急ぐのです ああなんか いい事ないか なんかなんか

 ロビーで待ち合わせは9時45分ですが、いつもの癖なのか6時過ぎには目が覚めてしまいました。ホテルに泊まるなら朝食はもりもりと食べる訳で、バイキングが充実していたので大満足。ふぐ飯・ふぐ雑炊・ふぐ唐揚げ。ご飯物3連発で白米に納豆も。焼きたてのスクランブルエッグも美味、デザートのとろとろプリンも美味。その後、7時の大浴場で1時間。屋上露天風呂は昨日同様雪がちらつく風情。
 9時にチェックアウトをして、ホテル徒歩3分の下関駅へ。カフェでアイスコーヒーを飲みながら読書。40分にホテルに戻り、下で他の2人の先生と合流しました。

 ら、屋外駐車場に停めておいた体育先生の車、フロントガラスに雪が積もってガッチリと凍っています。これを払ってこそいでに10分以上かかったんですが、その間10分が寒くて寒くて耐えられない(耳がちぎれそうです)。私と体育先生は人生初下関ですが、異常気象の街として脳に刻まれることになりました。
 平日の唐戸市場、10時にもなれば既に競りは終わり、一部の店舗で観光客相手の商売がひっそり行われているだけです。繰り返しますが寒くて寒くて耐えられないので、3人とも滞在時間は20分、他の先生がふぐだなんだをご家族に買い漁っているのを横目に、私は鯨の赤身(冷凍)を2本購入しました。1本が300g程度かな、通常のものは1500円、特選と書かれた(サシの入った)ものは3000円でした。「もりき」に持って行きます。お土産にしてお店で使ってもらってもいいし、我々に切ってくれるなら美味しくいただくし、どうとでも。
 後は、B組41人にちょっとしたクッキーを買ったら全ての買い物はお仕舞いです。

 さて、唐戸市場の店員さんに「寒波、福岡は大丈夫ですか?」と聞かれて「余裕っすよ」と答えた我々3人。実際、寒いのは限界レベルなんですけど、山口の雪は朝にはほぼ止んでいたので、我々はこの寒波を舐めていました。
 帰りの高速に乗って、大橋を渡った辺りから吹雪き始め、小倉を過ぎる辺りはワイパーを最大活用しないと前が見にくいレベル。古賀に着く頃には20㎞の渋滞で、上りでも下りでもスリップ事故が起こっていました。おかげで、懐メロのCDが進む進む。

 福岡・筑後は全くの晴天で、結局小倉辺りが一番酷かったことになるんですが、古賀の周辺は我々が通り過ぎた30分後くらいに閉鎖されたそうなので間一髪、唐戸市場の観光に時間を費やさなかったのが正解だったということになります。
 学校に戻ってからはデスクワーク。先々の授業準備や学級通信の作成、ため込んでいる高3の添削などをガシガシと。

 夜は「もりき」にお土産(鯨)を届けて、ここまでが旅行です。
 山田風太郎『半身棺桶』読了、★★★★。『半七捕物帳』全話の体系化、矛盾点指摘の仕事は本当に見事でした。総文字数の8割方がネタバレのために費やされている文章なので、今では発表が許されないかも知れませんが。あ、私、この人の『戦中派不戦日記』を学級文庫に入れてませんね。大事な大事な本を忘れていました(『臨終』4冊と迷うところではありますが)。
 富澤一誠『俺の井上陽水』読了、★★★。当時はこういうタイプの評論が許されたんでしょうかね。自己の人生を過剰に重ねて、或る種一つの「物語」としてのアーティスト像を造形する仕事。ここに描かれたアーティストは「フィクション」ですが、当時の筆者なら「俺の井上陽水はこうなんだ!」と熱く主張するんでしょう。ただ、描かれた時代の様子、特にトリビアルな出来事は色々なものを象徴する「かのように」見えて面白い。エンケンの「ワルツ」に陽水・エンケン・筆者(と、それぞれのパートナー)が集まった話とか、陽水が年間アルバム総売上枚数1位を取った年の2位がチェリッシュだったという事実だとか、何だか面白いですよね。