それでさよなら また会えるといいな

 5時前に起床(何せ昨日は純健康睡眠でしたので)、大浴場で湯浴みの後、漸う明るくなるかならないかの時間にホテルを出ました。昨日は近づかなくて良かった渋谷、という狂乱の夜だったらしいですが私の定宿がある池袋西口もなかなかで、道行く人々は仮装メイクそのままだったり完全には落とし損ねた状態がホラーだったり、と。そういう日曜の夜明けだったのでお気に入りのネカフェは北口店も東口店もどちらも満席、仕方なく近くで空いてた初訪問のネカフェで2時間ちょっと(これが割と居心地が良かったので、池袋の第2候補として会員カードは破棄せずに取っておくことに)。
 池袋→新宿→芦花公園、初めて降りる駅。駅を出て右に曲がって徒歩5分(無季)、で到着の「世田谷文学館」までの道すがらに成城石井だったり洒落乙なジムだったりがあって高級住宅街(でも、緑の多い閑静な住宅地然としてかなり居心地がよさそう)。10分前に到着(一番乗り)したので、建物を囲うお堀の中の鯉なんぞを眺めながらぼ~っと。

 時間通りに警備員さんが開場した文学館はかなり新しい作りで歴史が浅いのかな(調べたら1995年開設でした)。目的のイベントは「筒井康隆展」、そこまで広くない2階展示室をかなりアクロバティックなデザインで埋めていた印象。筒井康隆の全貌なんて一度や二度の展覧会で見えるはずも、と思っていたらかなり充実した内容でびっくりしました(90分しか居られなかったんですけれども全然足りなかったです。常設展は全て無視しました)。
 順路に即して歩くと、0歳から80余歳までの筒井氏年表がうねうねと蛇行する川のようにずら~っと続き、その年表の切れ目から後ろの空間を覗けば『時をかける少女』コーナー、「断筆宣言」コーナー、「筒井康隆劇場」コーナー、「筒井光子」(奥様)コーナー……と幾つもの小スペースが発見できるという多次元宇宙構成。生原稿は勿論、壁の至る所に印刷された複製手書き原稿に目を奪われたらもう終わりで、スルーしようスルーしようと思っていたのに、「日本以外全部沈没」の1行目を「つい」読んでしまった瞬間にそのまま作品世界にす~っと、みたいな感じ。多分、フロア内に一切の空隙を作らないというそのことが筒井氏の存在様態を象徴している、という線を狙ったのではないか、と。90分で足りない所以。

 見切った見尽くしたという感覚を一切得られないまま時間に追われるように文学館を出て(図録と、この後会う63回生Eくんへのお土産にグッズの栞とを購入)、芦花公園→新宿→目白。

 目白で待ちあわせのお相手は、63回生我らA組「日常性の維持」担当Eくん、東大文系現役から就職先はリクルート。今日の目白はランチ利用、この駅で降りるのは以前「春画展」を観に「永青文庫」を訪れた時以来2度目です。
 で、向かう先はちょっと前に知って気になってたフレンチ「ル・ヴァンキャトル」。徒歩10分の道すがらのトーク中に「でもさぁ、就職ってあれですよねぇ。もうちょっとモラトリアムっていうか……モラトリアムってそんなに悪いですかねぇ?」とEくん。「財源捻出のお父様お母様にはそれ、言っちゃダメだよ」とだけ返しましたけれど、お前、5分後に入るフレンチの代金を誰が持つか解った上でその台詞なんだよな、とは思いました。その喧嘩買ったる。

 ランチはプリフィックス(前菜と肉料理とを選択、スープ・魚料理・デザートは日替わり)の5皿構成で4000円。夜もそうなのかは分かりませんが内税でサービス料金なし、ガス入りのミネラルウォーター(500mlが600円)を1本ずつ注文して後は水だけで終わらせた(夜のライブに照準を合わせてノンアルコールです)ので、2人合わせて料金は9200円の明朗会計。相手がモラトリアムなんで全額出しました。因みに、筒井康隆展の栞をお土産に渡したら、代わりに本の雑誌編集部『絶景本棚』を手渡され。これは出た頃に買おうかと思ってその時スルーしてた本で、今日出会う運命だったようです。お土産交換の金額は完全に敗北、モラトリアムの癖に生意気です。
 さて、その「ル・ヴァンキャトル」は20席程度のテーブルが全て予約満席、我々が食事をしている間に飛び込みの人たちが3組ほど断られていました……というか、この店構えに飛びこもうってどんな勇敢、じゃない有閑だよ、と思います。我々2人がけのテーブルは「38歳男性、22歳男性、高校の教員と教え子、16回生離れた先輩後輩でもあり」という人員。それで言うなら私から見て右には「30歳男性、25歳女性、大学の先輩後輩が社会人として再会」、左は「35歳男性、30歳女性、会社同士の付き合い、プライベートで会うのは初めて」みたいな感じ(漏れ聞こえてくる会話から)。右の30歳男性は起業家の右腕で働く副社長的ポジションらしく「今度うちの会社が白金にビルを」とか景気の良い感じ。左の30歳女性は半分プロなのか演劇をやっているようで「舞台の上では……」と語りながら別の話題で35歳男性から「お酒は飲まれる?」と聞かれて「いえ、あんまり……でも、お相手に合わせます。どうぞご注文なさって」とカメレオン女優。Eくんと目配せで「右も左も活きがいいのぅ」と。

 どちらも6、7種類の選択肢から選べる前菜と肉料理と。肉料理に「本日の内臓料理」というのがあり、唯一「本日の」がつくような自信作が内臓料理だというのが珍しかったので、私は前菜をレバーパテの冷製、肉料理を内臓料理にしました。Eくんは前菜をアオリイカのサラダ仕立て、肉料理を和牛のパイ包み焼きに。ギャルソンが「本日はメニューに入っていないアオリイカが偶然入りまして」と言った瞬間に顔を上げたからもうそれ一択なんだなというのが分かりましたし、腕白だから肉料理は牛肉以外目に入らないだろうし、ということでメニューが下げられた後で。
 私「和牛以外の肉料理、何があったか知らないでしょ?」
 E「そそそそんなことないですよ、ただ固有名詞が多くて言えないけど……」
 私「鴨・鹿・豚の何が固有名詞だよ。『牛』の字以外モザイクだったよな、絶対」

 そんなぼてぼての田舎教師及びお上り大学生が何故か帰りしなにシェフから「もしかしてご同業(料理人)の方では?」と聞かれる。「いえ、教員と元教え子です」とお答えしたら「注文の仕方で若しかしたら、と」とのこと。先日オツカル様と行った青山「ラチュレ」のギャルソンさんにも同じことを言われました。その時も今回もリップサービスをする価値などこれっぽっちも無さそうな二人連れですから、恐らく「ウチみたいな店にそんな気安い格好で来てんじゃねーよ」というような意味を表す業界の符牒なのかも知れませんね。

 私「……フレンチ食べながらガリットチュウ福島の話でゲラゲラ笑ってるようなオッサンと糞ジャリが」
 E「料理人の筈がない! 恥ずかしいっ!」
 私「両脇の実業家然とした若い人たちのスーツが決まってて」
 E「俺らのダサさが!」
 私「だって、白金に自社ビルだよ? 人生のステージが違う。やっぱ行っちゃいけない店だったんかなぁ」
 と大笑いしながら目白駅から池袋駅へ。
 私「でもさ、あの左の2人。白ワイン飲みながら日本酒の話してるの、聞いた?」
 E「聞いた聞いた、流石に俺もおいおいおいおい、って思った」
 私「よね? 『日本酒は、どういうのがお好きで?』『えっと、純米が好きで……純米吟醸はちょっと』『そうですよね~、私も同じなんですぅ』ってどんな会話だよ、と」
 E「中身ねえっ!」
 私「でもって言えば良いと思っているのか、決め台詞が『獺祭は今イチ』『あっ、同じですぅ』」
 E「獺祭に謝れっ!」 

 そうそう、ランチ、とても美味しかったです。前菜レバーの付け合わせについてた鶏冠のフライは人生初経験、ヒアルロン酸感溢れる食感でした。魚料理は鯛のポワレ、皮がパリッパリ(パリッパリの皮は正義)でサフランのスープも美味。内臓料理は牛のシビレ(胸腺)でした。
 私「……でもさぁ、ランチコースを2時間半もかけて食べてさぁ、一番印象に残ったのって、やっぱり『牛さん』だよねぇ」
 E「うん、『3種類の牛さん』」
 料理は全てギャルソンが説明を加えてくれるのですが、恭しいトレエン齋藤さんみたいな人がEくんに和牛ミンチのパイ包みを提供する時に「こちら、それぞれ産地の違う3種類の牛さんをミックスして……」と、
 私「さっき、確かに言ったよね?」
 E「うん、言った。『牛さん』って言った」
 私「……可愛いね」
 E「……面白い」

 目白→池袋、聖地ジュンク堂本店への巡礼を以てEくんとはお別れ。プログラミングを本格的に勉強し始めたというEくんに連れられそれら本が置かれているコーナーに初めて行ってみましたが、もう全く異世界で訳が分かりません。

 ホテルに戻って入浴、直ぐに出発して向かう先は吉祥寺(池袋→新宿→吉祥寺)。17時50分に北口集合は私、63回生A組からIくん、Mくん。今回の上京の目的である高橋徹也のライブに、バンドマンMくん、最近ドラムを始めたというIくんとを誘ったのです。Mくんの妹君は現在67回生で私が担任を務めるB組のメンバー、お母様はその67回生の保護者理事でいらっしゃって、昨日の学年保護者会を完全仏恥義理した愚教師に対して……M「母が東京で先生に宜しく、と申してました」 私「もう本当に大変申し訳御座いません」
 吉祥寺はこれまで3度ほどしか訪れたことがない完全な異邦で、道案内は最早ジモティのIくんにお任せ。駅徒歩5分の「スターパインズカフェ」の前には、既に100人程度のファンが集まっていました(我々の整理番号は150番前後です)。会場内は地下1階・2階が吹き抜けになっている構造で、地下2階にステージとスタンディング(椅子も置けるのかな)の客席、地下1階はテーブル席が幾つか置かれて上から舞台を眺められるという作り。我々3人は地下2階のスタンディング席後方に並びました。後方と言っても、舞台からの距離は10メートルもありません。学生2人が前に立ち、私はその後ろ。ワンドリンクはここでもアルコール我慢のウーロン茶……を持ってきたのを見て、I「あれっ?」 M「お昼は我慢して、ここで飲むんじゃないんですか?」 私「素面でライブを見通すの。本当に大切なんだから。そんな、人をアル中みたいに」 I・M「「アル中だろ……」」(←ここ、心の声をキャッチ)

 高橋徹也夜に生きるもの/ベッドタウン 発売20周年記念再現ライブ」@吉祥寺 Star Pine's Cafe
 【第1部 夜に生きるもの】①真っ赤な車 ②ナイトクラブ ③鏡の前に立って自分を眺める時は出来るだけ暗い方が都合がいいんだ ④人の住む場所 ⑤夕食の後 ⑥女ごころ ⑦チャイナ・カフェ ⑧いつだってさよなら ⑨新しい世界 ⑩夜に生きるもの
 【第2部 ベッドタウン】⑪テーマ ⑫後ろ向きに走れ ⑬悲しみのテーマ ⑭シーラカンス ⑮かっこいい車 ⑯世界はまわる ⑰笑わない男 ⑱ベッドタウン ⑲犬と老人

 20年前、高3の時に心臓を鷲掴みにされたアルバム2枚の歌い手が、20年前とほぼ変わらない容姿で目の前に居るというのは、本人が何度もMCで強調したようにそのアルバムが「売れていない」ものである(実際、この2枚を以て高橋氏はメジャーを離れました)だけに本当に凄いことだと思います。
 メジャーデビュー作を「なんちゃって小沢健二」と(アンケートで)評されたことへの「ぶっ●してやる!」という怒りに突き動かされた怒濤によって生まれた19曲は私にとっては全てが玉で、「そうでもない」曲が本当に1曲もない。高橋氏のその他のアルバムには正直「そうでもない」曲が幾つかはあって(というか、あらゆるアーティストの殆どあらゆるアルバムの中には「そうでもない」曲があります)、20年間ずっと聴き続けているのはこの2枚だけ。高橋氏の初めてのライブが20年越しのこの再現ライブだったことは、私には本当に運命だとしか思えないのです(もう、語彙力とかなんとかどうでも良いくらい)。

 本人がシングルにしなかったことを今も後悔しているという①からテンションはMAX、たった6秒のイントロが格好よすぎて100回でもリピート出来る⑥だとか、転調転調転調の果てにラストで最初のキーに戻るカタルシスが凄まじい⑨だとか、深夜のCM15秒がトラウマ的に印象に残る⑭だとか、全てが玉の19曲がCDと同じ演奏で同じ歌唱で(スキャットまで全て「完コピ」に近い)披露された2時間は、感動よりも興奮よりも何だかもう信じられない事態に呆気にとられていたと言った方が良いのかも知れません。
 勿論、どっかに理性は残っていて、「完コピ」と言えども所々にアレンジが入っているなぁとか、20年の円熟は声の張りを艶に変えるなぁとか、目の前で身体を揺らしている2人の若者が現在を純粋に味わっているのとは違って、38歳は20年前の衝撃を思い出しながら直立しているのでした。
 それだけに、本編ラスト⑲で、ボーカルにCDさながらのエフェクトがかかって「20年前の」高橋氏がステージに現れた瞬間、20年前を思い出していた38歳の私まで一気に「20年前の」18歳になったことに本当に驚きました。18歳が心臓を鷲掴みにされた時の衝撃がこの身に蘇った。18歳を思い出すではなくて、18歳になる。これは次元が違う経験だ、ということを実際に経験して思い知りました。ライブでこんな感覚になったのは初めてです。
 だから、本編19曲が終わってメンバーが一旦退場した後、私は若者2人を促して逃げるように会場を後にしました。アンコールはきっと新曲、それを観たら今の衝撃が消えるからです。

 その後、3人で吉祥寺の居酒屋「じぃま」で飲んで(Mくんはノンアルコール)から、ほぼ終電に近い電車でホテルに戻りました。結構飲んだけれども全然酔ってない18歳、ベッドの中で眠らずに幸せな衝撃を噛みしめ続けています。