どーすんの!? オレ

 自分でやった時間割変更をど忘れしてて、3限からだと思ってた高2現代文を急遽1限にやることに。授業・資料プリントは準備していたものの、話す内容や板書計画は完全に白紙(タブラ・ラサ)の状態。扱う材料が内田樹「越境・他者・言語」という、大学時代に初めて読んで以来の「聖典」の一部じゃなかったら完全にアウトでした。生徒に対し何をどのように話し書くべきなのか、単独者として「私の判断の〈正しさ〉を客観的に査定しうる者が誰一人いない局面において、なお〈正しい〉と信じた行動を実践する」って、正に1限に於ける私(教員)の立場。教壇がアブラハムが息子の燔祭を迫られた時のモリヤの丘になってる。で、困った時の「聖典」頼み、こういう時は手持ちの道具をブリコラージュするしかないっていう内田先生のお言葉、本当に実感しました。小学生は「家郷」の言葉を学び、中学・高校と上がるに従い、英語(共時的異語)、古文(通時的異語)、漢文(通時・共時的異語)と、「異語」と葛藤する「越境」への修業、即ち言葉の修練を積む、という流れ(大昔に中1生徒に「古文」と「英語」を中学に入って習わなくてはならなくなったのは何故と聞かれて思いつきで答えた内容)がパッと浮かんだ瞬間、内心ガッツポーズ。まさにその時扱っている教材「越境・他者・言語」の文中に秦の始皇帝の例が書かれていたお陰で閃いたのです。
 ってまぁ、己がやった時間割変更を忘れてんなよ、って話ですけど。

 夜は、飲み友達でK市の母、Hさんち(第2の実家)にお呼ばれしてお食事。Hさんちでご飯をご馳走になるときは、お酒を持ち込むのと1000円払うというのが義務になっています。前者はHさん家の冷蔵庫の中の状態によっては持ち込み不要になることもありますが、後者は絶対。それを貯金箱に入れておいて、一定以上たまったら食事に行くか旅行に行くかしよう、という計画。1年弱で2万円とか溜まってるんじゃないでしょうか。朝ごはんのオニギリ1つでも、夕ごはんのすき焼きでも、等しく1000円。