あたしおかあさんだから

 担任団だから、来年2月、67回生の二次試験の時には東大入試の応援に行くのです。担任団だから、24日の前日下見(F校卒の東大生に手伝ってもらって駒場・本郷の構内を案内)も引率するのです。担任団だから、25日・26日の入試本番の朝は門の前で応援するのです。担任団だから、24日夜の下見手伝い卒業生慰労会も、25日夜の引率団慰労会もプロデュースするのです。
 で、23日(下見前乗り)~26日(朝の応援後に帰福)の3泊4日の飛行機・ホテルの手配……をする前に、試しにですね、ダメ元でですね、中島みゆきさんの「夜会」(@赤坂)が26日夜に開催されるやつのですね、チケットのファンクラブ先行抽選に応募してみよっかなぁ、まぁ当たらないだろうけど~、ってやってみたんですよ。したら、まあ、見事に当選でしたわ。
 26日に帰福して、その夜から「日常性の維持」で仕事をするというのが筋なんですよ、担任団だから。でも、当選しちゃったから。あと何度開かれるか分からない「夜会」(今回が20回目)を観るという得難いチャンスだから。25・26日の入試を終えたその夜だという生徒を余所にみっちり3時間観劇感激するってのはどうよとという私の中の天使に猿ぐつわかませて、料金、払い込みます! 27日の朝の飛行機で帰るから! 帰ったら全力で仕事するから許してマジで大ファンなんです!

 1限が会議、2~6限が授業で、しかも6限は文系東大二次対策授業で添削34枚が出来。とてもお昼に自宅を往復する暇などなく、母君の昼食は朝の内から準備して冷蔵庫にプレートを。6限は50分(5分前に始めて5分後に終わって60分)で東大第四問を解かせて解説という形式なんですがこれが無理筋で、40分で生徒が解答するのも20分で私が解説するのも時間がきつきつ。今日は、6限の授業だけではとても間に合わなかったので、帰りのSHR終了(15時40分)の後、15分の延長戦を行いました(その後、16時から生徒は特講なのでもうバタバタでした)。

 17時に自宅に戻って入浴、母君に夕食とお茶とをお出ししたら18時。先程の東大文系の添削を25%終わらせたら18時30分。ここからが自分の時間というところでしょうか(まぁ、仕事中も割と好きなことばっかり書いてるし喋ってるんですけど)。今日は昨日の『脇役本』が面白かったので、こないだ西鉄K駅の古本屋台でワゴン投げ売りを拾った大村彦次郎の新書を読もう、と。本を読むとなったら「もりき」には行けないので、今夜は自宅近くの居酒屋「A」を選択。日替わりメニューにシイラのフライという珍しいのがあって、タルタルソースもいいなと思ったので注文。美味。

 21時就寝。

ふるほんに読むバイプレーヤーたち

 3時過ぎに起床、書斎で京大特講の添削・日記更新、の後で入浴。母君の朝食をお出しして、出勤は7時。
 始業前に板書計画や学級日誌等々デスクワーク。今週分の授業・特講で使うプリントの原稿を全て印刷室に回しました。8時半の職員朝礼からSHR。今日は授業が6限に1コマだけで、4限の時間(職員昼休み)に自宅を往復する以外は決まった予定はなく、このくらい余裕がないと出来できないとある仕事を一気に仕上げました(5時間の作業のうち4時間半くらいは推敲に使っています)。
 放課後は1時間の年休を取って帰宅、母君に夕食をお出ししてから入浴。まだまだ肉じゃがはストックがあります。その後、しばらくぶりに二日市「月空」に行って読書独酌(読了本が今のところ今年一、二を争う面白さ)。帰りの西鉄電車が人身事故でストップしていた(一時間は動かないと言われました)のでJRの二日市駅へ移動してからK市に戻りました。

 例えば矢野誠一『昭和の藝人千夜一夜』だったり、大村彦次郎荷風 百閒 夏彦がいた 昭和文人あの日この日』だったり、嵐山光三郎文人悪食』だったり、エピソードで人物を浮き彫りにするタイプの本が好きな(それも、一冊の中で紹介される人物が多ければ多いほどいい)んですけれども、その系譜に連なる凄まじい本を漸く読み終えました。濱田研吾『脇役本 増補文庫版』読了、★★★★★。「脇役本」は濱田氏の造語、戦前戦後の舞台・映画・テレビで活躍したバイプレイヤー(スターではなく)及びその家族・研究家の著作(自伝・随想・小説・趣味本、等々)をカテゴライズした言葉ですが、そんな本を大量に収集するなんてことをやっている人間が他にいるのかどうか、とかく第一人者にはそれを命名する権利を持つそうで。再放送や古い映画のビデオ(DVD)でしか観たことがないあんな人(例えば岸田森)やこんな人(例えば左卜全)、死亡記事だけは記憶にあるような人(例えば滝沢修)、辛うじてリアルタイムで見たことがあるあんな人(例えば天本英世)やこんな人(例えば大泉滉)、もう名前も知らないような人、集めに集めて約80人の著作。その中には芸術品みたいなまんじゅう本から安いタレント本まで玉石が混淆しているのですが、それらを子細に読み解きながら、脇役たちが愛憎交々の思いで繋がる縦糸横糸をたどったり、逆にそれら繋がりや世間からの需要を失った脇役達の悲惨極まる最期を掘り起こしてその功績を追認したり。よほどの芝居好き脇役愛がなければこんな作業は出来ませんし、何より驚くべきはその文章力。やや古風な書き方から割とお年を召した方かと思ってプロフィールを見たら1974年生まれと書いてあり参った。「増補」は13年ぶりだそうだから最初にこれを発表した時は31歳です。数多読まれたのであろう古本の文体が体の中で化合してる、凄い。

みんな地の底にいるわ そこで私のことを ずっと待っている

 渚ようこ急逝。15年来のファンでしたが真骨頂のライブパフォーマンスは遂に一度も観ることが叶いませんでした。合掌。
 思い出すのは5年前、63回生文系A組Kくんが突然私の鞄を引ったくって、「エロ本とか入ってるんじゃないの? チェーーーーーック!」とか言いながら漁ったところ、中から彼女のミニアルバム『エロスの朝』が出てきて「エロスやないかいっ!」ともの凄く気まずい雰囲気になったこと。個人的には、『エロスの朝』は歌謡史に残すべき名盤だと思っています。

 K市は台風の影響が少ないようで、朝6時に目覚めた時点では曇天ではあるものの風雨はさほどではなく(2、3分の外出なら傘も要らない程度)。母君の朝食をささっと(手抜きで)作ってお茶をお出しした後、昨日の飲み疲れ歌い疲れ(あと、4連続の特講の疲労蓄積)を慮って二度寝……したら10時まで目が覚めませんでした。スッキリ!

 入浴後、11時に買い出しをしようと何となく母君を誘ったらついて来られたのですが、私には「少し強いな」程度の風が足のお悪い母君にとっては暴風で、帰りのマンションの入口で煽られて転倒なさって。上手に倒れて下さって怪我はありませんでしたが(服が濡れた程度)、2、3分は立ち上がれませんでした(お一人だったら無理だったでしょう)。天候も病気も舐めては駄目だという教訓。
 昼食をお出しした後、買ってきた食材で肉じゃがを作成。じゃがいも(大)3個、玉葱1個、人参1個、牛肉150g、白滝1袋……ですから結構大量に出来ることになりますね。肉じゃがとして2回、玉子でとじて丼にして1回、片栗粉と一緒に潰してお焼きで1回、でまだ余るかな。

 14時過ぎに自転車で学校へ。雨は降っていませんが、朝より少し風が強かった印象。警備員さん以外校内は完全に無人(生徒は出校禁止)で、校舎の入口も解錠をお願いする必要がありました。静かな環境で粛々とデスクワーク……学級通信作成後に、誰も居ない環境でなければ出来ない秘密のお仕事を。16時過ぎに学校を出たのは小雨がぱらつきだしたからで、多少濡れるのは我慢して自転車で帰りました。京大特講は持ち帰りで未明添削に回します。
 夕食は肉じゃがをメインのプレート。買い出しで買ってこられたシュークリームのデザートまで召し上がって健啖。食後の洗い物まで終わらせてから、お休みになる母君を残して「もりき」で独酌。天候が荒れると客が増えるというジンクスは今日も生きていたようで、18時に私が一番乗りした直後に若い自衛隊さんがお二人、その20分後に小上がりに6人が団体(多分自衛隊関係)で、更にその後は常連(にしてF校の大先輩)のY先生が。小上がりから人数分の冷や奴の注文があり、作りかけだった私の魚しゃぶから豆腐が消えてしまいました。

この胸のときめきを

 2週間ほど遅れて日記を更新するのが常だったのですが、ちょっと前に一気に現在進行形の位置にまで追いつき、ここ数日は前日の日記を翌日に更新するというのを続けました。ら、予想通りアクセス数が減りました(まだ数日だから、有意なデータではないでしょうが)。昔、ある大学の先生が、毎回出席を確認するよりも数回に一回思いついたように出席を確認する方が学生は真面目に出席する、と仰っていました。

 3時半起床、京大文系特講の添削。入浴後に母君の朝食を作って出勤。1・2限がセンター現代文(加賀乙彦)。自宅まで往復をして母君に昼食。昨日の日記に書いた惣菜屋「O」に野菜のかき揚げが売っていたので購入。数日前にテレビでご覧になった母君が食べてみたいと仰ったのですが、我が家の台所では揚げ物をする準備が出来ていないのです。学校に戻ってSHR半ドン後の生徒は数学のテスト会ですが、私はその時間を利用して再び自宅往復(台風接近中ですが、雨は降っていません)、入浴後にそのまま風呂掃除。再度学校に出て、理系京大特講(古井由吉)は16時半~18時10分。そのまま自宅に戻って母君の夕食を作成。メインはカレーライスで、これは手作りではなく頂き物のレトルト。宮城の食品メーカーが出しているひよこ豆のトマトカレーで、これはとても美味しく母君にも喜んでいただけました。

 母君がお休みの後、明日は休みだ長く飲もう! と街へ出て小料理屋「A」で独酌。後ろのテーブル席で、K市に縁のあるとある芸能人がお友達と飲んでいらっしゃいました。
 小料理屋「A」からライブバー「A」……に行こうと思ったら、ビル入り口のエレベーターで女性2人(多分、初訪問)が入店を逡巡。他意無く私も今から行くこと、歌がお好きなら楽しいだろうこと、をお伝えしたら入店を決められたようなのですが、マスターから3人組と勘違いされてカウンター横並び3席、またこの女性2人(多分、私よりちょっと年上)が垣根のない方々で、飲むわ歌うわ喋るわ、の全部につき合って少し疲れてしまいました。だって、初訪問の店でカラオケ歌うときにステージに上がって踊り出すような人たちでしたもん。凄く仲が良くて、雰囲気は、そうですね、ちょっと前の岸本加世子と香坂みゆきとみたいな(伝わるかな)。

 文化街入り口のコンビニで母君に頼まれていた牛乳を買ってからタクシーで帰宅、失神。

子を思ふ故にまどひぬるかな

 3時起床、昨日の東大理系特講の添削を書斎で。入浴後、7時前に起き出して来られた母君に朝食を出してから出勤。午前中は授業がなかったのでデスクワークで、自宅往復で母君に昼食をお出しした後、4限が文系東大コースの二次対策授業。

 昼食に自宅まで往復をする時には、自宅徒歩3分のところにある惣菜屋「O」に寄ります。日替わりで15種類程度のメニューが量り売りの形式で販売されているのですが、大・中・小とあるカップの「小」が丁度母君のプレートの1/4を埋めるのに丁度良い分量を入れることが出来て大変便利なのです。スーパーの惣菜コーナーに売っているマカロニサラダやポテトサラダなどは大体それより量が多くて、だからといって2回に分けると分量が、という完全な帯・襷状態なので困ってしまうのですが、この「O」の小カップなら、例えば春雨サラダ55gとか、冬瓜そぼろ煮63gとか、1品につき100~150円程度で美味しい物が買えるので、毎日4品程度を購入することにしています(500円ちょっとの値段ですが、500円でカードにスタンプを1つ押してもらえます)。
 大体、手作りのものと「O」の惣菜とが半々くらい。毎回、何か一品は自分で作った物を入れることにはしていますが、「O」がなくなった生活は想像したくないなぁ、という状態です。

 さて、4限の東大文系34枚の添削を昼休みに始めましたが、5・6限が両方会議で埋まっていたので帰りのSHRの段階で進捗は僅かに25%。放課後の京大文系特講の添削もやって来ますし、明日も未明の添削は確定です。
 さて、本日放課後の京大文系は02年後期の古井由吉「《文学》に包囲された作家」。大衆メディアに流布する言葉の俗流象徴性を「文学的」と呼ぶ古井氏は、個別の現実認識を拒否して何事をも象徴として見る「眼」と、象徴を現実らしく見せかけるレトリックばかりを紡ぎ出す「手」と、による「文学」を厳しく批判しつつ、作家として自己を戒めます。完全なメディア批評なのですが、これは確か新聞コラムだったはずなので掲載した新聞は偉い(メディア批評ということは自社批評でもあるからです)。今、そんな度量のある新聞社・出版社がどれほどあるのか……というこの書き方も、まあまあ「文学的」ですね。ただ、これが今の新聞に載らないであろう理由はもう一つあって、恐らく多くの読者にこの文章の意を読み取れる力がないだろうから。同じく京大が21世紀の後期試験で出題した上田三四二「地上一寸ということ」も確か新聞コラムでしたが、要するにちょっと前の(作家による)文人コラムは、今では京大を受験しようかというような人が読めるか読めないかというものになっているんですね(18歳で読めないなら、恐らく38歳でも58歳でも読めません)。
 さて、前述の「文学性」を読むたびに頭に浮かぶのは「心の闇」なる語。「人の親の」の藤原兼輔を引くまでもなく、この語は親から子への愛情を巡る語だというのが1000年の伝統だったという理解(この理解は少し大袈裟ではありますし、尾崎紅葉「心の闇」のような例もありますが)。それなのに、たった20年でこの語は子が親を殺すような狂気の根源を指すようになった。96年神戸のケースならば「心の闇」が即応したのかも知れませんが、その後あまりに多く「心の闇」の語が使われるようになったせいで、象徴を現実と見せかけるレトリックにこの語が掬い取られていったんですね(子どもの狂気を核に、今では異常心理全般を指す象徴語になりつつある様子)。仕事柄、この語を聞くと何となく暗い気分になります。

 特講終了は17時30分。18時30分まで添削をやって根性で文系東大の方を終わらせ(特講前半の生徒解答時間にも添削をしています)、帰宅後に母君のお食事を作って入浴。19時半に近所の居酒屋「A」に入って読書独酌。ここ最近読了本がないのは、忙しいという理由もありますが、『脇役本』が少しずつ少しずつ味読すべき本だからです。
 21時半就寝。

テクノマミーの キッチンスタイル

 3時起床、書斎で東大文系特講の添削と集計とを6時まで。入浴後の6時半に母君が起き出してこられたので、朝食とお茶とをお出しして7時前に学校に向かいました。途中のコンビニで炭酸水・無糖のアイスコーヒーのペットボトルを1本ずつ購入。大体、毎日仕事中にこれだけの水分を取っています。
 学校では板書準備他デスクワークを2限終了時まで。3限の時間(11~12時)に自宅まで往復をして母君に昼食をお出ししました。4限は文系(東大以外)二次対策コースの授業で、一橋大学新潟大学九州大学島根大学の過去問アラカルト(全て「法」について考える問題)から1題を選択して解答。この添削はスキマの時間にぼちぼち。
 放課後は昨日と同じ06年宇都宮輝夫を使った特講で、昨日は文系でしたが今日は理系。解答時間は60分で、その間に板書準備を済ませて職員会議(定例)に参加。40分かけて解説をしますが、文系と違ってこちらの方は寝落ちる生徒が散見。別に、寝落ちるっつったって「寝るから落ちる」という訳ではありません。私の解説が下手(退屈)なのでしょう。

 18時に特講終了後、漢字の採点だけ5分で終わらせてから答案を抱えて帰宅、母君に夕食をお出ししてから入浴、上がる頃には食事が終わっているので洗い物までを。その後、書斎で添削を少しだけ進め、母君がお休みになってから昨日同様「もりき」に。Hさんがおいでになっていたので、お話をしながら90分ほど。明日も早い(3時半起床)ので、帰ってからは即就寝。
 講義・添削自体は楽しいから全然嫌ではないんですけれども、やっぱり水・木・金・土の4日連続で特講というのはちょっときついですね(食事を作らなくて良いなら何ということもないんですが……)。明日は「もりき」以外のお店を選んで、飲みながら『脇役本』を読み進めたいなぁ。だったら肉料理「I」か、居酒屋「A」か……(考えるだけで楽しい)。

四つ あなたと 私は一つ

 こないだの授業教材、09年センター評論の栗原彬「かんけりの政治学」本文に「人生ゲーム」が出て来て、これが次々にアップデートされてたり色んな漫画アニメ・芸能人等とコラボしていたのは知ってたんで、授業でも「僕がやってた四半世紀前の一番高給取りだった職業ってパイロットだったんですけど、今はYouTuberとかがあったりするんかね?」とか軽口叩いてたんですけれども、実際に調べたら「売れっ子声優」とか「メダリスト」とかが職業にあってビックリしました。「売れっ子」限定なの? 「メダリスト」って職業なの?
 東京大学が、英語民間試験の成績提出を必須としない方針を固めたという、受験関連の良いニュース。「良い」というのは、自前の試験で受験生の力を測れるという矜恃を示したという点でです(民間試験における不正の可能性については、よく知らないので意見がありません)。因みに、「4技能」は複言語が常態のヨーロッパでは既に使わないものと見なされつつあり、今は「受容(読む・聞く)」「産出(話す・書く)」、「やりとり(話す・書く)」、「仲介」という4つのモードが使われているとか。

 本日は授業無しで放課後に東大文系特講。扱うのは06年第一問、宇都宮輝夫「死と宗教」なのですが、これと同タイトルの小文を収録した宇都宮氏の著書『生と死を考える』が2015年4月に発売されていたのを今日知りました(出版社のサイトに目次が掲載)。この小文が東大の出典だったんなら、64回生高3を担当した3年前に買って読んでおくべきでしたね。迂闊!(追記・後で購入したところ、偶然タイトルが同じ別の文章でした。残念ではありますが、2006年の考察の発展系として、例えば授業資料などには十分使える本で、買ったこと自体は正解でした)
 1~3限でデスクワーク、4限(12時~13時で教員の昼休み……あれ、授業がある先生は?)の間に自宅往復をして母君の昼食を準備、昼休みは進路指導室で仕事、5・6限はデスクワーク。
 放課後特講(16時~18時)の前半60分は生徒が解答をする時間で、私は10分程度の板書準備以外は基本的に暇です。で、その間に学校近くのスーパーマーケットで食材を調達したのですが、職員室・進路指導室の冷蔵庫が一杯。解凍エビなどあって2時間常温はきついなぁと困っていたら、事務嬢さんが進路室冷凍庫の中から保冷剤をくれて事なきを得ました。何でこんなものをと聞いたら念のためという答え。有能かよ。でもって、職員室に戻ってそのお話をしたら同じ67回生A組担任世界史先生が「私、保冷袋持ってますけど?」と袋を下さり。そういえば、体育祭の後でクラスの生徒にハーゲンダッツを配ってお出ででした。その時のですね。みんな優しい。

 18時ギリギリまで特講の解説、その後自宅に戻って母君の夕食をバタバタで作り、入浴後に書斎で少しだけ(1時間弱)採点。終わる頃には母君がお休みの時間なので、「もりき」に出かけて1時間ほど独酌。常連のBさんが釣り上げた見事なイカがお裾分けで回ってきたので、マスターにお願いしてイカ納豆にしてもらいました。後はサンマの炭火焼き。幸せ。
 未明の添削があるので、21時過ぎには就寝。

あなたにサラダ

 10月末の上京、28日(日)にランチデートの予定だったオツカル様が別件で来られなくなってしまいました。残念ですが、里咲りささんのライブというならば仕方ありません。一緒に行かない? と一応のお声がけには多謝ですがそこはご遠慮(絵恋ちゃんさんなら逆に是が非でもで行きますけれど)。今年は絵恋ちゃんさんの聖誕祭にも上京が出来ないので、代わりに生誕Tシャツだけを買ってもらっておくことにしました。というか、「Tシャツ買っとく?」と聞かれて「Lサイズで!」って即答したんですけど、その程度のファンにはなってたのね、私、って感じ。
 さて、それなら、28日(日)のお昼はどうしよう。夜のイベントが本当に本当に大事なのでお酒は飲めないんですけれども、誰かランチにつき合ってくれそうな人を探してみるかどうか。

 こないだ学級文庫をガサゴソとあさくってたら、後ろに文系2人組が来て「『45』の件ですか?」「社長のコメントって、あれ謝ってなかったですよねぇ」と流石の具眼。学級文庫の1割超を占める会社を丸ごと撤去するかどうかというのは結構大きな話だったのです、が。
 反論・弁解(出来るのかは知りませんが)の余地もなく「ハイ、休刊」という措置が100点かどうかは置いておくとして、とりあえず授業・学級文庫からの撤去が回避されたことには正直ほっとしました。新潮社が使えないのは結構な痛手で、例えばセンター小説だけでも、江國香織中沢けい山田詠美水村美苗福永武彦……。

 昨日の日記に誤り。67回生の(今年度の)「国語」に関する授業準備が第4回校内模試の解答解説作成を除いて終わっている、と書いたんですけれどもそんなはずはなかった。センター試験・東大他国立大学の入試が終わったら、その解答解説プリントを作らないといけないに決まっていますね。

 本日は昼に授業が詰まっている都合で自宅まで往復することが出来ない(要するに昼休みすらない!)ので、朝食と一緒に昼食も作成して冷蔵庫に入れておきました。
 授業は3コマで加賀乙彦の小説、他に国語科の会議が1時間。16時から年休を取って帰宅、夕食は鶏の胸肉・椎茸・ごま豆腐(鍋用)を使った湯豆腐。B組某くんのお母様から頂いた魔法のドレッシングにすりゴマをたっぷり混ぜたら、鍋物にぴったりのタレが出来上がります。

 母君がお休みの後、『脇役本』(やっぱり傑作!)を読みながら肉料理「I」で独酌。今日は、サラダ・嶺岡豆腐・牛カツ(←独りの時は注文しない高級品ですが、今日は給料日なのでOK)の後にパスタを注文したのにまだ食べ足りず、追加でフライドポテトまで。最近かなり太ってきたんで自粛しないといけないのに……。

外を見たらひどい雨降り 何も云えずに

 連休2日目。入浴、母君の朝食、といういつもの流れの後、少し遅めの9時に学校入りして通常業務(デスクワーク)。学級通信を作成して、授業準備をして、土曜日の特講の添削を行いました。因みに、2月のテスト会までの授業(大学過去問)プリントは全部準備しているので、ここで言う「授業準備」というのは、プリントの不備を確認したり、解答解説プリントの改訂をしたり、という微調整の作業です。学級経営的側面では違いますし、勿論個人的な感情という面でも違いますが、授業に関してだけ言えば既に67回生を送り出すカウントダウンの段階に入っています(「国語」に関して言えば、第4回校内模試の解答解説を完成させる作業が唯一残っています。これは、第3回で出題をした採点結果を受けてからやります)。

 12時に学校を出て自宅に戻り、母君に昼食をお出ししました。その後は、雨が降ってきたのでもう外には出ずに自宅の書斎で夕方まで作業。Hさんが(母君のために)キノコご飯を作って下さったというので、傘を差して徒歩2分。キノコご飯だけでなく、手作りのポテトサラダ(これが美味しいんだわ)もいただきました。入浴後、母君の夕食を作ってお茶を出し、母君がお休みになった後で家を出ます。
 少し遅くなりましたが、一週間前の「もりき」30周年二次会でお世話になった御礼も兼ねて、野菜料理「B」で読書独酌。ここで読み始めた濱田研吾『脇役本 増補文庫版』(ちくま文庫)がエラいこと面白くてびっくり。半年も積ん読をしていたんですが、そのままうっちゃってしまわなくて本当に良かった。
 自宅近くのセブンイレブンで牛乳を購入して帰宅。勿論、母君用です(朝一で抗癌剤を飲むとき用の冷たい飲み物)。

おまえはネオンへ消える 夢よ Come Back

 連休初日。母君に朝食をお出しした後は、書斎で仕事・書き物(っつーかブログ更新)その他のんびり。2人で近くの血痰ネーミングスーパーマーケット「You Meマート」に出掛けて買い物をし(散歩ですね)、茄子とゴーヤの味噌炒め、ゴーヤとシーチキンのサラダ等々を作成。いっつも同じ物を作ってる気がしますが、いっつも同じ物を食べたいと仰るので仕方ありません。そう言えば、息子の私も一週間連続で湯豆腐でいいという人間でした。母君には昼食をお出ししましたが、私は朝食・昼食とも回避。今日は、16時の早い時刻から飲み会が入っている為。

 母君の夕食プレートは冷蔵庫に入れて15時半に自宅を出発。事務嬢さんとの待ち合わせは昼から通しで営業している居酒屋「K」で、隣の席にやたら声のデカい関西人が居て閉口したのを除けば総じて楽しかった(熊本料理を中心に美味しい物を安く出してくれます)。ここの生ビールはプレミアム・モルツで、私も事務嬢さんも正直別の銘柄があればそっちを選びたい人間なので、私は最初から、事務嬢さんは2杯目から瓶ビールを注文。どうも、プレミアム・モルツとかエビスとか、好きな人は好きなんでしょうけれども(同窓同僚数学はプレモル派)、あれば別の銘柄をと思ってしまいます。

 一昨日の日記に書いた通り、本日はライブバー「A」でイベント。元チェッカーズのベーシスト・大土井裕二氏を囲んでチェッカーズトリビュートライブが開催されます。何せK市、何せ35周年、「えっ、この店ってこんなにたくさん客が入るの!?」と驚く程の立ち見立ち見、流石「本物」の集客力は普通ではありません。そして、生粋のファンは本当に「チェッカーズ」、走り回っているマスターやバイトくんにはとても話しかけられませんが、「今日って、ドレスコードありましたっけ?」って聞きたくなるくらい皆「チェッカーズ」です。リーダーだった竹内亨氏のお母様も客席にお見えになるなど、やっぱりK市なんだなぁ、としみじみ。
 ライブは3部構成で、先ずは大土井氏(マスターがサポート)、続いて大阪からやって来たゲストのコピーバンド、最後がマスターをボーカルにした「A」縁の人たちによるコピー(大土井氏がサポート)。勿論、歌われる曲は全てチェッカーズの曲です。ただし、事務嬢さんと違って私はチェッカーズのファンだったことはなく、今日披露された曲の中で知っていたのは「I Love you,SAYONARA」(大土井さん作曲)の1曲だけ。勿論今日は披露されていませんが、大土井さん作曲の歌で他に知っているのは「ガチョウの物語」だけです。

 雰囲気を味わったら満足(っつーか、マスターはもう二代目藤井フミヤで良いよ。似すぎだよ)の私は、18時から21時までのライブが終わったあと、そのまま二次会(参加費は入場時に払いました)と名のつくパーティーに1時間ほど滞在してから帰宅。事務嬢さんは勿論残って……最後は4次会まで行って帰宅は4時だったそう! 輩やのぅ。
 滞在時は意識していませんでしたが、帰ってジーンズを脱いでから、服がメチャクチャ煙草臭くなっていることに気づきました。正に「煙の渦巻くクラブ」でしたからねぇ。全部まとめてクリーニング行きです。