心に一人のナンシーを

 出典・文脈を知らなくても分かる話。
 【「全ての事象は等しく自然的である」(傍線)とはどういうことか】という問に、「自然は~」と書いた答案はその3字を以て「ダメ」と判断します。他の部分でどんなに精緻な説明がなされていても「ダメ」です。理由は2つ。
 ①傍線部と解答とで主語が違う。
 ②傍線内の概念語を説明なしで使っている。
 今回は、②は主題ではないので省略。問題は①で、これが出来ない生徒が非常に多い。「どういうことか」と問われたら、傍線部と解答とで主語を一致させ、何「について」の問かということ(要するに話題)の理解を示す。メディアリテラシー欠如型のコミュ障は、病識が無いだけに治療が難しいのです。
 因みに、上記の設問を見て、出典・文脈が分かるのは、受験国語関連のお仕事の従事者、若しくは21世紀の東大生ですね。

 3時半起床、5時学校入り。3時間かけてテスト会(東大)の添削を終わらせる。これで、前期試験までの高3関係の仕事はほぼ終了したと思って良いですね。もの凄い解放感です。単発的に提出されるものについても、提出から数時間以内に返却できるペースになっています(明日、中3漢文の授業が4コマあるのでその間に若干溜まるでしょうが、その日のうちに何とか出来る範囲だと予想)。

 森銑三『傳記文學 初雁』読了、★★★★★。12月31日の日記にこの本のタイトルを書くことになるのは確実。
 タイトルと異なり、本文は全て新字体へと改められており読みやすくなっているのですが、その為なのか読み始めてから30ページくらいまでの間、私、本文が旧仮名遣いで書かれていることに全く気がつきませんでした。そのくらい自然に読ませるんです。1980年生まれの私は旧仮名遣いに馴染みのある人生は歩んでおらず、幾ら名文とは言え内田百閒の文章であってさえ「旧仮名はちょっと読みにくいよねぇ」と思う程なのに。
 ナンシー関『原寸大! 生ハンコ集』読了、★★★★★。この日記の想定読者(誰向けに書いてるか、ってことね)の平均年齢は35歳なんですけれども、それよりも随分若い方々もお読みになってるんですよね、多分。ですんで、たまにはとそのお若い方々に書くんですけれども、ナンシー関、文庫で買って読んでごらん。どれでも良いですから。