わかった時にはもう一里も二里も先にいました

 もう1ヵ月以上授業が出来ていないのが欲求不満なんでしょうか、夢の中で授業を行いました。見知らぬ回生の人たちの高3漢文をやっています。40人クラスの2/3が埋まっているところを見るとどうやら文系の東大二次対策、ってところでしょうか。板書向かって右端に私の名前その他自己紹介が書いてありましたので、どうやら年度初回らしいのですが、読んでいる本文は漢詩なんです。例えば97年の趙翼とか11年の白楽天とかなんだと思うんですが、いずれも東大漢文の授業の初回で選ぶ教材ではないので、授業をしながらそれが夢であるという自意識はありました。ただ、間違いなく覚えているのはその授業が完全に失敗(破綻)していたということ、夢と判っていてもその焦燥と恐怖とは目が覚めても残っており、二度寝が……いや、コロナ開けの初回授業が怖くなりました。

 午前中は書斎で仕事と書き物と。11時に出勤をして13時まで時間割のデスクワーク。今日はその後も学校に残り、14時に昨日皆で教材を詰め込んだ段ボール箱を引き取りに来る業者さんを待つ「居残り」をしました。近所に住んでいる生徒や、寮生で休校中の勉強道具を取りに来る許可を得た生徒が、体育館に立ち寄って(業者に任せず)直接段ボールを持って帰るという例も散見。ここで、本当に久しぶりに何人かの生徒と直接話をすることが出来ました。一様に「暇!」とのこと。でしょうね。

 退勤路の「梅の花売店」で売れ残り叩き売りの豆乳を購入。冷蔵庫に余った野菜を全部(人参・タマネギ・菠薐草・ベーコン・しめじ)突っ込んだシチュー擬(←読めます?)を作ります。何日か前の日記に書いたように、追い炊き15分の間に野菜を切って小鉢の準備、風呂上がり15分で調理の仕上げ、というリズムは変わりません。
 手際も味も良くない(そらそうだ、経験が圧倒的に足りない)独身自炊素人が、この15分・15分だけは絶対に間違えないのは、母君のお風呂のお手伝いと夕食の準備とを並行するということを長くやっていたからです。半年のブランクがありましたが、身体は覚えてるみたいですね。多分、やろうと思ったら、12時に学校を自転車で出て、自宅で昼食の準備と洗い物とを済ませ、13時までに学校に戻るという当時の日課を辿るのも可能だと思います(但し、あの時と違って、作った昼食を食べる方がいらっしゃらないのですが)。

 4/15の「自粛御膳」。
 ジャンボ冷製茶碗蒸し・豆乳シチュー・小鉢2種。
 「お前が自炊? まさか!」と一聴俄に信じ難いという同僚に、記録用に写メっていた「自粛御膳」を見せたら、「うん、やってるのは判った。疑って悪かった。でも、日本酒の4合瓶の銘柄がほぼ毎日変わってるって事実の方が強烈だな」