四年たったら また会いましょと

 今週から、母君のリハビリステーション訪問が水曜・土曜の2日制になります。加えて、その週2日間については朝8時45分から(ステーションのお迎えが来る)9時15分までの30分間、訪問看護を依頼することになりました。
 マンションの入り口に客(リハビリステーションのスタッフ)が来て、自宅の部屋番号を押します。すると、自宅内のカメラ付きインターフォンが反応して、室内の住人が「応答→ドア解錠」の順番でボタンを押すというオーソドックスな形式。なのですが、母君はこの「応答→ドア解錠」のボタンを押せない。車椅子でパネルまで移動するのに時間がかかる、ボタンに手が届きにくい、加えて手が震えてうまくボタンが押せない、という三重苦。その間に時間切れで入口の客は不在と勘違いするという流れですね。というわけで、住人の安全を守るオートロックシステムのおかげで、母君がお一人の時は、母君を介助して下さるリハビリステーション・訪問介護訪問看護、その全てのスタッフを自宅に迎え入れることが出来ないという、もうこれって形容矛盾じゃね? という事態が出来しております。
 ですから、超面倒くさい手順ですが、訪問介護の事務所に自宅の鍵を預け、介護の方には勝手に自宅に入っていただき、朝食時の洗い物、母君の外出用の着替え、等のお手伝いをお願いします。その後、リハビリステーション送迎のスタッフの方が訪れたら、応対を介護スタッフにお願いし、母君を送り出すのと同時にお帰り頂くという流れです。

 徐々に徐々に、色んな方々の介助を受けなければ生活できないようになってきているのを感じつつ、今週から昼食作成の自宅往復をしなくて良い日が1日増えたことを少し嬉しく思いつつ、授業は2コマ、合間には浪人中の卒業生の依頼答案の添削と郵送手続きと、という仕事粛々。
 14時から、高1(70回生)担任団・保護者理事による年一の茶話会が開かれました。私は高1からの新参なのでどんな雰囲気になるのか全く予想できませんでしたが(学年ごとに雰囲気は随分異なります)、終始和やかな雰囲気でした。ただ、話題が入試に集中したのは少し重かったですね(終会後の自由歓談の方が賑やかでした)。入試に集中した理由は、新テストの影響を受ける学年だということと、来年が東京五輪であるため大学のオープンキャンパスへの参加が難しいだろうから今年の内に行かなければならないということと。五輪の影響は大きく、オープンキャンパスの開催自体が不透明で、且つ開催されるとして宿の確保については不可能か若しくは暴力的な価格高騰に巻き込まれるかになるだろうという予測が立ちます。仇花祭りに挙国の愚は脇に置くとして、とりあえず受験生への迷惑千万はほんとに勘弁してほしいところ。
 茶話会では、市内のお弁当屋「こめこめ」から仕出しが。ここのお弁当は美味しいので、私は食べずに持って帰って、母君の夕食(おかず)と明日の朝食(ご飯を雑炊に)とに回すことにしました。

 先日の結婚式・披露宴が大変楽しかったIくんから誘っていただき、夜は市内の懐石「G」にてお食事を。新婚生活に関するお話はどこまで具体的なことを伺っていいのかという機微が(独身へっぽこには)分からず、直でない受け方で話の接ぎ穂を促すというテクニックが試されます。来月からご夫妻で社費のアメリカ留学(コンペを勝ち抜きました)、ナッシュビルでの生活が始まるそうです。7年ぶりの大学生は実直且つ学び好きのIくんにはきっとお似合いですね。
 Iくんとは結局、ライブバー「A」から小料理屋「S」という流れで、彼が福岡に戻るJRの終電まで遊んでもらいました。引き出物のお箸(と箸置き)のお礼も言えて満足。日付を跨いで帰宅後、即就寝。