そして独り彷徨い歩き続ける寒空の下

 3時起床の後、気合いを入れ直して2度寝。5時に再度起床。6時入浴の後、8時に予約している朝食までの90分でホテル近くを散歩することに。小さな町なので、それだけで観光マップに載っている場所を2箇所ほど回れます。

 駅に向かう大通りを少し歩き、電信柱の矢印に従って左に曲がれば民家が並ぶ小さな路地。大通りと並行する線路を越える踏切を渡れば炉端に置かれた古びた看板、雨風に消えかかった文字で辛うじて目的地の「乙女峠」に向かう道と知れます。既に明るいですが、7時前の狭い小路に人影は無し。勿論マスクは外しています。
 暫し歩けば直ぐに山の入口、湧き水の流れに沿って続くのは苔生した登り道でこれは滑りやすく手摺りが必須、「乙女堂」の幟が数メートル置きにはためいています。辺りは涼しくはありますが勾配が急で息が切れそう。この道を登った先にマリア聖堂が建てられた理由は、ここが明治の禁教政策のもとで長崎浦上から流されたキリシタンが幽閉された地だから(なかなかに険しい道を経る山奥の地なのも宜なるかな)。登り切ったところにある開けた地には聖堂や井戸、水の溜まっていない池の畔には殉教者たちの物語を伝えるオブジェ(1辺90センチメートルの立方体をした独房の中に入れられた囚人の前にマリア様が現れた場面)が置かれています。井戸は幽閉されたキリシタンの炊事場、そしてその隣の池は棄教を迫られたキリシタンが水ぜめの拷問を受けた場所なのだとか。聖堂には自由に入れましたが中は真っ暗、コロナ禍終息を祈願しました。
 後日、夜明け直ぐの山道を登った話を知人に(写真を見せながら)したら、「え、これ、怖くなかったです?」と驚かれました。確かに山奥に独りでしたし、周囲の遺物から伝わる話は陰惨なのですが、どうだったでしょうか。怖いとか何とかは無かったです。空気が澄んでいたからなのか、私が鈍いだけなのか。取りあえず、「殉教者は皆天国に居るんでしょうから」と答えときました。
 あと、何故か山奥まで電話線が引かれ、聖堂前に公衆電話ボックスがあったんですが、中を見て驚愕しましたね(怖くなかったのはこれのインパクトがあったからかも)。何と、現役稼働のデュエットホンが! NTT東日本の中堅社員であるまっぴぃに即座に写メを送ったら興奮気味に返信、氏ですら入社時の資料で辛うじて見たレベルの珍品だそう。いや~、びっくりした。津和野の元取ったレベルかも……あ、「デュエットホン」を知らない若者や「公衆電話」を知らないちびっ子はググってみたらいいと思いますよぅ。

 乙女峠から宿に戻る道の途中でふらり立ち寄れる場所にあるのが「永明寺」、ここは鷗外森林太郎の墓があることで知られる曹洞宗の巨刹なのですが、改修中且つ9時の拝観受付前だったので殆ど外観だけ見てお仕舞いでした(お墓参りは出来ました)。因みに、このお寺の読み方は「ようめいじ」で、私は現場に着くまで知りませんでした。後で地元の方(夜の寿司屋の職人さん)に聞いたところによると、地元では「えいみんじ」と呼ぶ人も居るそうですが、ちょっと不穏な響きですね。

 8時の朝食も夕食と同じく広間で。入口の検温器では「36.1℃」だったので堂々。
 新鮮な牛乳(食前酒みたいな感覚)、小鉢6種、手造りの豆腐、野菜の煮物、小さな鰈の塩焼き、フワフワの卵焼き、御飯・味噌汁。
 御飯をお代わりしてしまいました(お茶をかけて食べました)。朝風呂と山歩きとでちょっと体力を使っていたからでしょうか。
 朝食の後、宿から徒歩1分のコンビニ(ローソンとポプラとがフュージョンした店で、町内唯一のコンビニだそう)に行ってお金を下ろし、ペットボトルのお茶とナッツ(夜の部屋飲み用)とを購入。部屋に荷物を置いたら8時40分、そのまま今日の(本格的な)観光に出発です。

 宿から先程のコンビニを過ぎて更に3分ほど歩くと大きな鳥居、そこは「太皷谷稲成神社」に行くための表参道で、稲成(通常の「稲荷」とは異なる書き方です)までの千本鳥居を潜る(本日2度目の)山登りをしました。本殿は大層立派、9時前無人状態の中でお詣りした後、開いたばかりの社務所でお守り等買っていたら、他に誰も居なかったからか、辺りを掃除していたスタッフのおば様に声をかけられました。稲成を訪れたなら更に山頂にある津和野城址を見ておくべきで、下の駐車場横から城址まで上り下り出来るリフトがあること、上ったらトイレがないので今の内に行っておくこと、山の上の本丸址から見下ろした津和野が絶景であること、そこはさだまさしが「案山子」を作った場所であること……等々色々と教わり。

 お礼を言ってリフト乗り場へ。ほぼ半世紀は使われている年季物のリフト(スキー場にあるような1人用のやつ)はグラグラしてて乗る前からちょっと怖い……と上から降りてくるリフトに可愛らしい熊のぬいぐるみが座っててその頭には「仕事中」の文字、やだ何これ可愛い。一気にポワポワし始めた私に乗り場担当のオッチャンが旅のお役立ち情報、「山の上、熊の生息地だから」
 ぬいぐるみが一気に「いいとも」的なやつに見え始めました。私、ちゃんと帰って来られるのかしら。

 「城址」までのリフトだと聞いていたのですが、上った先を更に20分ほど歩かなければなりませんでした。今日は山歩きの日。これまた険しい自然道を暫く進むと、三段の石垣だけが遺跡のように残った津和野城址。ここには私以外の観光客が2組ほど居て(私とは違うルートで上がって来た様子)、山頂からの風景を盛んに(本格的なカメラで)写真に撮っています。カメラを持たない私が本丸址の崖っぷちまで近づき、肉眼で(メガネ越しですが)見下ろしたところへ目に入って来たのは文字通り「城下町」の風景、佳景寂莫。
 もと来た(悪)路を戻ってリフトを下り、稲成の駐車場に戻ると、先のおば様に再び話しかけられ。天気が悪くなるから忘れ物の傘を持っていけばいいこと(1本頂きました)、厄年なら「役」年だと思って為他の構えで生きればよいこと(後は何か長いものを自分のために買うこと)、津和野町のうどん屋「つるべ」は美味しいこと、津和野にはタクシーが2台しか無いこと……等々を教わりました。
 来た山道を引き返し、千本鳥居を抜けたところで突然のゲリラ豪雨、おば様のお力でしょうか(頂いた傘を有難く使いました)。「つるべ」は定休日だったのでお昼はスルーして、次は観光の本丸へ。

 津和野の観光の主目的は「安野光雅美術館」。駅の真ん前で、参道入口からは徒歩で10分強というところ(途中で宿泊宿を通過します)。歩いている内にゲリラ豪雨は止みました。到着した美術館の外観は津和野古来の街並み(安野氏の原風景)に溶け込むように、中は昔の小学校のように(教室・図書館などのコーナーがあります)。
 現在の展示は「繪本 平家物語」と「ふしぎなえ」との原画(下絵も!)展で、哀しいことに準備中に安野氏が逝ったために「追悼展」となってしまいました。デビュー作である「ふしぎなえ」、及び「平家」諸行無常の一大絵巻という組み合わせに何やら暗示的なものを感じてしまいます(勿論、安野氏は一貫して「驕れる者」から最も遠い精神の持ち主だっただろうと思いますが)。
 館内にあるプラネタリウムでは35分間の旅が可能。芸術と自然科学とは「想像力」という媒介物で連続するという安野氏の思いで作られたもので、50人座席を半分だけ使うコロナ禍仕様に……なっていたのですが私が入った回の観客は私だけ(!)。マスクを外して堪能しました。
 2階には安野氏の和風アトリエを再現、1階のグッズ売り場には膨大な(挿絵だけを担当した本を含む無数の)著作。TQC東京大学クイズ研究会)18期(同期)のオツカル様が安野氏の熱烈なファン(誰かの出産祝いには必ず『森の絵本』を選ぶ程)なので、彼に贈るためにサイン入りの本とグッズとを購入しました。

 さて、朝に「デュエットホン」のやり取りをしたまっぴぃはTQC東京大学クイズ研究会)の17期(1期上)。その後でぴぃ氏が「津和野っていったら、明治政府が太政官布告で『公園』の語を使う前に既に『公園』の語を使っている額が文化財になってるという『鷲原八幡宮』があるよね? 何かの本で読んだんだけど」という、途中までクイズの問題文そのものみたいな文面で津和野トリビアを送ってきたので、行きは駅からタクシーで1400円、帰りは宿まで徒歩で1時間の往復をして、行ってきました「鷲原八幡宮」、撮ってきました「公園」の額縁! ここは、流鏑馬の馬場として有名な場所ですので、お詣りがてら馬場の写真も何枚か。徒歩での帰り際には、寄り道をして「西周旧宅」を訪問し、有名な「三松堂」でお土産の源氏巻(Hさん・「もりき」マスター)を購入。朝食以来水も飲んでいなかったので、「三松堂」ではジェラートと豆茶の一服も。今日は山道平地を問わず歩き通しの一日です。

 「三松堂」で購入のお土産を部屋に置くために宿に戻ったのが15時半。観光の心残りは無かったのですが、折角ならダメ押しをと思い、宿の斜め前にあった自転車屋でレンタサイクルを。殿町通りを中心とした市街地を無目的に60分ほどサイクリング。川沿いを進み、小路のスナック街を覗き、町内の高校を通り過ぎ(すれ違う高校生は皆「こんにちは!」と挨拶をしてくれました)。最後に、駅近くにあったのをブックマークしていた酒屋に入り、昨夜宿で出た日本酒2蔵とは異なる蔵の日本酒「鷗外」を購入(津和野には全部で3つの蔵があるそうで、これでコンプリート)。同じ蔵が出している米焼酎もあったので、こちらは事務嬢さんへのお土産に購入。
 自転車を返却した後、17時に宿に戻って屋上露天風呂。頭寒足熱とはよく言ったもので曇り空の下で風がビュンビュン言ってる中の露天風呂はなかなかにオツなもので、結局30分くらい浸かってたんじゃないかな。歩き疲れた身体が癒やされました。

 4/30も「自粛御膳」をお休み、津和野2泊目の夜は地元で愛される「福寿司」(宿泊した「わた屋」で勧められて予約)のカウンターにて独酌。横長のカウンター奥に常連さん仲間4人、4席空けて入り口側の席に余所者私というソーシャルディスタンス。寿司屋にこの言い方はどうかと思いますが、「ざっかけない」雰囲気で地元の人生ベテラン勢の社交・憩いの場という感じ(店員さんは観光客の応対にも慣れている様子でした)。
 葉山葵漬け・烏賊納豆・刺盛り・うざく・白身フライ(サービス)・細巻2本。ドリンクは生大(大ジョッキがあるというのは「非常に」好感度が高いです)から地元の日本酒。
 細巻きは持ち帰りにして、滞在1時間強。17時半の(大将曰く)「静かな時間」に入店して、常連さん大挙(広間あり)の時間を見計らって帰りました……が、ホテルに戻った後、あれだけ食って(お土産まで買って)大生1杯・日本酒3合飲んで〆て6700円という安さは何かの間違いではないかと真剣に悩みました。

 お店で聞いた話。
 年に一度のイベントの度に津和野に帰られた安野光雅氏は、ここで打ち上げて向かいの「わた屋」に泊まられるというのを亡くなる直前まで続けられたとか。また、鷗外関係では、杏奴さんのご子息であるところの小堀鷗一郎医師も最近いらしたそうです。時々鷗外の血筋を名乗る怪しい人間も津和野には訪れるという中、医師は「私は正真正銘の直系」と笑っておられたとのこと。

 部屋で飲み直し。日本酒は昨日の残りが冷蔵庫に。アテは、持ち帰ったお寿司とナッツとです。
 健康睡眠。