まぶしい未来を想いながら 眠れぬ夜を数える

 5時起床、書斎で昨日の東大理系現代文特講の添削を行いました(途中に入浴休憩を挟んで)。添削・集計にかかった時間は40枚で約4時間。

 添削は、赤ペンと青ペンの2本を使って行います。青はアドバイス、赤は解答の書き直し例。赤青を持ち帰る時にペン先が右の掌(小指・薬指の下)によく当たって、添削が終わった後の右手半分は赤青の「返り血」でべっとり。かつて自転車に乗っていた時は、右のハンドル部分が紫色になっていました。
 設問(一)を40枚、設問(二)を40枚、という風に設問ごとに採点添削を行い、全ての設問を終えたら合計点を40枚に。その後、40人分の平均点を算出して全ての答案に「AVE●点」を書き込み、上位1割の生徒の答案には「40人中◎位!」と。
 4時間というのはかなりのスローペース。他の先生のお手伝い(ボラ添)を別にすれば本格的な高3現代文添削は3年ぶりですので意図的にゆっくりやったというのもありますが、聴講生にとっては初回ですので答案に「ツッコミどころ」が多いというのも時間がかかる理由です。回を重ねて、彼らの答案の精度が上がれば私の添削のスピードも上がる。下品に言えばWin-Winってことです。土曜特講の添削は日曜日にゆっくり。問題は水曜日の文系東大特講で、これは水曜の18時に終わってから翌8時半のSHRで返却するまでのリミットが14時間。この中に「4時間の添削、2時間の入浴・家事・出勤移動、2時間の食事(何があっても飲む!)、6時間の睡眠」というのを上手に詰める必要があります。

 因みに、140字×3tweets。
 【入浴準備の間、書斎で漢字の採点を。東大特講の初回は92年の中村真一郎『記憶の森』と決めていて、この年の漢字は「意想外・強要・寸断・粗放(疎放)」の4つで確かにやや難しいのですが、事前の予想通り、平均点は3点(1題1点で計算)を下回りました。年々、生徒の書き取り能力が下がっています。】
 【「漢字は1ミスまで」が口癖で、2つ以上間違えた答案には必ず書く(アレンジ版に「得点『減』でなく得点『源』に」等あります)のですが、年々書く頻度が増えています。14年前の56回生なら、平均して1題以上間違えるなんてあり得ませんでした。書けないな、と感じ始めたのは6年前の64回生からかな。】
 【センター評論演習でも問1の漢字(2点5題)を昔より間違えるので、あんなの10点マストでしょ、とは気軽に言えません。中学・高校入試の採点でも同じ状態ですので、少なくともF校(受験)生の中では世代的な傾向なのかも。外へ大きく広げるつもりも、それを頭の良い悪いと繋げるつもりもないですが。】
 Twitterのフォロワーには、鍵垢なので中身を他の人に見せないで下さいと(割と強く)お願いしていますが、時々自分で流出させることは。

 さて、自宅での添削が終わったら昼に学校入り、今度は明日の授業・特講の準備です。プリントは既に準備しているのですが、板書計画を立てて授業内容を定める必要があり、しかも教材の種類が3種類もあるのでこれが結構大変なんですね。月曜日には、クラス別のセンター型授業、文系二次対策授業、放課後の京大現代文特講、があるのです(純粋に授業・講義をするという観点から見たら月曜日が最も忙しいかな)。これらの板書準備が2時間とちょっと。

 学校を15時に出て一旦帰宅、本日2度目の入浴の後は、自宅をタクシーで出て会食の約束へ。目的地は豆腐料理「U」で、本日は個室予約3名、私はお金を払いません。
 5/9は「自粛御膳」をお休み、豆腐料理「U」の個室で事務嬢さん・パートナー氏と会食……だったんですけれどもこれが特別な(変わった)依頼で、パートナー氏の職場(F校とは無関係)の昇進試験で提出する課題レポートの添削をしながら一緒に飲むという企画(?)。私はパートナー氏の草稿印刷を片手に、パートナー氏はラップトップを机に置いて操作しながら、何せこの3人なので人並み以上に確り飲む! という、流石に初めての体験だったので戸惑いながらでしたが、取りあえず3時間の座持ちはしたのでお役目は果たせたと思っていい……のかなぁ。

 健康睡眠。

花は何の花 つんつん椿

 国語科で模試の検討会議。私が提出したとある問題プレゼンをご覧になった後輩先生(切れ者)が「先を越されました、この本買ってたんです……」とガックシ。私の中の明石家さんちゃんが「ここは戦場や! ホンマに出題したかったんなら先に問題作って持って来んかい!」と怒鳴りかけましたが、眉毛ハの字で「ゴメン! これ、良い本だもんね。事前相談しなきゃだった~!」
 新課程に合わせた改訂版教科書の見本が各社から続々。売り込みのK社営業さんが目次の最果タヒを指して「池ノ都先生、この作者はご存知で?」と。私の中の(歯が上下一本ずつしかない大阪のオッちゃんの時の)中川家礼二が「だぁれんこしとんのボゲェ!」と怒鳴りかけましたが、お目々開いて「わぁ、新しい! 素晴らしい書き手の文章を、早速!」

 土曜半ドンながら、東大を希望する高3理系の生徒は大変。1~4限までの通常授業の後、13時半~15時半の2時間が数学のテスト会、その後、18時までは東大現代文特講を受講するのです……っつっても、授業以外の「テスト会」や「特講」は義務ではなく権利ですので、参加するもしないも自由なんですけれどもね。
 と言うわけで、本日授業無しの私が本格的に仕事を始めたのは15時半(それまでは、適当にデスクワークを色々と)。開始10分前の教室で板書準備、内容は高3東大理系現代文特講、初回の教材は毎回同じなのですが、92年の中村真一郎『記憶の森』です。「近代」と「前近代」とをざっくりと比較できる内容といい、設問の中に「どういうことか」「なぜか」「どういう気持ちか」という3種類の問い方が全て出てくることといい、導入にピッタリなんですね。
 講義は、初回なので講義の形式や東大入試についてざっくり説明するオリエンテーションが15分、生徒が問題を解く時間が45分(その間、私は説明用の板書準備をしたり、別の仕事をしたり)、休み時間10分を挟んで、解説が40分(本文を全文範読しつつ、設問ごとの解説をします)、ざっくり2時間というところ。余り多くはありませんが、講義の後に質問が来ることもあります。

 特講の後、答案を抱えてタクシーで帰宅。この添削は明日ゆっくりとやることにして、お風呂の追い炊きをしている間に夕食の準備。入浴後に、2時間かけてゆっくりと読書独酌。

 5/8の「自粛御膳」。
 巻き寿司・ホッケ塩焼き・海老と蕪のすり流し汁・サラダ・胡瓜浅漬・蓮根金平・小鉢2種。
 前述の通り、本日は今年度の高3特講の初回。15時40分〜18時の講義をこなした己に先ずは酒酒酒の褒美を取らす。御膳の上に酒に合わぬもの無し(すり流しは気仙沼からのコロナレスキュー通販)。日本酒は能作の錫(69回生Yくんから)でリッチに。
 355蔵目・栃木「大瑠璃」(遠心分離酒 にごり)。

ごはんができたよって

 7時半に学校入りして、高3二次対策授業の提出プリントを添削。本日朝は7枚だけで楽、任意提出なので今後散発的に出てくることになります。九州大学の過去問で藤田省三の「松に聞け」、九大はたまに良い本文を持ってきます。
 授業は1限と5限と。それ以外の時間はずっとデスクワーク。時間割作業・授業小テスト採点・構内模試解答解説作成(昨日の続き)、等々。

 5/7は「自粛御膳」お呼ばれ編@Hさん家。今日はそのつもりはなく自炊の準備を終えていたのですが、突発的な電話で急遽。準備した分は明日に回して本日は(Hさん曰く)H家の冷蔵庫のお片付け。
 つみれ鍋・ホルモン炒め・塩サバ・筍煮・空豆炙り・胡瓜漬け。
 354蔵目・石川「神泉」(純米吟醸 旨口)。

かあさんの声がなつかしい

 黄金週間後の生徒登校(私は出勤)初日。

 授業は高3現代文が3コマで、扱う教材は堀辰雄「鼠」。極々初期のセンター試験小説で、話の内容はといえば「少年がお母さんの顔をした石膏像と口吻をしてあへぇとなる話」。知らない人からすれば何言ってんだこいつとなるんでしょうが、本当なのだから仕方ありません。
 58回生の高3現代文を担当した時にこの教材を扱い、読み物の資料プリントとして「燃ゆる頬」の全文を配布したんですが、後でその日に日直だった生徒が日誌の日直感想欄に「池ノ都先生が配ったホモ小説が面白かった」と書いたために担任だった超ベテラン生物先生に呼び出しを食らって「あんた何やってんの?」と詰められたことがあります。丁度こないだ書店の文庫新刊コーナーで平凡社ライブラリーから出ていた(21年4月刊行の)『少年愛文学選』の目次をパラ読みしたら、しっかり「燃ゆる頬」も収録されていました。干支が一回りした今なら「ホモ小説」なんていう書き方をされることもないですし、それで叱られる(あれ、多分私、叱られたんですよねぇ)なんてこともありません(ので、今年もしっかり配布しています)。

 空いている時間はデスクワークで、昨日作成した校内模試の解答解説を作ったり、この先の授業・特講のプリントを作成したり。今日から高3は特講が始まりますが、今年度の私は月曜日(京都大学現代文特講)、水曜日(東大文系現代文特講)、土曜日(東大理系現代文特講)の週3で特講(16~18時)が入っているので、私の初回特講は明後日8日ということになります。土曜の特講は日曜添削・月曜朝返却でいいので楽、腕ならしには丁度いいです。

 5/6も「自粛御膳」をお休み、二日市に出て焼鳥「月空」での読書独酌。
 冷奴・和牛モモ肉タタキ風カルパッチョ・串5本・納豆おろしうどん。
 マスター(63回生Mくんパパ)と「(21時までの)時短営業は辛いですよねぇ」など話してたらその直後に福岡県が緊急事態宣言下に入ることが決定、これは虚を衝かれました。帰り道のスーパーで食材を買い込んで帰宅、明日はのんびり自炊ですかね。

 今週から始まる特講。18時まで講義をして、翌未明に(2?3時起床で)添削をして、朝のSHRで返却をするという流れ(前述の通り、土曜の特講だけは日曜にゆっくり添削をして月曜朝に返却)。これまで5学年でやって来たから出来るというのは間違いないんですが、自炊が絡むのは初でその影響がどうなるか測りかねて少し不安も。

 健康睡眠。

愛情と好意のワクチンを

 黄金週間最終日は、午前中時間指定の宅急便(代金引換で日本酒4合瓶3本)が届くのを待ってから職員室10時入り。今年出題する校内模試の問題(問題・解答用紙の、印刷所に提出する原稿)を作成しました。印刷所への提出前には国語科による事前検討があるのですが、この問題に関しては没になる可能性はほぼゼロでしょう(どや)。仕事は14時までで切り上げて、15時からは卒業生から誘われたさし飲み会。

 5/5は「自粛御膳」をお休み、58回生Fくん(佐賀にて形成外科の研修医)から誘われて昼下がりの飲み会。15時に入った「Y」(4日ぶり)は狙い通りに前回同様の「疎」。こないだ食べなかったメニューを中心に注文して、ビール・日本酒・焼酎を。
 佐賀のお医者さん、K市の(コロナ的な)惨状はよくご存知なかった様子。「男く祭」で生徒が心身ともに相当な苦労をした話を興味深そうに聞いてくれました。因みに彼はワクチン接種を終えているそうで、対面した相手が接種済みだという体験は初かも知れません(それで何となく安心してしまう自分に気づいたり)。彼が働く大病院はコロナの患者を積極的に受け入れているそうですが、その治療にほぼ無関係の形成外科医は現場周辺には近づくことすら許されないということ。

 因みに、K市は再時短要請で飲食店の営業が20時までに前倒し。「もりき」は再び平日の店休を決めたそうです。なんかもう、生きる張り合いがなくなっちゃいそう(と言いながら、自宅籠城用の日本酒はしっかり買いだめてますけど)。
 明日からは通常出勤・授業ですので、早い時刻に帰宅して健康的に睡眠。

休みの午後久しぶりに 手紙でも書いてみようかな

 横川良明『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』読了、★★★。他愛ない本ではありますが、私が読んで、そのまま英語パイセンにお貸しして、2人が読んだら買った分の元が取れるんじゃないかな、と。

 7時半学校入り、午前中は学校でデスクワーク(今日は、今年度の京大現代文特講の年間計画作成及び初回講義の準備)。11時半に学校を出て、昼食はK市でいちばんのピザ『W』にて。マルゲリータにセットのサラダ・ドリンク。ミネストローネを単品注文。昼食をしっかり摂ることで昼酒の欲求を断つというライフハック(?)。
 ピザ屋から中央郵便局(祝祭日営業)までは徒歩20分、オツカル様への津和野土産(安野光雅グッズ)をレターパックで発送する手続き。その後、喫茶店で仕事。

 西鉄K駅のスーパーで食材を買い込んで帰宅。入浴後に「御膳」の準備。

 5/4の「自粛御膳」。
 太刀魚煮付・鰤刺し・菜の花お浸し・生野菜・小鉢4種。
 353蔵目・長野「みすず」(特別純米)。

天才とは

 萩尾望都『一度きりの大泉の話』読了、★★★★★。疲れた……淡々とした語りで凄まじい内容が綴られました。私は単なるおモー様のファンであって竹宮恵子他(所謂「花の」組の人々)については全く知らない(作品も殆ど読んだことがない)のでまだ耐えられましたが、天才マンガ家同士の「関係性」に萌えていたファンには痛かったでしょうねぇ。それにしても、山岸凉子に「嫉妬という感情が分からない(大意)」と(多分真顔で)相談する萩尾望都、という構図がもう。
 今年上半期の(というか、多分今年の)読書では『日本の包茎』と『一度きりの~』との2冊が群を抜き。どちらも、マスコミの罪について考えさされれます。

 朝、自宅から徒歩10分程度の場所(バイパス沿い)にある「星乃珈琲店」に数度目の入店。このチェーンでは珈琲しか注文したことがなかったのですが、今日はモーニングのチーズトーストとデザートの苺ショートとを注文。どちらとも、メニューの写真より少々「可愛らしい」ものが出てきました。今日は夜が肉料理ガッツリ、なのでこれ以降は飲食をせずに学校で仕事を。

 5/03も「自粛御膳」をお休み、69回生Yくん(東大1年生)に請われて肉料理「I」にてサシ飲みを(Yくんは未成年なので烏龍茶)。ここで17時〜18時半、その後は近くの「M」でラーメン(など)を食べて解散。現在の東大の状況など聞けて楽しかったのですが、時節柄を考慮するとこれ(2時間強)が限界かなぁ(Yくんはまだ学生なので、お母様の許諾を得ました)。
 トマトキムチ・牛タン岩塩焼き・鶏タタキ・牛タンのワイン煮込み風グラタン・牛レアカツ。

 健康睡眠。
 あと(小声で)、『一度きりの~』の中で『残酷な神が支配する』についての言及・説明があったら嬉しかったなぁ……。

付かず離れず 希薄な方がいい

 健康起床。F校の黄金週間は5日(水)までですが、私は昨日までの3日間でお遊びを終わりにして、今日を中日休憩、明日から3日間を仕事の(黄金週間後の復帰に向けての助走の)日と位置づけています。と言うわけで今日は休憩(……事実上の遊びかな)。

 午前中は書斎で作業。日記の更新が1時間、3時間は遊びとも仕事ともつかない(出題する予定のない)国語のとある問題の作成。11時に自宅を出て散歩がてら西鉄K駅近くまで(早歩きなら15分程度で着きます)。今日の昼酒は見知った和食のチェーンにて。

 お昼は豆腐料理「U」で読書(黙読)独酌(黙酌)。コロナ禍の中、日祝祭日はランチが休みで通常メニューしか頼めない(要するに割高な)こともあり、予想通りカウンターフロアは私のみ。入口からいちばん奥の座席に身を潜めて、通常コースの中でいちばんリーズナブルな「湯豆腐メニュー」というのを注文。これに、単品でコースサイズの豆腐サラダをつけました。というか私、とうとうカウンターに座った瞬間に店員さんから「お飲み物のご注文は?(酒、飲むんだろ?)」と訊かれる(言われる)ようになりまして。
 瓶ビール、日本酒(竹の容器・竹の御猪口がお洒落な冷酒)。

 西鉄K駅のスーパーマーケットで食材を買い込んでから帰宅。ベッドでだらだらと本を読んで、眠気に任せて2時間の仮眠。書斎で作業をしてから入浴。昼にガッツリ飲み食いしたので夜は軽めに「もりき」でも、と19時に(マスターへの津和野土産を携えて)家を出たのですが、今日は「もりき」が店休……というか、マスター以下常連5人(マスター曰く「チームもりき」の面々)が一緒に昼から飲んでたらしく、「もうすっかりしまえとるやん!」 という状態。ちょっと飲んでいかないかというのを固辞してお土産だけ渡してから退店。そのまま歩いて(自宅経由で数冊の本を手に取って)肉料理「I」へ。
 「I」へはさっき自宅を出る数分前に電話をして明日の予約(明日は卒業生と2人で夕食の約束)の確認をしたんですけれども、「店で飲むなら直接相談すれば良かったねぇ」と言って大将に笑われました。軽めに飲んで帰宅。

 健康睡眠。
 私やHさんは「もりき」の常連ですけれども、「チームもりき」ではないんです。カウンターに並べばお話はしますし、忘年会みたいなイベントには私も参加するんですけれども。私の場合は多分、どっかに「壁」があるんでしょうね。Hさんの立ち位置は、よく分かりません。

ただいまのあとは ガラガラ ジンジン ガラガラ

 3時過ぎに目が覚めて、ベッドでスマホを弄って、起き出して読書して、帰りの荷物をまとめて、6時いちばんで屋上の露天風呂に入って(曇天強風霧雨で最高に気持ちよかったです)、8時に朝食。恐らく、津和野で2泊3日というのが珍しいんじゃないでしょうか、朝食のメニューは昨日の朝のものとほぼ全て同じでした。牛乳、小鉢6種、豆腐、野菜、御飯・味噌汁までが全て同じで、卵焼きが小鍋で作るベーコンエッグに、鰈が鮭の塩焼きに変わっていました。当然、昨日の鰈と卵焼きの方がクオリティが高いのですが、それでも少し目新しい趣向をと気遣って貰えると嬉しく。

 9時台の特急なので8時半に食事を終えたら観光の暇はないのですが、30分ほど時間を潰せるという時に昨日の「三松堂」(ホテル徒歩10分弱)が8時という早朝オープンだということを知ったので往復。今夜急遽会うことになった63回生我らA組Mくんにお土産(甘味)を買いました。お店のお兄さん(マスク越しですが、多分、平成ノブシコブシの吉村さんに似てる……というのを書きたいのに肝心の芸能人の名前を知らなかったので、ネットで『新チューボーですよ!』を検索しました)からは「続けてのお越し、有難う御座います」とご丁寧な言葉をいただき、思わずお茶(豆茶)や珈琲やを買い込んでしまい。これは、自分用・Hさん用だな。
 今夜(っつーか昼から飲むんですが)はK市で63回生文系我らA組Eくん・Mくんと一緒です。最初はEくんとサシだと聞いていたんですが、昨日急に電話がかかって来てMくんと3人にしたい、と。Eくん用には昨日の「太皷谷稲成神社」で御守を買っていたので、Mくんにもお土産を、と。

 9時過ぎの津和野駅はほぼ無人、観光客が少ないのか、こんな早朝に到着したり出発したりという人が居ないだけなのか。とにかく、新山口行きの特急に乗ったのは私だけでした。帰りの電車ではひたすら読書。今年のF中入試に『水を縫う』が出題された寺地はるなの連絡短編『夜が暗いとはかぎらない』を読了、★★★★。リラクゼーションみたいな読書だったんですけれども、所々で「ここ、切り取れる(入試・模試用に)な~」という邪念にも襲われ。

 12時前にJRのK駅着。津和野は良いところでした。
 タクシーで自宅に戻り、先ずはHさん家に甘味・お茶のお土産。Hさんご自身は甘い物はあまりというタイプですが、自宅兼事務所でご一緒の社員E氏(Hさんと併せて社員2人)は珈琲がお好きだということで、「三松堂」で購入した珈琲に合うという羊羹を。事務所で出る珈琲も、私が定期的にお送りしている「サザ珈琲」(通販)です。私、結構貢いでますね。

 お風呂にお湯をためながら荷解きと洗濯とを済ませ、入浴後に自宅を出発。63回生2人とは昼飲みと夕方飲みとの間に待ち合わせています。14時過ぎに西鉄で2人と合流。
 先に書いておくと、Eくん・Mくんは在東京の社会人(Eくんは2年目、Mくんは1年目)。都知事の要請を軽やかに無視して帰省して、実家には「来るな」と言われたからホテル暮らし……って何のための帰省だよと思ったら、Eくんは九州未体験の職場同僚との旅行を兼ねての帰省で、MくんはEくんが「会いたい」と言ったら直ぐに福岡に来た、ということです。関係性は聞かない。
 このご時世柄において東京から来た人間と飲むとか(伝染されるかも的な意味でも伝染すかも的な意味でも)正気の沙汰かと言われたら返す言葉もありませんが、卒業生から頼まれたら否は無いというのが流儀なので(一応、流儀に反して、最初に一度だけ「本当に大丈夫?」と確認しましたけど)。

 どこで飲むかは予め決めて予約をしていました。西鉄K駅から程近い明治通り沿い一等地に、市内の(創作系)人気焼鳥店「Y」が2号店をオープンしているのです。何を食べたいかという私の事前の質問に「白ワイン」と答えたEくんのリクエストに併せて選んだこの店は国産ワインにめちゃめちゃ力を入れていまして、しかも黄金週間中は14時営業開始(時短営業なので20時まで)。昼飲みの客を当て込んでいるのかどうかは分かりませんが、「Y」はそこそこお高めの価格帯のお店なので、昼酒かまそうとする客層が「ここ!」と選ぶことはあまりないんじゃないかなぁ(もっと安いところが人気になるはず)……と狙っていったら果たしてビンゴで、30人は入れる店を3人で貸し切らせて頂きました(辛うじて帰り際に二人連れのカウンター客が来たくらい)。
 やっぱり今のK市は厳戒態勢の様子、明治通りには人も車も殆ど居ませんでした。ドリンクはビールの後で日本産の白ワインを2本。私は日本酒も。最後は瓶で芋焼酎(「海」)を注文して、飲みきれなかった分は私がお持ち帰り。

 さて、卒業生2人は官僚(Mくん)と大手企業R社(Eくん)。
 官僚くんは毎日定時帰宅で今は暇な時期、R社くんは社畜道驀地のテレワーク三昧(公私の別が融解して、酷い時には5〜0時とかで仕事してるんですって)、と対照的。大企業に就職したら肥るよと予言してたR社Eくんは1年半でやっぱり丸くなっていたので、津和野土産の甘味(源氏巻)は官僚Mくんに一人で食べるよう命じてから渡して、Eくんには「太皷谷稲成神社」で購入した仕事守を渡しました(白黒2種類があったので、せめて御守くらいはブラックではない色を選びました)。
 職場の先輩のハラスメントが酷い、とEくん。
 E「だって、『頭抱えてる暇があったら頭使って』とか普通言う?」
 私「何そのテンプレみたいな言い回し、上から言われて下に流した感が凄い。その先輩、ピュア(半笑い)なんじゃない?」
 E「え~?」
 私「Eも素直だから(半笑い)、気をつけたが良いかも」
 E「言いません~。僕は絶対後輩を傷つけたりしません~」
 偉い。

 1軒目でかなり酔いちゃくれたので、2軒目は餃子「N」でサクッと飲んで解散(17時半くらいだったかな)。
 健康睡眠。

そして独り彷徨い歩き続ける寒空の下

 3時起床の後、気合いを入れ直して2度寝。5時に再度起床。6時入浴の後、8時に予約している朝食までの90分でホテル近くを散歩することに。小さな町なので、それだけで観光マップに載っている場所を2箇所ほど回れます。

 駅に向かう大通りを少し歩き、電信柱の矢印に従って左に曲がれば民家が並ぶ小さな路地。大通りと並行する線路を越える踏切を渡れば炉端に置かれた古びた看板、雨風に消えかかった文字で辛うじて目的地の「乙女峠」に向かう道と知れます。既に明るいですが、7時前の狭い小路に人影は無し。勿論マスクは外しています。
 暫し歩けば直ぐに山の入口、湧き水の流れに沿って続くのは苔生した登り道でこれは滑りやすく手摺りが必須、「乙女堂」の幟が数メートル置きにはためいています。辺りは涼しくはありますが勾配が急で息が切れそう。この道を登った先にマリア聖堂が建てられた理由は、ここが明治の禁教政策のもとで長崎浦上から流されたキリシタンが幽閉された地だから(なかなかに険しい道を経る山奥の地なのも宜なるかな)。登り切ったところにある開けた地には聖堂や井戸、水の溜まっていない池の畔には殉教者たちの物語を伝えるオブジェ(1辺90センチメートルの立方体をした独房の中に入れられた囚人の前にマリア様が現れた場面)が置かれています。井戸は幽閉されたキリシタンの炊事場、そしてその隣の池は棄教を迫られたキリシタンが水ぜめの拷問を受けた場所なのだとか。聖堂には自由に入れましたが中は真っ暗、コロナ禍終息を祈願しました。
 後日、夜明け直ぐの山道を登った話を知人に(写真を見せながら)したら、「え、これ、怖くなかったです?」と驚かれました。確かに山奥に独りでしたし、周囲の遺物から伝わる話は陰惨なのですが、どうだったでしょうか。怖いとか何とかは無かったです。空気が澄んでいたからなのか、私が鈍いだけなのか。取りあえず、「殉教者は皆天国に居るんでしょうから」と答えときました。
 あと、何故か山奥まで電話線が引かれ、聖堂前に公衆電話ボックスがあったんですが、中を見て驚愕しましたね(怖くなかったのはこれのインパクトがあったからかも)。何と、現役稼働のデュエットホンが! NTT東日本の中堅社員であるまっぴぃに即座に写メを送ったら興奮気味に返信、氏ですら入社時の資料で辛うじて見たレベルの珍品だそう。いや~、びっくりした。津和野の元取ったレベルかも……あ、「デュエットホン」を知らない若者や「公衆電話」を知らないちびっ子はググってみたらいいと思いますよぅ。

 乙女峠から宿に戻る道の途中でふらり立ち寄れる場所にあるのが「永明寺」、ここは鷗外森林太郎の墓があることで知られる曹洞宗の巨刹なのですが、改修中且つ9時の拝観受付前だったので殆ど外観だけ見てお仕舞いでした(お墓参りは出来ました)。因みに、このお寺の読み方は「ようめいじ」で、私は現場に着くまで知りませんでした。後で地元の方(夜の寿司屋の職人さん)に聞いたところによると、地元では「えいみんじ」と呼ぶ人も居るそうですが、ちょっと不穏な響きですね。

 8時の朝食も夕食と同じく広間で。入口の検温器では「36.1℃」だったので堂々。
 新鮮な牛乳(食前酒みたいな感覚)、小鉢6種、手造りの豆腐、野菜の煮物、小さな鰈の塩焼き、フワフワの卵焼き、御飯・味噌汁。
 御飯をお代わりしてしまいました(お茶をかけて食べました)。朝風呂と山歩きとでちょっと体力を使っていたからでしょうか。
 朝食の後、宿から徒歩1分のコンビニ(ローソンとポプラとがフュージョンした店で、町内唯一のコンビニだそう)に行ってお金を下ろし、ペットボトルのお茶とナッツ(夜の部屋飲み用)とを購入。部屋に荷物を置いたら8時40分、そのまま今日の(本格的な)観光に出発です。

 宿から先程のコンビニを過ぎて更に3分ほど歩くと大きな鳥居、そこは「太皷谷稲成神社」に行くための表参道で、稲成(通常の「稲荷」とは異なる書き方です)までの千本鳥居を潜る(本日2度目の)山登りをしました。本殿は大層立派、9時前無人状態の中でお詣りした後、開いたばかりの社務所でお守り等買っていたら、他に誰も居なかったからか、辺りを掃除していたスタッフのおば様に声をかけられました。稲成を訪れたなら更に山頂にある津和野城址を見ておくべきで、下の駐車場横から城址まで上り下り出来るリフトがあること、上ったらトイレがないので今の内に行っておくこと、山の上の本丸址から見下ろした津和野が絶景であること、そこはさだまさしが「案山子」を作った場所であること……等々色々と教わり。

 お礼を言ってリフト乗り場へ。ほぼ半世紀は使われている年季物のリフト(スキー場にあるような1人用のやつ)はグラグラしてて乗る前からちょっと怖い……と上から降りてくるリフトに可愛らしい熊のぬいぐるみが座っててその頭には「仕事中」の文字、やだ何これ可愛い。一気にポワポワし始めた私に乗り場担当のオッチャンが旅のお役立ち情報、「山の上、熊の生息地だから」
 ぬいぐるみが一気に「いいとも」的なやつに見え始めました。私、ちゃんと帰って来られるのかしら。

 「城址」までのリフトだと聞いていたのですが、上った先を更に20分ほど歩かなければなりませんでした。今日は山歩きの日。これまた険しい自然道を暫く進むと、三段の石垣だけが遺跡のように残った津和野城址。ここには私以外の観光客が2組ほど居て(私とは違うルートで上がって来た様子)、山頂からの風景を盛んに(本格的なカメラで)写真に撮っています。カメラを持たない私が本丸址の崖っぷちまで近づき、肉眼で(メガネ越しですが)見下ろしたところへ目に入って来たのは文字通り「城下町」の風景、佳景寂莫。
 もと来た(悪)路を戻ってリフトを下り、稲成の駐車場に戻ると、先のおば様に再び話しかけられ。天気が悪くなるから忘れ物の傘を持っていけばいいこと(1本頂きました)、厄年なら「役」年だと思って為他の構えで生きればよいこと(後は何か長いものを自分のために買うこと)、津和野町のうどん屋「つるべ」は美味しいこと、津和野にはタクシーが2台しか無いこと……等々を教わりました。
 来た山道を引き返し、千本鳥居を抜けたところで突然のゲリラ豪雨、おば様のお力でしょうか(頂いた傘を有難く使いました)。「つるべ」は定休日だったのでお昼はスルーして、次は観光の本丸へ。

 津和野の観光の主目的は「安野光雅美術館」。駅の真ん前で、参道入口からは徒歩で10分強というところ(途中で宿泊宿を通過します)。歩いている内にゲリラ豪雨は止みました。到着した美術館の外観は津和野古来の街並み(安野氏の原風景)に溶け込むように、中は昔の小学校のように(教室・図書館などのコーナーがあります)。
 現在の展示は「繪本 平家物語」と「ふしぎなえ」との原画(下絵も!)展で、哀しいことに準備中に安野氏が逝ったために「追悼展」となってしまいました。デビュー作である「ふしぎなえ」、及び「平家」諸行無常の一大絵巻という組み合わせに何やら暗示的なものを感じてしまいます(勿論、安野氏は一貫して「驕れる者」から最も遠い精神の持ち主だっただろうと思いますが)。
 館内にあるプラネタリウムでは35分間の旅が可能。芸術と自然科学とは「想像力」という媒介物で連続するという安野氏の思いで作られたもので、50人座席を半分だけ使うコロナ禍仕様に……なっていたのですが私が入った回の観客は私だけ(!)。マスクを外して堪能しました。
 2階には安野氏の和風アトリエを再現、1階のグッズ売り場には膨大な(挿絵だけを担当した本を含む無数の)著作。TQC東京大学クイズ研究会)18期(同期)のオツカル様が安野氏の熱烈なファン(誰かの出産祝いには必ず『森の絵本』を選ぶ程)なので、彼に贈るためにサイン入りの本とグッズとを購入しました。

 さて、朝に「デュエットホン」のやり取りをしたまっぴぃはTQC東京大学クイズ研究会)の17期(1期上)。その後でぴぃ氏が「津和野っていったら、明治政府が太政官布告で『公園』の語を使う前に既に『公園』の語を使っている額が文化財になってるという『鷲原八幡宮』があるよね? 何かの本で読んだんだけど」という、途中までクイズの問題文そのものみたいな文面で津和野トリビアを送ってきたので、行きは駅からタクシーで1400円、帰りは宿まで徒歩で1時間の往復をして、行ってきました「鷲原八幡宮」、撮ってきました「公園」の額縁! ここは、流鏑馬の馬場として有名な場所ですので、お詣りがてら馬場の写真も何枚か。徒歩での帰り際には、寄り道をして「西周旧宅」を訪問し、有名な「三松堂」でお土産の源氏巻(Hさん・「もりき」マスター)を購入。朝食以来水も飲んでいなかったので、「三松堂」ではジェラートと豆茶の一服も。今日は山道平地を問わず歩き通しの一日です。

 「三松堂」で購入のお土産を部屋に置くために宿に戻ったのが15時半。観光の心残りは無かったのですが、折角ならダメ押しをと思い、宿の斜め前にあった自転車屋でレンタサイクルを。殿町通りを中心とした市街地を無目的に60分ほどサイクリング。川沿いを進み、小路のスナック街を覗き、町内の高校を通り過ぎ(すれ違う高校生は皆「こんにちは!」と挨拶をしてくれました)。最後に、駅近くにあったのをブックマークしていた酒屋に入り、昨夜宿で出た日本酒2蔵とは異なる蔵の日本酒「鷗外」を購入(津和野には全部で3つの蔵があるそうで、これでコンプリート)。同じ蔵が出している米焼酎もあったので、こちらは事務嬢さんへのお土産に購入。
 自転車を返却した後、17時に宿に戻って屋上露天風呂。頭寒足熱とはよく言ったもので曇り空の下で風がビュンビュン言ってる中の露天風呂はなかなかにオツなもので、結局30分くらい浸かってたんじゃないかな。歩き疲れた身体が癒やされました。

 4/30も「自粛御膳」をお休み、津和野2泊目の夜は地元で愛される「福寿司」(宿泊した「わた屋」で勧められて予約)のカウンターにて独酌。横長のカウンター奥に常連さん仲間4人、4席空けて入り口側の席に余所者私というソーシャルディスタンス。寿司屋にこの言い方はどうかと思いますが、「ざっかけない」雰囲気で地元の人生ベテラン勢の社交・憩いの場という感じ(店員さんは観光客の応対にも慣れている様子でした)。
 葉山葵漬け・烏賊納豆・刺盛り・うざく・白身フライ(サービス)・細巻2本。ドリンクは生大(大ジョッキがあるというのは「非常に」好感度が高いです)から地元の日本酒。
 細巻きは持ち帰りにして、滞在1時間強。17時半の(大将曰く)「静かな時間」に入店して、常連さん大挙(広間あり)の時間を見計らって帰りました……が、ホテルに戻った後、あれだけ食って(お土産まで買って)大生1杯・日本酒3合飲んで〆て6700円という安さは何かの間違いではないかと真剣に悩みました。

 お店で聞いた話。
 年に一度のイベントの度に津和野に帰られた安野光雅氏は、ここで打ち上げて向かいの「わた屋」に泊まられるというのを亡くなる直前まで続けられたとか。また、鷗外関係では、杏奴さんのご子息であるところの小堀鷗一郎医師も最近いらしたそうです。時々鷗外の血筋を名乗る怪しい人間も津和野には訪れるという中、医師は「私は正真正銘の直系」と笑っておられたとのこと。

 部屋で飲み直し。日本酒は昨日の残りが冷蔵庫に。アテは、持ち帰ったお寿司とナッツとです。
 健康睡眠。