捨てた夢 駱駝が食べる 無駄なこと 何にも無いね

 昨日、副担任数学先生と、高3の授業がつくづく楽しいという話をしました。数学先生は基本的に高2~高3をず~っと回っておられ、これは私からしたら夢のような待遇です。大学入試の過去問を解いたり解説したりするのって本当に面白いですし、高3ともなれば生徒も本気で書いてくるから答案の読み応えもあって添削の甲斐があるし。勿論、中学の授業(F校では中1~中2)、高校の授業(中3~高2)もそれぞれの極意や楽しみがあるのでしょうが、個人的な嗜好(指向)ではもう絶対高3。
 最初に高3を担当したのは56回生(私27歳、若い!)で、この時には物量・内容ともに私のキャパを完全にオーバーしていたために無我夢中の空回り、国語科恩師先生の支えと生徒の我慢とで何とか崩壊を食い止めていたというのが実情でした。転機はその翌年。57回生高3の現代文は別の先生がご担当だったのですが、特講の日程の都合から京大現代文だけは別の教員が持たざるを得ない事態になり、ならば前年の資料が使える池ノ都がやれ、ということになったんですね。で、その京大志望者の力量が凄まじかった。20人にも満たない小さな集団ではありましたが、その知性の密度たるや。医学部に現役で合格した3人を中心に、毎回書いてくる答案書いてくる答案の精度と個性とは眩しいくらいで、添削以前に読んでるだけでこっちの頭を良くしてくれるんじゃないかというレベルの記述がどんどん出てくるんですね。私が担当した国語の範囲内で、あれより凄い集団はまだ見ていません(あれの次に凄かったのは、64回生の文系東大コースかな)。あの時の添削は高3現代文の授業を組み立てる(解答例を作る・板書を計画する・解説する・添削する)際のヒントや気づきをバンバン与えてくれました。
 その後、58回生で現代文、59~61回生で漢文、63回生で現代文と漢文と(←これ、今考えたら信じられない)、64回生で現代文、65・66回生で漢文、そして67回生で現代文、と都合11回高3の授業に携わって、面白くなかったことが1回もない。しかも、現代文でも漢文でも、毎年面白さの中身はそれぞれに異なっており飽きることがありません。2020年の大学入試改革でしたっけ、それがどんなものになるのかは知りませんが、それがどんなものになっても、各大学が必要とする学生像を確たる形でイメージしながら問題を作り続けるなら、それに応じて授業を組み立てF高生の力量がそれに応えるというやり取りがつまらないものになることは決してないでしょう。

 67回生A組文系某くんに「日常性の維持が楽しい、ってどういうことですか?」と聞かれました。楽しいに決まってます。「日常性」の中に好きなことしか詰め込んでないんですから。そして、毎日毎日毎月毎月毎年毎年同じことをしてて飽きないのは、同じことを繰り返しながら私自身が日々変わっているからです(成長しているのかも知れませんし、衰えているのかも知れませんし、そこのところは解りませんが)。何しろ、黙って待ってたら、向こうから面白い刺激(新しい入試問題、新しい生徒)が続々とやって来てくれるんです。自分より頭の良い人たちと遊ぶ毎日が楽しくない訳がないですね。受け身最高。その為だったら、「身を切る、身銭を切る、時間を使う」の3点セット(恩師先生の教え)なんて安いもんです。
 何度も書いていますが、私がF校の国語科教師になると決めたのは初めて恩師先生と出会った中1の時です。恩師先生の仰る「日常性の維持」は、確かに中高時代に貫くのは辛い(っつか、つまんない)ことです。今となったらあのカリキュラムは「上げ膳据え膳」のサービスだったと解りますが、中高時代には自分の嫌いな・興味の無い教科科目も(というかそういうものをこそ)「日常性」の中に取り込まないといけないというのは耐え難いことですから。私は寮生だったこともあり生活は正に「日常性の維持」を地で行くものでした。学校生活が就活なのだとはっきり意識していたかどうかは最早覚えていませんが、少なくとも学校からの「覚えめでたく」卒業しなければ就職できないという意識は持っていた私は、F校が要求する「日常性の維持」を割と忠実に守っていたと思います。そして守っていたからこそ、「この『日常性』の中に好きな物だけ詰め込んだら人生バラ色」だということだけは確信しており、大学で色んな物をつまみ食いした結果「中学・高校の現代文より面白いものはない」という結論に至った時には渾身のガッツポーズでした。視野狭窄やっほい、東大までの人バンザイ、って感じ。首尾良くF校国語科に滑り込んだら、恩師先生とお仕事をご一緒した7年間は神様からのプレゼント、それ以降はオマケです。
 本読んでもの書いて授業でくっちゃべって酒飲んで、寝る。これでおぜぜが戴けるなんて、一体世の中はどうなっているんでしょうか。他人事のように心配になってしまいます。いやいやそうは仰っても教員の仕事はお大変で池ノ都先生も色々なご苦労を背負ってお出でなんでしょう? とお優しい声をかけて下さる方もあるやも知れません。でもですね、水を張った筆洗にインク一滴落としても、最後はす~っと透明になっちゃうじゃないですか。もうね、国語の(特に高3の)授業が出来るって楽しみに比べたらですね、校門指導他つまんない雑務を強制されるとか、生徒に舐められる嫌われる批判される弄られるとか、保護者絡みのトラブルとか、まぁ序でに付け加えれば母君のお手伝いとか、そういうのはインク一滴です。

 午前中は、月一の緩和ケア訪問で、F校親玉大学病院のF先生のカウンセリング(?)を受けます。今回は、ちょっと前の救急搬送のことなどもあり、お話が少し長くなりました。昨日の日記に書いた通り、3月末からの上京については母君をご自宅に残してヘルパーさんの派遣に頼ってみようかと考えている旨もF先生にお伝えしました。カウンセリング(?)には、その派遣を担当して下さる方も(Kさんのご紹介で)臨席して下さいました。
 F先生にも、派遣担当の女性にも、母君は「良い息子さんですね」と言われて面映ゆい思いをなさっておいでのご様子。二人で暮らして食事を作るだけで「良い息子」なのかは私には解りかねます。例えば、お風呂にお付き合いすることを「介護」と書いてはいますがそれが本当に「介護」にあたるのかはよく解りません。どこまでやるのが普通なのか、他のご家庭の事情も全く知りません。
 私は、人にされたことを別の人にする、上から貰ったものを下に贈る、という方途でしか人生設計をしたことがありません。例えば、恩師先生がなさっていたお仕事がF校の、というか教師のデフォルトだと思っています。だから私は教師のデフォルトに未だ力及ばずの人間です。母君が仕事をしながら小学生だった私の食事を一から作っておられたのが家族のデフォルトだと思っています。だから、コンビニお惣菜屋行きつけ居酒屋Hさん卒業生保護者と外に頼りっきりの私はそのデフォルトに未だ力及ばずの人間です。そして、母君が中高の私を寮に入れ面倒を「外部委託」したように、いつか私も母君の面倒を「外部委託」しなければならなくなる日が来ることは弁えています。

 国公立大学(前期入試)の合格発表が昨日5日より始まっています。多くの大学が一斉に合格発表を始めるのは8日からなのですが、その前にぼちぼちと。B組は、5日・6日にそれぞれ合格者が出ました。幸先は良いのかな。願っているのは、41人のうちの半分以上が春から大学生になってくれることです。
 午後からの学校では後期の添削をずっと。仕事をしながら考えているのは、どうかこの後期添削が全くの無駄になりますように、という一点だけ。私は「無駄」という言葉を使うことを好みません(というか、嫌悪しています)が、唯一この後期添削をする時だけはその言葉を使うことを自分に許しています。