星は何でも知っている

 よく言うのですが、全入試科目の内、現代文の教員だけは「●●学」的な学問のスペシャリストではありません。ですので、それ以外の科目の先生がスペシャリストを目指すのとは若干方向性が異なり、現代文の教員が自らを教員たらしめようとするなら、ジェネラリストを目指す徹底的な読書と、教壇の上で(決してそうではないのに)あたかも既に自らがジェネラリストであるかのように振る舞う詐術とが必要になります。数年前、某塾から取材(塾卒業生の仕事を紹介する塾内雑誌コーナー)を受けました。その時に、現代文の教員の仕事とはと尋ねられ「ジェネラリストを演じるトリックスターである事実を自ら引き受けること」と話したら、実際の記事では「ジェネラリストになるべき」とだけ。小学生用に語彙は易しくしても内容が真逆になってしまったら困る。メディアってこんなもんですよね。って、別にそれで私が困った訳ではありませんが。

 本日は、昨日の気絶の二次会。東大特講、京大特講の添削をガシガシ。東大バン4時間と京大バン4時間、午前午後の添削バンズで挟む具は、A組生徒某のお母様から依頼された二者面談。途中、日曜登校の生徒某も交えて三者面談になり気づけば2時間喋ってて、意外と具の大きいハンバーガーになってしまいました。

 明日は文系二次対策授業で林達夫を読むので、今日の読書は『歴史の暮方』をパラパラ。こういうことをやってるから、「読了」の本は殆ど増えません(新しい本はどんどん買っているのに!)。高3現代文をやってたらしょうがないですね(何しろ一回の授業で過去問1題、一週間に10種類近くの教材を扱う訳で、一週間~半月で一つの教科書教材を読むという高2までの授業との差は歴然)。ただでさえ、高3現代文をやると一週間で添削の時間が24時間とかになって読書の時間が減るのに。

 とか言いながら、キノコホテルの新作『マリアンヌの呪縛』なんぞ聴いてみたり。★★★★。作風が好きなバンドなので、できればもう暫くマンネリでいて欲しい。清水のみっちゃんが「もう少し売れたらモノマネしたい」と以前ブログで仰有っておりましたが、さてさてその日は来るのでしょうか。