ひねもす ひねもす 春の国

 コロナ禍以降こそ自炊(というか「日本酒チャレンジ」のための肴づくり)を始めましたが、長く外食オンリーの生活を続けていたので、飲み屋内限定の友達の中には結構な「輩(やから)系」の人も居たり(「元」の人も含みます)。20代の終わり、そんな「輩系」の一人であるTくんから「男の楽しみは酒・煙草・女だから、池ノ都は人生の1/3を損してる」と言われ、「僕、Tくんの3倍以上飲むじゃん?」と返して納得させたことがあります。
 大学時代の生活では「本を読む、文章を書く、誰かと喋る、クイズを作る、講義に出る、音楽を聴く、酒を飲む」の7つ以外のことをしませんでした。で、現在の生活はと省みれば、「本を読む、文章を書く、誰かと喋る、クイズ(入試模試定期)を作る、授業をする、音楽を聴く、酒を飲む」の7つしかしていません。学生机に座るか教壇に立つかという立場こそ変わったものの、それ以外はな~んにも変わってない、というか変えないように人生を設計したんですね。例えば、F校への就職を決めた理由、第一は国語科恩師先生とご一緒したいというものでしたが、それ以外の重要なものに「読書が仕事になる」「入試模試定期作成の形でクイズを続けられる」というのがありました(国語の問題作成はF校生だった時代から趣味でやってました)。就職時点でF校の給与体系に関しては一切知りませんでしたし、ぶっちゃけ今もよく分かっていません。
 月に10万円(年に120万円)までは書籍代と認めるという就職直後の基準は20年後の今も変わらず、本と音楽(舞台鑑賞含む)と以外に趣味は持たないようにしています。酒に集中するために、煙草(人生で一度も吸ったことがありません)その他の嗜好品はNGと決めて、飲酒運転の可能性をゼロにすべく免許も取らないことにしました。結果、F校への就職は中1の時から決めていて実際にその通りになりました(大学時代、所謂就活は一秒もやっていません)が、車がないために大学卒業後の住まいはF校から徒歩圏内の場所に限定されました。F校就職後、恩師先生を仰ぎながら仕事を覚えつつ、ここで(自分が自分に課したい働き方で)仕事に集中するなら家庭は持てないな、と早々に悟りました(恩師先生からは「30歳までに結婚しなさい、でなければ貴方は出来ない状況に立っています」と言われ全くその通りになりました)。母君のお手伝い・お見送り(義務)とコロナ禍以降の自炊(やむを得ず)とについては、趣味の読書及び睡眠の時間を削って何とかやりくりしました(しています)。
 要するに、公には仕事、私には酒、この2つに関してだけは基本的に全力で行きたいということ。母君をお見送りした前日も働きましたし飲みましたし、お見送りした当日も働きましたし(←授業・会議)飲みました(←学校訪問をなさった他校の先生方を接待するという仕事でした)。コロナで自宅蟄居の時も、毎日働きました(←時間割作業・高3現代文添削)し飲みました。仕事・酒の邪魔になるものを人生の中に取り入れない(及び、仕事の中に本とクイズとを溶けこませる)ことで、何とかキャパオーバーにならない(体力・精神力に多少の余裕を持った状態を保てる)生活を20年間続けられているという状況です。
 そのせいで、大学時代から全く精神年齢が変わってないんですけど。

 銀座百点編『おしゃべりな銀座』読了、★★★★。

 明日はF校会場で「男く祭」初日。ですので3限放課で午後は備品移動その他祭りの準備が行われます。本日は晴天ながら明日はほぼ100%の雨予報、ですので今日の時点で既に「雨バージョン」で開催されることが決まっています。
 生徒主導の「男く祭」は固より教員のコミットが少ないイベントではありますが、それでも高校担任団は何らかの形で(主に監督として)祭りに関わります。が、私は時間割係(学年所属無し)なので具体的な関与は一切なし。今年は体験授業の依頼も無かったので、行事に伴う時間割変更という仕事以外、祭りに関する仕事は何もありません(慰労会の幹事ってのは「仕事」じゃないですよねぇ)。

 夜は自炊(というか「日本酒チャレンジ」のための肴づくり)。ミニトマト胡麻和え~キャベツ酢漬け~きりざい~小鍋立て(湯豆腐)。