情けないほど思い出してすがりついて 手を繋いでまた明日

 1時間おきに目覚め続けて、4時に目が覚めた時に母君も目を覚ましておられるのに気づきました。お手洗いに行かれるかどうかを伺ったら「行った方が良いかもねぇ」というお返事。ならば肩を貸そうかと炬燵から出ようとしたら、母君が掛け布団を身体の上から外し、ぁよっこらしょ、と寝返りを打たれました。
 驚愕。
 昨日は寝返りは疎か腰を少し動かすことすら出来ない状態だったのに、いきなりそんなことされたら驚いてしまいます。これはもしやと、手をお貸ししたいのを我慢して凝視すること1分、2分、3分……と、トイレまで我慢できずに粗相をなさったりしないだろうかと心配になった辺りで、これまたぁよっこらしょ、と身体を起こされて布団(マットと合わせて高さ20cmほど)に体育座り(寝ている角度からすれば垂直に移動して、お尻は布団の上、足は布団の外)をなさって。
 感動。
 あら人間って身体が思い出したらここまで出来るようになるのね、とそろそろ手をお貸ししようかとしたら、母君は両膝に手を置いて、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ぷるぷると震えながら、それでも立ち上がろうとなさっており、4分ほど手を出しかねていた頃に、遂に、遂に、すっくと……は嘘ですね、スローモースローモーに、両の足で畳の上にお立ちに……なってよろめいて目の前の壁に手をつく(けれども転びませんでした)。これはあれだ、リアル『ハイジ』51話だっ! クララが歩いた!
 ここからは手をお貸ししてお手洗いへ。あ~た、あれですよ、身体が直立&歩行を思い出してくれましたよ。「全裸の母親と風呂場でフォークダンス」が、「夜着の母親と廊下をチャーミーグリーン」に進化しましたよ。うるうる。

 半年ほど前、自宅に戻ったら母君が折り目のついた折り紙を前に頻りに首を捻っておられました。どうしましたかとお聞きしたら、あれほど得意だった筈の折り鶴の折り方が幾ら思い出そうとしても解らない、と仰る。こういうのは手が覚えているものです、と母君の手を取り、新しい折り紙で2、3工程進めた後で手を離したら、その後はすいすいと折り進めることがお出来になり、「あら、どうしてこんな簡単なことを忘れていたのかしら」と不思議そうなお顔。
 あの時と同じだと思います。身体が足の使い方をふっと忘れてしまった。思い出したらもう大丈夫(だと思いたい)。ど忘れの原因は、そうですね、恐らく病院暮らしのストレスなんでしょう。

 お手洗いの後は、母君二度寝。私も一時間だけ二度寝した後、書斎で昨日のB組某くんのプレゼン資料添削の続きを。別に、早稲田大学学生寮に応募する小論文を添削して欲しいというB組某さんからメールが来ていたので、その文面の添削も始めました。今日は日曜日ですが、後期添削その他があるので通常出勤です。

 早朝に出勤して昼食を作りに帰宅したら、ベランダに洗濯物が干されていました。母君が乾燥機を途中でお止めになった様子。濡れた衣類は重かったことでしょう。

 学校での仕事は小論文添削及び面談。今日は早稲田大学学生寮レポート~鹿児島大~神戸大~長崎大~産業医大の流れ。昨日は母君の不調で昼の2時間以外一切仕事が出来なかったのですが、小論文連打が今日から開始ということで助かりました。若しも佐賀大医学部後期の志望理由書が昔みたいに3月上旬〆切だったら、昨日の私はパンク発狂していたはず。世の中、よく出来てますね。

 夜は、自宅徒歩2分の焼鳥屋「T」に初訪問して読書独酌。ここ、昨年末で閉店した焼鳥屋「K」の居抜きで、元々別のお店で働いていたマスター(まだ20代)がメニューを継承する形で(独自メニューもあり)最近オープンしたお店です。かつての「K」ファンだった関西数学先生はソースの引き継ぎを気にしておられましたが、串カツを食べた限りでは大丈夫なんじゃないかなぁ、と。但し、「K」で最も美味しいメニューだったお好み焼き鉄板はなくなっていたのでそれはちょっと残念。「K」の時代には冷酒が某酒蔵の「アル添」(非純米)だったのですが、「T」では「春鹿」の超辛口になってました。「春鹿」が大好きだという訳ではないのですが、これはちょっと嬉しい。

 今夜まで一応、母君の隣り(炬燵)で寝ることにします。