命預けます

 授業は高1(64回生)の漢文5コマ。今年度最後なので、学年の皆さんにお別れの挨拶。来年度の池ノ都は高3(63回生)はり付きが決定したので(高3の現代文と漢文とを兼任することになりました)、64回生とは取りあえずお別れ。高3になった時にどっかの授業が持てたら嬉しいですが。

 ……っつか、来年度だよ、来年度。高3の現代文と漢文とを兼任ですよ。前代未聞かどうかはしんないけど、私が就職して以降ならそんなのお初ざんすよ。私ったらどんだけ出しゃばってるんでしょ、調子乗りすぎ。
 ①クラス別センター現代文……7コマ ②文系コース別現代文……4コマ ③文系コース別漢文……2コマ ①~③で授業11コマ
 ④文系東大現代文……2コマ ⑤理系東大現代文……2コマ ⑥文理共通京大現代文……2コマ ⑦理系東大漢文……1コマ ④~⑦で特別講義7コマ
 合計18コマっていうとそんなに多くは見えないかも知れませんが、②・③・④・⑤・⑥・⑦は全て授業後に添削がやって来ますからね。もう毎日3時に起きても捌ききれないくらいだと思う。豆腐屋たっぴぃ(←一人称)になってみんなに褒めて貰うのだっ!
 本当はそこに加えて、⑧クラス別センター漢文授業……4コマ、ってのがあったんですけれども、それは流石にお前出しゃり過ぎ、ってことで他の先生がお引き受け下さることになりました。多謝。

 漢文5コマの合間に、学年集会があったので、そこで教務部からのお話しというのを。私は学年集会で喋らないといけない時には、これまで毎回割と厳しめのことを、それと分からないよう面白おかしく言ってきました。
 正面から叱ったり怒ったり文句言ったりしたら生徒は節穴アイズ竹輪イヤーズになるし、なだめすかしても誉めて伸びるのは鼻だけだろうし、いずれにせよ生徒は自分に落ち度があり変化しなければならないという現実を受け入れずに済む解釈に向けて身体が動くように出来ています。何も自分の学年の生徒だけの悪口を言ってるわけじゃない、これは人間一般の性質です。ですから、面白おかしく笑わせる為だけに話しているよう振る舞うことで、生徒の裏読み欲求(真意は別にあるのではないかと探りたい欲求)を喚起する、という一点に賭けてるんですね。その程度の「疑り深さ」を生徒は持っている。保護者も持っている。以前、保護者会の会場で、学年理事をお務めのお母様から「先生は保護者を笑わせてらっしゃるけれど、実際は随分厳しいことを仰ってるように思うんですけれど」と、どうして正面から断じないのだと暗に叱られたことがあります。それだけの威厳と迫力とを備えていない私の問題ではあるのですが、正面から言われたとてそう簡単に納得しないのが人間だということでお許し願いたく思うのですね。以前、「私には出来た。物理的には生徒たちにも出来る」と学年通信に正面から書いたら、「F校を卒業して現役で東大に行った人間の上から目線」と文句を言われたことがあります。どーせーっちゅーねん、と。
 だから、「我が弱き心」が悪いのだ私は悪くないのだと開き直った「舞姫」太田豊太郎の醜悪を述べて、「頑張れ」の好意も「大丈夫」の励ましも他者からの言一切を封じ黙らせるという形で人間関係における最強の武器になるのは「弱さ」である、その「弱さ」には絶対に頼るな、ということを言ったんです。「弱さ」を武器にした人間は最強です、けれどもう立ち直れない。
 無論、文脈次第の話です。「『頑張れ』という言葉が人を(俺を)追い詰める」という定型句はある場合正論だし説得力もあると思います。だから私は、その言を発する人の表情を見るのです。その句を語る人が、正しさの勝利に、或いは弱さの勝利に酔いたがっているんじゃないのか、と心配しながら見るのです。

 さて、夜はまたまた博多一泊飲み会ですよ。
 バレンタインデーのお返しに飲みに行こう、となった60回生S嬢と、そのお友達Iくん、及び60回生担任団だった先輩先生と4人で、博多「T」にて宴会。絶品魚料理を頬張りながら、九大医学部・東大教養学部、でのお話しをお聞かせいただく。最近車の免許をお取りになったというS嬢にドライブに誘われたんですけれども……それは、倫理的に大丈夫なのかなぁ(安全面は、もう命預けます、で良いとしてもね)。