はじめまして 明日 あんたと一度

 酒井順子ユーミンの罪』読了、★★★。ファンですから(著者ではなくてユーミンのです)そりゃ面白く読めましたけれど、そしてこの本は少なくない人から絶賛されるんでしょうけれど、(印象論に終始するのは仕方ないとしても)ユーミンの歌詞分析としてこれは本当に優れているのでしょうか? 正直良くわからん。どっちかというと著者自身の自伝風エッセイという側面の方が強いので、わざわざ新書の形で出さなくても良かったんじゃないか、と思いました。

 今日の会議は予備校の偉い人から「勤労感謝の日にも関わらず出張会議のためにお越しくださいまして」と言われる確率100%で、そして私が「いえいえ、前夜泥酔ネカフェ起床の身ですしどっちかというとその『前夜』の方をメインだと思っておりますので感謝いただく資格なんてこれっぽっちもないんですのよ」と内心で思う確率も100%で、いや~ネカフェ起床、思ってたより身体きつくないですね。
 早朝観光を京都にするか大阪にするか、そんなのは1秒も迷う必要がなく、紅葉真っ盛りの京都でバス観光なんかしようと思うほうがおかしいわけで当然の如く大阪へ移動。あ、でも、京都大学学園祭に行こうかと一瞬だけ思いました。高1の女子たちが大学見学を兼ねて京大学園祭に遊びに行くというので、55回生N女史に案内を請うていたのです(最初土曜日だと思っていたその大学見学が日曜日に移ったということでした)。

 大阪駅で立ち食いのたこ焼きで朝ごはん。さて会議(夕方)まで何で時間をつぶそうかと考えながら歩いていたら、マスクしてても目が合うだけでわかりますね。「※※さん?」「先生?」
 関西に進学した某卒業生とバッタリお会いして、昼食をご一緒することに。彼女は私よりも同窓同僚先生と仲がよく(私は授業だけ、同窓先生は担任団でした)、二人だけでテーブル差し向かいは初めてだったかも。紆余曲折の大学生活のお話を伺いながら、それでもあんな勉強を始めたいこんな活動を始めたい、とチャレンジしたいことが次々と飛び出してくるバイタリティが素敵だと思う。
 「先生はぜんぜん変わりませんね」と言われる。転勤のないF校で私がまるで成長をせぬまま全く変わらない人間で居続けたら、どんどん変わっていく卒業生とたまにお会いした時に自身の変化を知る参照になることができますね。それは悪くない、よし、私はずっと学生気分で居よう。
 日本中に散るF高生、私が高3で担当した卒業生はまだ1000人程度ですが、東京や大阪等の旅行や出張で数日間滞在したら、大体1回か2回は誰かと偶然すれ違います(お互いに気づくこともこちらだけが気づくこともあります。向こうだけが気づいていることもあるのでしょう)。

 会議の会場となる新大阪駅近くのビル、同じく高2担任団の英語科先生と合流し、先日私たちの高2が受験した外部模試の成績検討会議。全体会議の後、国語科の教員だけが集まった分科会。西日本の進学校のお先生たちが集まって、模試問題作問担当の講師の先生と、あの問題がこーだその問題はどーだと討論。それを受験後にすることに積極的な意味があるのかどうかは分かりませんが、作った方(予備校)も指摘する方(進学校)もプライドとか拘りとかがあるからお互い譲らない、しかも大人の嗜みっていうものがあるから直接的な非難はせずにオブラートにくるむくるむ、だから一回の質疑応答が長い、という感じ。勿論、30代の私みたいなペーペーに発言の機会が許されるわけもなく、ず~っと貝になっておりました(もし質問を振られたら、「大問X番は設問の日本語の検討がなされたのですか?」と訊こうと思っていました。こんな駄文非文日記を書き散らかしといてなんですけど)。
 その後は、西日本の進学校のお先生たちが集まる懇親会、ですけれどもそれは途中で失礼して、英語科先生と新大阪駅ホテルにチェックイン、からのさし飲み。店は、私が幹事力を発揮してそれなりのところを。結局ず~っと63回生の生徒の話をしてて、何のこたないK市と同じじゃんか。ホテルに戻って(ホテルか実家かで、年に10日くらいしか観ることができない)テレビをつけたら、滅多にテレビには登場しない内田樹先生の出演番組をドンピシャで引き当てる。勝手に予想していたよりも、ずっと声が高くて早口でいらっしゃいました(いらちだということはご自分でも仰ってましたね)。