すばらしい 音楽が 欲しいんだ

 圧倒的非日常、二日目。
 市民会館で、生徒と保護者の「内輪」の文化祭。この日に向けて、演者も裏方も全力投球の半年間だったんです。一気に解放してガン泣きしたら、後は受験勉強まっしぐら卒業まで日常性の維持、色々な意味で今日が最後の日。

 市民会館着7時。既に生徒は何人も。毎年毎年凄いのは、保護者席確保の行列がもう結構な長さになっていること。
 高3Aは相変わらずで、コーラスの舞台上でハンドクラップをするその手の高さや動きの大きさを当日朝にして決めていないという状態(そら優勝はないやろ、って感じですよね)。時に大袈裟すぎる動きでみんなを爆笑させつつ一応「これで行こう」という型を決めて、本番一発成功するかどうかに賭ける、という状態。まぁ、楽しけりゃいいか。

 職人こだわりのオープニングムービー(そらそうですよ、守おじさん渾身の力作です)、練習開始の初手からここにこぎ着けるまでに色々ありすぎた太鼓、等々。私は太鼓の途中で裏へ回り、講演の内田樹先生の控え室前警備の確認等。

 舞台では、こないだ熊本まで観劇に行き、何と全国大会を決めた演劇部公演「女子高生」熱演中。今年から共学化をした元女子校(F校の真逆ですね)、女子ばかりだった演劇部に今年入学した数少ない男子生徒の一人が入部してきて……というストーリー。男子部員全員が女子、唯一の女子部員が男子を演じる男女逆転劇。元々笑い所の多い劇ではあるんですが……。
 劇の途中で産休を取ることになった「中部あや先生(役名)」を妊娠させた相手が「「「「「池ノ都ーーーーーーっ!?」」」」」ってシーンでは会場が爆笑。控え室の内田先生がツイッターで「見たいなあ」と呟かれたほどです。
 このシーンの時、私は舞台裏にいたんですけど、市民会館のスタッフの方が「メチャクチャ受けましたね」「実際の先生を使ったんだな」と言い合ってた後ろから「私なんですけどね」と油すましみたいに声をかけたら二人ともビクッ! となさってました。

 さて、内田先生の講演ですが、私はその殆どを裏方にいたために観ることができませんでした(昨日の至福の時間だけで良とするしかないですね)。冒頭2分程は舞台袖からお聞きしたのですが、講演前に講演P(プロジェクト)長が「伊丹十三賞」を巧く言えなかったことを取り上げて、そこを話の導入に持っていく等、冒頭だけでも巧者の冴えが。
 今年の唯一のミスは、演劇終了と講演開始の間に休みを取らなかったこと(もしくは、休みがないことを放送告知しなかったこと)で、その為に演劇終了後に中学生と保護者が大挙して(会場を出て)トイレに並ぶ、という事態が発生。会場入口警備係が大混乱の中、生徒会担当の先生に講演P長が滅茶苦茶怒られてました(内田先生に失礼だということで)。これだけの規模のイベントになったら教員だって混乱するのは仕方ないのかな、講演P長に責任は(少なくとも原因責任は)無いに決まってます。
 担任「あのですね、こんなの君のせいなわけないでしょうが」
 P長「いや、僕が、悪いです」
 ってまぁ、好きでお呼びした先生に対して失礼だとか言われたらショックを受けるのは当たり前なわけで。でもって、実際結果責任はP長が引き受けないといけないので、後日内田先生にお詫びのメールをお送りしました(内田先生からの返信には、P長が大喜びする内容を付して、御寛大なお心がそのまま。内容は、生徒の名前が関係しているので書けませんが)。

 共学化したF校で学校祭の名前が「男く祭」のままなのはどうなのよ、と既に頭は次のステージに移っている人たちも多い中、我ら高3Aの「やまだち」「やまがつ」男子クラスは、憎し混クラ妬まし混クラ羨まし混クラと相手からは歯牙にも掛けられていないことなど百どころか万も億も承知で一方的にライバル心を燃やしてる究極対至高。勝ちたかったらもっともっと真面目に勉強、じゃない練習すりゃいいのに、っていうくらいコーラス委員泣かせ(練習中何度「聞いてよ!」「集まってよ!」と声を張り上げる様を見たことか。お前らは俺か、と委員には何度ツッコミたくなったことか)の「やまだち」「やまがつ」たちは、朝から腹痛状態でいきなりピンチの指揮者の指示にちゃんと従うのか!? 頼みの綱はあんただけやでピアニスター!(今年のピアノ演奏は、文化祭実行委員長も務める某氏)

 大団円で「男く祭」が幕を下ろし、市民会館前で生徒たち大号泣の中、私は同僚(高2担任)の車で学校に送ってもらいました。この後、高3は全員が学校に戻って清掃と学年集会とがあるのです。その準備。
 同「俺まだ高2やけど、コーラス大会の間はちょっとウルっときたもん。来年、泣くやろうなぁ」
 私「……あのね、ウチのクラスね、文化委員長がピアニストだったでしょ? あの人、僕がこの学年に中3から突然入った時に、最初に担任をしたクラスに居てね、……」
 八面六臂の某氏ですが、中3で担任をやってた時にクラス満場一致で体育大会ブロック長に選ばれた時も、当時別クラスだったある目立つ系の生徒が「某氏に怒られるのは怖い」と言った時も、高1で彼の担任を離れた後である朝呼び出されて学年の士気を纏める相談をされた時も、体育科ベテラン先生が「某氏が泣いたら皆泣く!」と文化委員長に太鼓判を押した時も、私はずっと「え~、某氏なの~?」と内心訝ってました。そういうことを頼まれそうなポテンシャルだってのは頭では分かるんですけど、例えば底抜けの明るさとか、或いは教員に対する不遜さ・図々しさとか、何かワンポイントがあったがいいんじゃないの? って思いがずっとありまして。要するに、静か過ぎない? って。
 蓋を開けてみれば、「男く祭」は大成功で号泣の幕引き、私だけが全然分かってなかったのです。
 でも、今日、「男く祭」当日という最後の日、A組合唱の舞台に私も立ち、最高の位置から某氏の運指を見ている内に、「あぁ、だからA組は、63回生はこの人について行ったのか」と某氏の牽引力がす~っと腑に落ちたのですね。曲は『鎮魂歌へのリクエスト』、舞台上で鎮めの打弦を響かせた某氏は、煽りと鎮めの両義を実践しつつ2年間を淡々と生きて来ていたのだ(そういう人間に人はついて行きます)、ということへの理解が指揮とピアノとで纏め上げられる体験の中で体の内に落ちてきた。よく見てたつもりで自分独りだけ全く見えてなかった担任が、それでも祭りが終わる直前、ギリギリで気づけて本当に良かった。音楽で涙が出そうなほど感動したのは生まれて初めてで、多分二度は無いと思います。

 さて、校舎内大掃除は、クラス別に階を分けて拭き掃除ゴシゴシ、を黙ってやれる「やまだち」「やまがつ」じゃねぇ、喋る歌う笑う。
 生徒A「いや~、池ノ都さん、中部先生を妊娠させてしまって」
 池ノ都「何と申しましょうか、中部氏に×××、とかね」
 生徒B「韻を踏んどる! 中部氏×××」
 生徒C「中部氏×××孕ませたっちゃん」
 自分から言い出しといてなんですけど、書いてて情けなくなったんで伏せ字にしますね。しかし私も抜けてて、「男く祭」が「男くさい」という方言との掛詞になってるように、「孕ませ/辰ちゃん」が「孕ませたっちゃん」という方言との掛詞になっていることに気づくまで2日間掛かって「男く祭」リスペクトが足りない、っつーか何を書いてるんだ私は。
 別の所では。
 生徒D「ねぇ、いきなり父親になって」
 池ノ都「大丈夫! 私、妻にも子どもにも全く愛情を感じていないので、持てる愛情と力は明日から受験勉強一途の皆さんに全て注ぎます!」

 学年集会では、冷静沈着を地でいく生徒会学園祭担当先生が珍しく熱く語っていたのが印象に残り。