約束したじゃない 会いたい…

 高1の漢文の採点をしていていちばん驚いたのは、平均点高い、(自分なりの)勉強もしてる答案が多かった中で、最も得点率が低かった問題が漢字の(重要語の)読みだった、ということ。授業中は、前半に生徒がその日の文章を全て書き下す、後半に教員(私)が解説をする、という流れ。全員書き下しをしているんだから、漢字をひらがなにする付属語(「べからず」とか「ごとし」とか)は読める。けれども、自立語(「俄」とか「懼」とか「楚人」とか「所謂」とか「是以」とか)は漢字のまま書き写すだけだから解説を聞いてないと「読み」は分からない。で、授業中の解説では「問題を作る人間がこんなことを言うのはなんですけれども、この読みとこの読みとこの読みとは絶対に出題します!」と宣言するんですね。ところが、書けない。どんだけ授業が機能してないんだ、って話です。担当者の力量(聞かせる力)が低いのもそうだけれども(原因の8割)、勉強する側の(未知への、他者への)コミュニケーション欲求の少なさってのもあるとは思う(原因の2割)。もちろん、学年通信の講評は「点数はもっと下品にガシガシ取った方がいいですよ」程度の書き方をします。ただまあ、低レベルでも高レベルでも、「何が問われるのか?」に対する意識の高さが大切だと思うわけで。あなたに「問う」のは常に他者、自問自答だって、「問う自己」と「問われる自己」とへの二分があると考えるなら、やっぱり未知の他者からの問いかけだと考えた方が誠実でしょう。
 というわけで、本日の授業で(夏休み明けの)課題テストの本文を解説したんですけれども、「読みは絶対に聞きますからね!」とくどいほど繰り返す。さて、どれくらい浸透しているでしょうか?

 臼井儀人&UYスタジオ『新クレヨンしんちゃん(2)』読了、★★。前巻の印象は下ネタ抜きの初期作風(試運転?)、だったけれども今回は新キャラ双子を出してくるなど独自路線……吉凶は分かりませんが。
 藤田省三『全体主義の時代経験』読了、★★★★★。いつ読んでもその危機感と迫力に(乾き笑いがこぼれるほど)圧倒される文章。授業で「『安楽』への全体主義」を扱う時の資料は……あ、『ドラえもん』の「どくさいスイッチ」で決定ですね。

 藤田省三氏の言う「苦痛を避けて不愉快を回避しようとする自然な態度」「個別的な苦痛や不愉快に対してその場合その場合に応じてしっかり対決しようとする」態度、これ則ち野球に負け「ざんぱいだ」と怒り心頭のジャイアンにバットで殴られるという不快に対し、「そんなめにあわないように、さ、練習しよう」と言ったドラの態度ですね。そして、「私たちに少しでも不愉快な感情をおこさせたり苦痛の感覚を与えたりするものはすべて一掃してしまいたいとする絶えざる心の動き」則ち「『安楽』への全体主義」とは、「いや、問題はジャイアンなんだよ。あいつさえいなけりゃ…………」と返すのびの態度。「ふうん……。そんなふうに考えるの……」(←この時のドラえもんは後姿で描かれていて表情が見えません。試験では、藤田省三の本文の論理を使ってこの時のドラえもんの表情を推察せよ、とか聞いてみようかな)
 『小学四年生』に掲載された「どくさいスイッチ」16ページをB4プリント2枚にまとめて配布すれば、東大入試後期小論文に採用された難解な文章であっても、読む前から核は理解できます。「気に入らないからってつぎつぎに消していけば、キリのないことになるんだよ。わかった?」「うん、わかった」