夜の底は柔らかな幻

 午前中は書斎で、午後は学校でデスクワーク。買い物がてら西鉄市街地に出て、デパートで食材を買ったり、ネカフェで1時間ほど日記を更新したり(3日分)。この日記は、念のため(出来事を書いていいかどうか見極める時間をとるため)現在は2週間程度遅れで公開するようにしていますが、二次試験が行われるあたりには(担任としての生徒との接触がほとんどなくなり、自分だけのことを書けばよいので)実際の日付に追いついても大丈夫になります(追いつくかどうかは気分次第ですが)。

 夜は「もりき」に行こうとしたら満席(小上がりとカウンターとに鴨の団体が2組)で断られてしまい(ついに常連を追い返す店になった!)、タクシーで市街地に出て小料理屋「A」~うどん「M」~ライブバー「A」という流れ。身体に悪い。

 久米小百合『ふたりの異邦人 久保田早紀久米小百合自伝』読了、★★★★。かつて一世を風靡したシンガーソングライターの自伝。
 「異邦人」は1979年のヒット曲で私が生まれる前年、そして彼女の引退は私が小学校に上がるか上がらないかのことですから、勿論リアルタイムでは彼女の芸能界時代を知りません。ただ、私は間違いなく久保田早紀のファンで、中学時代には所謂「CD選書」として復刻発売された彼女のオリジナルアルバムは全て購入し、ユーミンの次にたくさん時間を割いて聴いていました(その後、中島みゆき矢野顕子を聴き始めてから相対的に時間が減ることになりましたが)。例えば私の中では羽田健太郎はもう完全に「『異邦人』でピアノを弾いていた人」であって、中島みゆきの「時代」や五輪真弓「恋人よ」でのピアノというのは「あら、そんなこともやってたの」みたいな感じ。作曲家としての活動だとか『題名のない音楽会』とかは、余技も余技みたいな(言い過ぎかも)。
 さて、ユーミンの毒舌として紹介されることのある「異邦人」評、「ミュージシャンって、誰でも生涯に一曲は名曲を書けるもんなんだけど、 彼女はもう書いちゃいましたね」というのは、まぁ言い方は如何にもユーミンらしいものではあるんですけれども、取り敢えず大絶賛だと言っていいんじゃないでしょうか(久保田早紀は八王子の出身、学生時代からユーミンに憧れる少女でした)。デビュー曲のインパクトが強すぎてその後の印象が薄いミュージシャンではあるのですが、短い活動期間の中で残したオリジナルアルバム群はいずれも素晴らしい作品で、「彼女は『異邦人』だけの人じゃないぞ」というのが往年のファンの(後乗りの私も含めた)一般的な感想だと思います。でも、この自伝を読むと、それもまた狭い捉え方だったことが解る。
 自伝には、僅か5年程度の活動期間において彼女が一貫して芸能界の「異邦人」だったこと、そしてその後の30余年の子育て、宗教活動(学生になったり世界中を旅したり)、チャリティー、等々こそが本領メインの人生だったのだということが詳述されています。正直、宗教・教義的な内容についてはあんまり興味はないです(本の中での書かれ方は全く押しつけがましいものではありません、念のため)。が、その空間・人脈が彼女に最適な居場所と充実した活動を提供して人生を豊かにしたというのは素晴らしいことだと思います。
 あ、そうそう。本の中の彼女の写真、還暦の近影も含めて、やっぱり美しいです。好き。数年前、彼女のチャペルコンサートが新大久保で行われるその会場前を通りがかりながら(入るチャンスがありながら)別件でスルーしなければならなかったことがありました。あれは惜しかった。探せばこういうチャンスはあるのかなぁ。まあ、取り敢えず、先ずは、もうしばらく聴いていない彼女のアルバムを引っ張り出してみることにします。