こりゃまた失礼いたしました!

 見る人から見れば「スカした野郎」に見えるでしょうし、少し知り合った程度の人には「東大出身でF校の教員」って肩書きは圧が感じられたりするんでしょうね。稀に、飲み屋で知らない人に絡まれたりちょっと知ってる人に心外なことを言われたりします。
 嘗て繁く通った某店では、良くして下さったずっと年上の常連さん(ママさんと3人でお寿司を御馳走になったこともあります)が別の人に私を紹介して「この人は東大だぞ、皆のことをバカにしてるんだぞ!」と仰ったことがあり、こちら側に傲慢の芽があるならそれは反省だし消臭不足とか被ってる猫がズレかかってたりとかいうミスもあらぁね、と思いつつ笑って流して二度とその店に行かなくなったのが8年だか9年だか前の話。
 先日は、スナックで見知らぬオッサンから「俺を馬鹿にした目で見た」と突然激怒されてビックリ。カウンターで4つ離れた席に座ったオッサン、少なくとも私が入店した時には居なかったから後から来たんでしょうけれども、申し訳ないけどいつ来たか知らないし顔も怒鳴られてから初めて見たんです。「馬鹿にした目で」というのを否定する前に「見た」を否定できます。で、怒鳴られて初めてそのオッサンの顔を見たら「ほらその目だよ舐めやがってオモテへ出ろ」となる。あのね、見てもない相手から「馬鹿にした目で見た」とか因縁ふっかけられたらそらその自意識過剰っぷりを「馬鹿にした目で見る」に決まってんだろ、と。周りの方々が取りなして下さって事なきは得ましたけれども、向こうの方が常連さんっぽかったし(私は訪問回数がギリ2桁ってところ)、もう私はお呼びじゃない客になったかなぁ、と思っています。
 謙虚は美徳、ですが卑屈ではないことと傲慢とを混同する愚は避けたい。出身大学を「東京『の』大学」と言わない東大生は傲慢か、と考えたら秒で理解できます。これを傲慢と呼んで自らスライディングしてくるタイプの当たり屋、「マウンティング」や「ハラスメント」が可視化されて社会が良くなって行くのの副作用みたいな形で最近ぽつぽつ目立つようになってきた気がします(小学校の教室とか深夜の飲み屋とかには昔から居ました)。完全な弁別は不可能でしょうから難しいですが、少なくとも潤滑油としての卑屈を強いられる覚えはないしそういうスライディングに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」みたいな言葉を利用しようとする小賢しさも嫌いです。ちょっとニュアンスはずれますが、2年ほど前に出た前川ヤスタカ『勉強できる子卑屈化社会』は学級文庫に入れてましたね(優れた本かと言われれば返答に困りますが、本の中の「あるある」があまりに「あるある」なのでした)。
 とまぁ、F校~東大~F校という流れで実社会に出ることなく生きており、学校の外でも「もりき」マスターとかHさんとかのようにこちらに卑屈を強いることなく傲慢は叱って下さる「大人」に囲まれている幸運を享受している立場だからこそ言える「贅沢」なのかも知れませんが。あと、K市みたいな田舎じゃなくて都会ならもうちょっと生きやすいのかな。

 3時に目が覚めて眠れず、且つ書斎でやる仕事も特になかったので、久しぶりに早朝の日記更新(5日分、90分)。お風呂、朝食作成の後出勤。
 本日は1限・5限・6限に実習生Hくんの授業立ち会いがあり、2~4限の時刻を使って自宅で母君に関する所用を済ませるという忙しさ。教育実習の指導(って程のものではないですが)をしながら、自分はリアル介護実習です。自宅には来客2組、最初は母君の要介護度調査のヒアリング。現在は要介護1の認定を受けていますが、足が萎えて以降は評価も変わるだろうというケアマネさんの予想(「要介護3~4では?」と言われました)。もう1組は介護用品の会社の人たちで、レンタルの介護用ベッドの搬入です。車椅子と寝所との移りは、床に直に敷いた布団ではもう難しく、椅子と同じ高さのベッドを使った方が良いだろうという判断。緩やかな下り坂は、徐々に滑らかさを失って階段のような形状になってきたかなぁ、と。
 5・6限の立ち会いの後は、再び自宅に戻って母君を眼科にお連れしました。左目が異常に赤くなり爛れて、これは黴菌の影響だということで目薬を処方して戴き。自宅直ぐ近くの眼科は私一人なら徒歩5分の場所にあるのですが、車椅子さんを連れるならタクシー利用になります。往路復路とも1メーターで申し訳なく。