遊んでよ 遊んでよ 優しいあなた

 ……目覚めたら見事に5時。9時間以上寝ていたことになります。さすが、ふっかふかのベッドの力は凄まじい。そのまま布団の中でゴロゴロ過ごすのもあれなんで、24時間開いている露天風呂に再び入ってきました。何のために存在しているのか今イチよく分からない「水風呂」の浴槽に入ったのと、家族連れのお父さんが一緒につれて来た5歳くらいの男の子と3歳くらいの女の子との内の妹さんの方がやたらフレンドリーに近づいてきたのと、が人生初経験(女湯に男の子がってのはあると知ってましたけど、逆もあるんですね)。
 朝食7時半。同じく島根名物を駆使したバイキングは、しじみ汁とフルーツジュース(キウイ・ドラゴンフルーツ・メロン・パイナップル)とが美味でした。後、ご飯のお供がたくさんあった中の「雲丹のり」というのが(名前だけでおわかりの通り)最高。

 元F校生現F校国語科教師、三度に一度は「出雲大社」を「伊勢神宮」と言い間違える。
 母「まさか……本当は伊勢神宮の方に行きたかったのに、距離が遠いから、私の身体を慮って出雲大社にしてくれたの? それとも出雲大社の神様たちにに嫌味が言いたいだけなの?」
 私「その二択しかないの?」

 ということで、本家族旅行メインの出雲大社です。
 朝食後直ぐにホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んで貰って「出雲大社まで」とお願いしたら、「稲佐の浜でお砂を集められますか?」と運転手さん。
 全然知らなかったんですけれども(ノーリサーチノープランで来たので)、出雲大社の中の素鵞社というお社の床縁下にあるお砂を頂いて帰ると、それをお守りにしたり土地に撒いてお清めをしたりが出来るということ。但し、ただ頂いて帰るだけではダメで、予め大社から1㎞ほど西にある稲佐の浜(国護りの伝承が伝わり、毎年「神在月」に神様を迎える行事が行われる砂浜)のお砂を集めておき、それと交換する形で頂く必要がある、と。
 少し遠回りになりましたが、私と母君とのお守りになるし、何より少し先に引っ越す新居を清めることが出来るということで、是非にとお願いして。浜のお砂を入れるためのジップロックまでタクシーの中にきちんと準備されており、大社までお客さんを送るときの恒例になっている様子。浜から大社までは、大きな道を通らずに、「神在月」に浜で神様を迎えた後の宮司一行が行列になって大社まで歩くという細い道を通って貰いました。その道はアスファルトの舗装も特別なもの(行列が通る時には、神様を見下ろすことのないよう道なりの家々に住む人々は必ず1階に下りるそうです)、両脇の家の玄関には竹筒で作った花活けが飾られておりこれは毎月1日に大社で清める聖なるものだということで、暮らしの中に信仰が息づく出雲の色々を教えて貰いながら、大社着。

 タクシーは二の鳥居の前で下ろしてもらい、珍しい下り参道を歩く。両脇に様々植えられた木の一つ一つに、図鑑を見て植物の名前を覚えるのがお好きな母君は興味津々のご様子。祓社、浄の池、三の鳥居、松の参道。順路を少し外れて、因幡の白ウサギをモチーフにした兎の像を見に行ったり。皇后陛下御歌歌碑、手水舎、四の鳥居。

 こういう所へはそうそう来ない(興味が向かない)私ですが、住んでるところと職業があれですんで太宰府天満宮には何度も足を運んでおりまして。受験期にお詣りをする太宰府天満宮と違うのは、参拝客に中国・韓国の人が全く居ないこと、そして出雲大社の参拝客は若い人の割合がとても高いこと。私が挙げた理由は「縁結びの神様だから」で、母君が挙げた理由は「ついでに爆買いが出来ないから」で、本当の理由は知りません。
 ご遷宮の名残(工事の跡や、遷宮記念品のプッシュ具合や)の残る大社参拝メインイベントは、勿論拝殿の参拝でして、間違えてはいけない出雲大社は「二礼四拍手一礼」。ここでもお願いすることは「母子心身健康、63回生大学合格」に尽きます。その後、母子それぞれが一体ずつのお守りを購入。私は母君の厳命により「縁結びお守り」を。この間の数学先生の結婚式で同席だった生物非常勤先生に「出雲大社なら絶対にご縁がありますよ! 私の友だちもみんな行った端からご縁が生まれてますもん! でも良縁は少なかったですけど、あはははははは!」という有難いアドバイスを頂いたことをお伝えすることは(雰囲気的に)出来ませんでした。
 ご本殿をぐるり取り囲む垣は反時計回りに回り、本殿後ろにある素鵞社にて、稲佐の浜のお砂とお社のお砂とを交換する。八岐大蛇を退治したあの神様が祀られているお社ですね。
 最後は神楽殿。大注連縄、確かにでけぇ。思わず写メってしまいました。因みに、神楽殿の横には、最近年の差婚が大変話題になった宮司さんと奥様とが住まわれているお家があるそうで。

 大社参拝の後は、おそらく殆どの人がそうするのでしょうが母子二人も例に漏れず「島根県立古代出雲歴史博物館」。先ずミュージアムショップに行って、母君がどなたかに渡すというウサギの入った一筆箋を購入。その後、カフェで一休み。ここでは冷やしぜんざいを半分に分けて食べたので、出雲そばとぜんざいというマスト名産2品は押さえたことになります。
 中央ロビーには出雲大社境内遺跡から出土した本殿の本物の柱、常設展は「出雲大社と神々の国のまつり」「出雲国風土記の世界」。圧巻は「青銅器と金色の大刀」と題されたコーナーの銅剣・銅鐸・銅矛ずらり、国宝ごろごろ。特別展は「東アジア交流の盛華 琉球王国」。展示品の中には漢文が書かれたものがたくさんあったのですが、それら一つ一つに何が書かれているのかをご説明していきましたところ、母君に「何でこういうものが読めるの?」と驚かれてしまいました。「何でって言われましても」

 大社と博物館とだけで3時間超、昼食は昨日のリベンジで出雲そば、人気店らしく15分ほど並んだ「荒木屋」にて、母君は割子そば、私は暖かい天ぷらそば(釜揚げではなく普通の)。一応のリベンジは終了、少食の母君は割子3段を食べることが出来ず、1段は私が貰いました。
 そこから10分ほど歩いて「出雲阿国の墓」。タクシーを呼んで、国の重要文化財に指定されているという「旧大社駅」へ。25年前まで実際に使われていた神社様式の木造建築、大祭の時にはお召し列車もやって来ていたんですよ~、というお話や、屋根の上には可愛い亀さんの像がたくさんあるんですよ~、というお話は、これまた朝と同じく蘊蓄豊富なタクシーの女性ドライバーさんから。駅舎にホームに線路にD51に、とお写メりしまくっている私を横に、これはちょっと想定外でお可哀想だったのですが母君はず~っと電話。移動中のタクシーの中で母君の携帯に福岡小倉の職場から電話がかかってきて、処理しなければならない案件が出来した、と。あの人やこの人や(誰かは知りませんが)に電話しては苛立ちを押し殺した職業的誠実を貫く姿は、息子に見られて気持ちの良いもんじゃ無いだろうから極力目に入らないように離れて僕お写メりに夢中になっちゃう。
 まだまだ電話が続く母君と、旧大社駅を出て北、大社方向に歩いて一の鳥居を潜ったらそこは神門通りで要するにお土産街、1時間ほど頑張ってようやく電話を終えた母君は職場への、私はHさんと「もりき」へのお土産を購入。

 お土産を購入し終わった段階で観光はタイムアップ、丁度一畑バスの「出雲市駅」行(30分に1本程度)に乗ることが出来たので、それに乗って帰路スタート地点の出雲市駅へ。
 昨日と同じ「スーパーおき」で3時間超。昨日の往路では車窓パノラマは堪能できたものの同じ姿勢で3時間超はキツいと仰っていた母君が、しかし今日の復路は全く疲れることなく。理由は、一昨日の仕事がきつかった疲れが昨日はまだ残っていたからだろう、とのこと。私も一昨日の福教大は地味にきつかった。けれども母子共に昨日は上げ膳据え膳の夕食&ふっかふかのベッドで10時間弱の睡眠、がとれたおかげで今日のこの元気3時間超の電車もお喋りしている間にあっと言う間。
 新山口から小倉は20分、小倉駅近くの「湖月堂」で夕食。旅行帰りは疲れているからさっと食べてさっと帰りましょう、と仰ったのは母君なのに、何故そこで作るのに時間がかかりそうな松花堂弁当など注文なさるのか。短時間で来るのは単品ものということでさっさと届いたスパゲッティをすする息子を見ながら「私もそれにすれば良かった」と悔いる母君は本当に外食に慣れていらっしゃらないんだろうなぁ、と。そういう贅沢の一切を排して生きておられる方なのだと改めて気づかされて切なくなります。少食の母君は弁当を完食は出来ず、半分弱は私が頂きました。

 タクシーで実家に戻り、入浴即睡眠21時。