あたし 悲しいあやつり人形

 今更「キャンディ・クラッシュ」とか始めちゃったのは、毎回の上京旅行では必ず何か「人生初体験」をするという自分縛りのネタが尽きかけてるからなんですけれども、これ、落ちゲー好きの私には割と違和感。何というか、自分の計算とか意思とかの介入が不可能な大いなる力に操られてるような感覚がどうしてもなくならないんです。

 でもって本日は新年度のスタート。今年度の私は、70回生高1Aの副担任、及び進路指導部主任を命じられました。授業としては、70回生高1の古文(週10コマ)、68回生高3の漢文(週7コマ+特講1コマ)を担当します。

 さて、本日の日記。

 6時過ぎに健康起床の後、隣のカプセルホテルの大浴場で入浴・サウナ。池袋に移動してお気に入りのネカフェで書き物。開店と同時に聖地「ジュンク堂」本店を背表紙読書逍遙、籠いっぱいの本は荷物になるので一旦駒込ホテルに戻って部屋に置き、再び山手線で今度は渋谷、63回生A組「日常性の維持」担当Eくんとハチ公待ち合わせは11時45分……で、これが完全に間違いだった。渋谷の若者、新元号に興味ありすぎ。

 ここで回想。
 私が大学生だった(市が尾の県人寮に住んでいた)頃、サッカーのW杯が開催され、何だか知らないけれどもそれが国内で特別な盛り上がりを見せていたんですね。で、或る日の夜、渋谷のTSUTAYAにビデオとCDと(えぇ、ミレニアムの頃なんてまだ「ビデオとCDと」でしたよ)を返却に行こうと思ったら、ハチ公前が地獄の様相を見せておりまして。青い米粒で作った押し寿司が果てしなく広がっている感じ、こいつらよくこれで身動きが取れるなという、あれってフーリガンって言うんでしたっけ? 人に迷惑をかけるサッカーファンをそう呼ぶならあそこに居たのは全員がそれ、人語とは思えない雄叫びを上げながら、スクランブル交差点の信号が青に変わるたびに渡って戻ってをただただ延々バカみたいに繰り返してて、まぁあれは眼前で観なきゃ解んないと思いますけれども、悍ましい(生理的に無理)やら恐ろしい(本当にあの中に入ったら死ぬと思いました)やら、スクランブル交差点の向こうにあるTSUTAYAに入るのを諦めて市が尾に戻り、翌日延滞料金を払ったという。

 はい、回想終わり。サッカーに関しては、だから少なくともあの延滞料金くらいの実害を被ってる訳だから純粋な気持ちで応援するファンの行為に水を差すなとかいう意見には一切耳を貸さない、あんな泥蹴鞠ごときに何ぞの価値があろうか阿呆が……と、待ち合わせのEくんの顔を見た瞬間ぶん殴りそうになったのは我慢、こいつそう言えばサッカー部だったよ。
 で、ハチ公口11時45分の待ち合わせは完全に誤り。大画面の前は地獄の人だかりです。そういえば、新元号がこの後正午頃に発表されるんでしたね。昭和から平成に変わるときには国中が喪に服していた訳ですから(井上陽水のCM「お元気ですか?」が自粛により台詞カットになったように)、新元号なんざ知らんわ、と言ったら言い過ぎですけれども少なくとも発表見たさにハチ公前広場が地獄、みたいなことはなかったんじゃないかな(というか、そもそも昭和末のハチ公前広場って大画面なんてあったんですかね)。20年前の泥蹴鞠応援ゾンビ達と違うのは、若者達がお互いに譲り合って出来るだけ動かないように他の人に迷惑にならないように気遣っている風に立っていることで、20年で若者が急に優しくなったというのは考えられませんから(ハロウィンとかを思えば)、やっぱり元号というものの効力なのかも知れません。静かな祝祭ムード……
 ……に、私は全く興味が無く、E「せんせ~、元号観て行かんの~?」 私「どたわけ、元号ごときで予約の時間に遅れるとかありえんやろっ!」 と、若者押し寿司の間を軽やかに滑って駅から離れ、青山通りに向かいます。
 歩いている間に、スマホをちょいちょいと弄りながらEくんが「レイワ!」と叫ぶ。まさかのイニシャル「R」に一瞬では漢字が浮かばず(ご時世もあって、最初は「霊」を思い浮かべました)、歩きながら「令和」の漢字を教えてもらってもやっぱりピンときません。しかし、さっきは「元号ごとき」とか言いながらやっぱり話題はそこに集中して、E「Rだって、どうします? 令和18年って『R-18』ですよ。やらしいな~」 私「Eくん、やらしい方の『R-18』の『R』って何の略か知ってる?」 E「あれ、知らないかも」

 青山通りの「LATURE」は4月頭がお休みで、今回のランチは直ぐ近くにある別のフランス料理店「ラ・ブランシュ」へ。Eくんは勿論、私も初訪問です。
 1986年ですから時は昭和、その時から33年間一線で活躍の一流シェフだそうで、噂の「いわしとじゃがいものテリーヌ」は本当にビックリするくらい美味しかった。我々が注文したのは前菜・魚・肉・デザートの4種類を選択できるランチコースで(お酒はなしでガス入りのミネラルウォーターを注文)、私はズッキーニを詰めた烏賊、鴨のパイ包み、バナナのパルフェを選択。Eくんはメインに軍鶏を選んでいましたが、選んだ理由は「シャモ」という生き物の名前を生まれて初めて聞いたからだそうです。『味っ子』世代は遠い目をするしかありません。料理には総じて満足、但し「LATURE」でステーキを食べたときにも思いましたが、鴨だけはやっぱり「もりき」に軍配です。
 シェフ(70代)の方は、最初と最後と、店内全てのテーブルを回ってご挨拶やお話やをして下さいます。心地よいフランクさで、福岡から来たという我々若輩にも名物や美味しいものの話を聞いて下さったりと心づかい。でも、往々ある通りキッチンではとても厳しい教育者でいらっしゃる様子で、流石4月1日年度初め、入店直後なのであろう見習いさんを叱る厳しい声は、我々の居る席にまで漏れ聞こえてきました(お運びがちょっと心許なかった若い男の子だと思います。頑張れ~)。
 さて、「日常性の維持」担当のEくんは、もう書いても良いよね、超巨大企業「R」社から(1社だけ受けて)内定を貰っていたんですけれどもそれを蹴って大学を休学、現在は岐阜や北海道やを行き来しながら、大学(教育学部)の研究室と組んだ地方創生の活動の一環として、日々子どもたちとのワークショップに尽力している最中。私「要はプーなんでしょ? ニーティー?」 E「ニートじゃねーわやることいっぱいだわ忙しーわ」 私「こんなとこで飯食ってる暇もねーわ?」 E「それはある~、シャモうまい~」 私「もう『R』社には行けないんだよね?」 E「う~ん、多分。人事担当の人、内定出した相手に蹴られたら××万円くらい損するんだよねぇ」 私「あぁ、それはもう土下座した後頭部をピンヒールで踏んで貰っていいやつだねぇ」
 徹頭徹尾下らない話やら下ネタやらで盛り上がって、こういうオシャンティな店でこんな駄弁が許されるのか格式とは何ぞや……などと流石に二人とも遠慮がちな気分になりかけた丁度そのタイミングで、実在したんだこんな青年実業家みたいな空気のアラサー、とその後輩くん20代前半が二人で入店してきて我々の隣のテーブルに座り、おぉこれは金持ってんぞシェフの方とも馴染みの様子で話してて注文も我々には紹介もされなかったランチ10000円コースをメニューすら見ずさらりと、というのにほぅほぅと思ってたら、その二人の最初の会話が、実業家「今日、何でタートルネックなの?」 後輩「昨日、知り合いの娘と飲んでて、成り行きで家で二人で飲み直してたら、もうどうしても断れない雰囲気になって、仕方なくだったんですけど何か割と凄くて、今ちょっと首晒せない感じになってるんす」 実業家「あぁ、そうなんだ」って。
 店出てから、Eくんと二人で爆笑しました。

 お祖父様にプレゼントを購入したい、森田真生の新刊エッセイを買いたい、というEくんの2つのミッションにつき合うつもりで、先ずは最初に徒歩徒歩と原宿まで。お祖父様のプレゼントは「かまわぬ」で手ぬぐいを買おうという算段……だったのですが、残念ながら原宿「かまわぬ」は店休日。結局、我々の興味関心には掠りもしない目抜き通りを観光散歩して、今原宿では哺乳瓶に入ったドリンクとひもを引っ張ったら耳がぴょこんってなる兎の帽子が流行っているというのを視認するだけで終わりました(スマホの検索履歴に「原宿 哺乳瓶」というのが残りました)。あと、原宿の目抜き通りを上から見下ろせる(だから目抜き通りでは下から仰げる)でっかいビルのワンフロアに入ってた不動産でインターンをしていたEくんが、正社員が行った阿呆みたいな粉飾がマスコミによって明るみに出るタイミングで馘首になったという香ばしいお話を聞きました。粉飾、「0点」のテストの「0」の横に「3」を書き加えるみたいな杜撰なやつでした。

 「かまわぬ」を諦めきれないというEくんを連れて向かったのは新宿駅(今度は山手線に乗りました)。新宿には「小粋」という系列店があり、そこで満足のいくプレゼントを買えたようでEくんはホクホクしてます(この人、本当に「ホクホク」という言葉が似合う歓び方をするんです)。私も、偶然目に入った手ぬぐい製の祝儀袋を購入。これは、5月の56回生Iくんの結婚式の時に使いましょう。
 序でに駅構内の(やたらと意識高い系の)書店で森田真生のエッセイも見つけて、そのタイミングでEくんとはお別れ、Eくんはバイト、私は飲み会です。

 一旦ホテルに戻って入浴・サウナ。山手線で駒込~池袋。今夜は63回生Sくんとさし飲みで、店は年一レベルで訪れる「酒菜家」。Sくんとはこないだの東大応援下見の時に飲んで爆発して(いや、爆発したのはSくんの方ですよ)以来、一ヶ月ぶりの再会で、名目は勿論、下見の御利益による大量合格を感謝する夕べ、みたいな感じ。
 流石年度初め(4月1日)がドストライクで月曜日、ともなると流石にそうなるのか、相当な人気店である「酒菜家」が18時ガラガラで(我々が入店2組目)、店員が客の人数の5倍は居るという状態。座ってて不安になる(今日は酒なんて飲んじゃいけない日なんじゃないか、という疑いが兆す)レベルだったのですが、お陰で日本酒担当の店員さんを1人独占できて、日本酒ビギナーのSくんにも色々な銘柄(主に「もりき」ラインナップ)を色々と味見してもらいました。私の「これは甘い/辛い」というのとSくんの「これは甘い/辛い」というのとが大分違っていて、その違いも面白いんですけれども、メニューに書かれている「日本酒度」と照合してみると「甘い/辛い」判定が数字に忠実なのはSくんの方で、銘柄を紹介している私の方が日本酒の味を判っていないというのも何だか面白く(私は「もりき」マスターから己が美味しいと思う感じ方選び方で良いと言われたその言に服していますので)。

 さて、池袋で飲み会をやるなら必ず訪れたいのが韓国料理・焼肉の「韓二郎」か現地系中華の「知音食堂」で、本日選んだのは後者。さっきまで味わった「繊細」を秒でリセットしてくれる激辛料理を青島ビールのラッパ飲みで洗い流す。予定が合えば3人で一緒にと言っていた経産省Tくん(本日この日から官僚出世街道爆走だ!)とSくんの電話で話して内容を忘れて、前回とは逆に今日は私の方がSくんより酔ってるよなぁ、というフワフワした状態で店を出てからSくんとお別れしました。
 健康(?)就寝の間際にSくんから「無事に帰り着きました!(大意)」というメールが届き、私はSくん(と、ヨーロッパ卒業旅行をご一緒したというTくん・Nくん)から戴いたクロアチア産高級ネクタイの御礼のメールを……あれ、送ってから寝たんだったか、起きてから送ったんだか、それも忘れてますね。