なクイズが流れていきます。お酒は多少高めの値段設定でしたが、遊びながらだからそうクイクイと飲み進める人は居ない、という設定なのでしょう。私はビールを2杯だけ。企画はシンプルなものばかりで、恐らく今夜はクイズを趣味とする(強火の)客は居ないということなのでしょう。我々の隣の独り客(男性)は相当な常連さんらしく、お店のクイズは大体知ってる(要するにメチャメチャ強い)方でしたが(その方が、お店のシステムを色々と教えて下さいました)。
 終盤(閉店間際)、お店に私宛の電話がかかってきたと言われ、出てみたらお店の経営者だという方から「F校の池ノ都先生ですか?」と尋ねられました。高校クイズ研究会で私が顧問を務めた58回生のSくんのご友人だということ。名札は「いけもと」ですが、オンラインの予約時には本名で登録していたのです。狭い世界ですね。因みに、店員の女性2人は、私たちのだいぶ後輩に当たる(現役の)東大クイズ研のメンバーでした。

 そう言えば、「スアール」はお客さんが持ち込んだクイズを飛び入りで出題するのもOKでした。私より少し年上くらいの男性が流した30問程度は、お店の流儀に併せたオーソドックスなものが多かったですが、災害現場とバラエティ番組とのパラレルで「爪痕」という答えを導く問題はちょっとだけ変化球で、これは勿論私が取りました(私が答えなかったら、オツカル様が持って行かれたでしょう)。帰りにオツカル様がぽつり、「問題の持ち込みがOKなら、今度持っていこうかな」 お、再訪アリの感触なのね、んじゃ私も。
 ただ、後でオツカル様に書いた年賀状には「僕たちの問題は、多分『スアール』には合わないと思う」とコメント。

 はい、幸せな一日でした(日記の文字数が6000字に届こうかとしています)。ホテルに戻って(主に精神面において)健康的な入眠。