むかしむかし ちょっと昔 おんぼろお堂や古井戸に

 高3の英作文を添削しておられた英語ベテラン先生が「あっ!」と驚かれる。「通信機器今昔」がテーマの自由英作文で、「昔・携帯/今・スマホ」と例を挙げ2つの比較をネット環境の有無で上手に比較した答案があったのです。先生は「そういう時代なのかなぁ」としみじみのご様子で、普通ならもう少し大きなスパンで考えるんじゃないのかなぁ、と。コンピュータ担当の関西数学先生は「いや、その環境の有無は段違いの断絶だからその感覚は正しいと思う」というご意見。私はどちらかというと前者寄りで、「今昔比較」の「昔」は自分の生まれる前に置くスパンで物を考えた方が想像力が入って面白いかなぁ、という考え方。じゃないと、美空ひばり松任谷由実宇多田ヒカルとが同じ箱に入っちゃうんです。

 6時入りの職員室で授業準備は、09年東大現代文の出典、原研哉『白』の一節。F校が採用している教科書には載っていないので、原著から直接引っ張ってきました。
 ペンで紙に「書く」とはどういうことなのか、大学の二次試験が「今・スマホ」のインターネット時世にあくまで紙に書いて答案を提出させる形式に拘るのは何故なのか、を見事に論じて秀逸。これは、その年に受験生に解かせる問題として優れているのは勿論、これからの受験生に受験勉強を通じて何をやって欲しいと思っているのかという「書く勉強」の定義を示す文章でもあり、かつその実践指南でもあります。これを出した東大の「慧眼」を私は信じたい(事前の模試でこれを的中させた予備校の「嗅覚」も素晴らしかった)。
 朝8時のLL準備室で文系某さんに本文朗読を吹き込んで貰い(風邪で苦しそうでしたが頑張ってくれました)、これを使って本日は1・2・5・6・7限の5クラスで授業。採用教科書を教える「義務」から解放された、完全に「遊び」の言論としてのトーク(と板書)300分を走りきりました。

 合間の3限・4限・昼休みは小論文添削を依頼された生徒と面談したり、11月末の高2担任団一斉出張・年休の時の時間割変更を試作してみたり。現在時間割1年目(2年目があるかは知りません)の同窓同僚数学は「こんなの、2年やる仕事じゃない」と吐き捨てます。まぁ、彼は担任向きだから良いんですが、私にとっちゃこの時間割は30年やる仕事ですよ。毎日の時間割変更「15ゲーム」、やってるだけでアドレナリンが出てきます。これと国語の授業だけやってたら良いよ、なんて言われたらもう天国なんですけれども。

 夜は、近所の肉料理屋「I」にて読書独酌。この店、単品に飲み放題がつくだけでなく、(私が常連だからかも知れませんが)単品のハーフサイズまで作ってくれるようになって、私好みにカスタマイズされてるんじゃないかと若干申し訳なくなってくる程です(自意識過剰、趣味なんですさーせん)。

 29日に購入した漫画4冊は、1冊ずつではなくて1作1話ずつみたいな順番で読み進めています。明日あたり、一気に読み終わるかな。