明日も元気だ みんな集まれ

 9時半に、自宅にてケアプランナーKさんと打ち合わせ。明日のK病院での手術は入院が不要(病院滞在は約2~3時間)ということで、S醫院からK病院、K病院から介護施設「I」までの母君の移動手段を決める必要があります。寝たきりの方の移動には救急車をお願いするのかと思っていたら、ストレッチャーがそのまま運び込める形の「介護タクシー」というのがあるらしく、通常のタクシー料金に幾らか上乗せする形式で予約が出来るそうで、その手配は既にKさんがして下さっているとのこと。介護施設「I」の申し込み手続きは、母君の手術が行われている間に私が一度訪問して行う(序でに荷物も運び込む)ということに。Kさんには言いませんでしたが、手術の間に手続きが終えられるなら、18時からの飲み会(63回生我ら文系A組)も遅らせることなく始められるかな、とか算段しつつ。
 Kさんに、母君には姉妹がお二人いらっしゃるんですがお電話でお伝えした方が良いでしょうか、疎遠な方々なので母もお二人も望まないかも知れませんが、と無茶な質問を。Kさんは凄く困ったお顔で、それでも連絡はした方が良い、と言って下さいました。まぁ、迷惑がられて私が叱られても、別に大したことはありません。

 打ち合わせの後、10時に母君の妹君(Mさん)にお電話。肺癌のことはご存じではありますが事ここに至るという状況はご存じではないだろうMさんに、姉妹間の関係は私の関知するところでは御座いませんのであくまでご報告のみ、と強調して。福岡市は西陣で小料理屋を経営なさっているMさん、お店のこともありましょうからご足労を強いる気持ちは微塵もなく、私からの次のお電話が墓所をお知らせするものであっても私は全く構いません、と。
 肝の据わった方でいらっしゃるから、「あぁ、そういう状況なんですねぇ」と適当な遠さで受け止めて下さり、しかし10分後の折り返しで昼過ぎにK市に来て下さることになりました。今日は、学校はお休み(自宅研修)です。

 昼前にタクシーでS醫院へ。今日は動きが読めないので自転車ではなくタクシーです。母君はややぼんやりしてお出でではありましたが目は覚めておられ、少し甘い物を召し上がって頂いた後、お昼過ぎにMさんがお出でになることをお伝えしました。「嫌なら今からお断りしますけれど」と聞けば、「大丈夫」とのお返事。抗癌剤の副作用で多少外見に変化がありますから、ただでさえの疎遠に恥ずかしさも加わりましょう。或いは、もうそういうことをあれこれ考えることのお出来になる状況でもないのかも知れません。これに関しては、お二人にお任せです。

 S醫院からJRの駅へは歩いて10分、お迎えに上がった新幹線の改札から出てくるMさんがその人であるということは、お会いしなかった30年超を軽く跳び越えて直ぐに解りました。母君によく似てお出でで、昔と変わらず美人でいらっしゃいます(私が3~5歳、Mさんが20代半ばの頃、は懐きまくっていました)。
 ご無沙汰をお詫びして、直ぐに歩いてS醫院へ。何しろ暑い、幾ら若々しい方でも還暦に手が届こうかという方を歩かせるのは心苦しく(ただ、タクシーの距離ではないんですよねぇ)。病室では、母君と二人きり、私は席を外して20分程。「私、M、判る?」という声を背に病室を出た時と、頃合を見て再び病室に入った時と、Mさんがお立ちの位置が全く変わっていなかったので、母君に触れられることはなかったのだということが判りました。

 S醫院からJRに戻る道、丁度半ばの位置に喫茶があるので、そこで1時間程お話。「池ノ都」という姓のルーツであるとか(正直、よく判らないというのが正直なところでして)、お互いの近況であるとかを。小料理屋を経営されているということで、そのお話を詳しく。ただ、場所や屋号等は伺っていません。行ってみたいという気持ちは、少しあるんですけれども。
 駅でMさんをお見送りした後、再び病室に戻って少しだけお話。JRからタクシーで帰宅した時点で15時半、入浴後に書斎で少しだけ書き物。

 夜は、小料理屋「A」~ライブバー「A」の梯子。2軒目は(この店にしては)早い時刻で、私と超常連Aさんとしか居なかったので、マイクを握ることなくマスターと3人でお話ししただけ。
 明日は、長い一日になります。