お星さま わたしの心に輝いて下さい

 以前、介護施設「I」のスタッフの方に「いよいよの時だな、というのは判るものなのですか?」と伺った時に「一番は呼吸ですね。一つずつが長く、回数が少なくなっていきます」と聞かされたことがありましたので、23時の電話で母君の呼吸の減少、体温の上昇を知らされて直ぐに合点が行きました。施設の方には、私の勤務時間内の場合は呼吸が止まってから職場に連絡を下さるようお願いしていましたが、真夜中なら兆しの段階で携帯直電、お見送りが出来そうだということなのでしょうか。

 着替えてタクシー会社に電話をした後、(ちょっと飲んでますんで)念入りに歯を磨きながら考えるのは明日の授業のことで、1限の高1A古文『古今和歌集』は、授業プリントは当然準備しているものの、板書の準備(下書き・メモ)はまだです。仕事道具は職員室。
 タクシーに乗ってから、先ずはF校に向かうよう運転手さんにお願いを。顔なじみの方で「こんな時間に仕事ですか?」と聞かれたのには「忘れ物を」と答えました(間違ってはいません)。警備員さんの携帯に電話をして職員室を解錠していただき、辞書や書籍や筆記具等を一揃え持ち出し、タクシーで介護施設「I」に向かいます。

 「I」は毎晩、夜勤の方お二人が常駐しているということで、私が到着した時にはお一人が母君の部屋の番をして下さっていたので、その方と入れ替わりで私と母君とが残ります。「はいはい、お待たせしました。大変でしたねぇ」との声がけが聞こえているのかいないのか、母君の呼吸は確かに粗く長く、スキューバダイビングというのかダースベイダーというのかあんな感じ。そして、私が到着した時には途切れがなかった呼吸が、少しして「打って、打って、打って、打って、休んで、打って、打って、……」という形で5回に1回止まるような形に変わりました(10年以上前に不整脈を患った時の私の心音のペースです)。
 毎日お声がけをしているからもうお話のネタがなくなって来ています。有り難うや頑張りますのような(喪主挨拶のような)やつは一通り(何だったら二巡くらい)終わらせてますしね。仕方がないので、今夜だけは特別に「Y子さん」ではなく「お母さん」とお呼びすること、そして「頑張ります」がどのようなものなのかを具体的にお伝えすること、に決めました。乃ち「日常性の維持」。

 『古今和歌集』は905年、醍醐帝の命による初の勅撰和歌集で、仮名序を書いた紀貫之らの撰になるもの。今回の授業ではその概略と代表的和歌2種を紹介、四季の歌から「五月待つ~」と「秋来ぬと~」とを扱います。
 ベッドの真横に机を置き、1限の授業プリントのメモ用紙を広げ、左手で母君の手を握り、右手で書き込みをしながら、『伊勢物語』の一挿話の種にもなった「昔の人の袖の香」のご説明。5回に1回の呼吸停止は、4回に1回、3回に1回と確実に減っていき、飛行機は完全に着陸態勢に入ったことが知れます。
 「秋来ぬと~」の作者は藤原敏行。「来ぬ」は「こぬ」ではなく「きぬ」。「夏は来ぬ」のタイトルにあるのと同じです。「ぬ」は連用形接続の助動詞で意味は完了なので、古語の動詞「来(く)」は連用形「き」と読むのが正しく。ということで、「来(き)ぬ」は「秋がやって来た」と訳し、その気配が眼にははっきりと/

 一際大きな呼吸音。ハッと顔を上げて母君のお顔を見たら、それっきり何も聞こえなくなって。腕時計の針は0時23分。思わず時計を見るのは残酷なのかね、という自問。いや、そんなことより今は。
 「『風の音にぞおどろかれぬる』というのは、そういう意味ではないんですけど」と訂正を入れてから部屋を出て、夜勤のスタッフの方をお部屋にお招きしました。「これは、そういうことでしょうか?」と私に促され母君のお顔をご覧になったスタッフの方が血相を変えられ、ペンライトで瞳孔に光を当てられるのを見ながら、あぁそういうことなんだなぁ、と。

 スタッフの方が看護師の方やS先生へ連絡をして下さり、それを待つ間はさっきと同じ体勢で板書準備の続き。先日の電話でS寺の和尚さんは19日の昼前に東京出張から戻られると伺ったので、午後に読経、その後で火葬という流れになる確率が高そうです。とするなら、土曜の1限・4限の授業は来週に回して、誰かと交換して頂かないといけませんね。
 先ず、看護師の方(女性です)が来て下さって、母君の余所行きへの着替えを行って下さいました(廊下で待ちました)。白いワンピースに紫のスカート。母君はちょっと前までは投薬の副作用で顔が浮腫んでおられた(所謂「ムーンフェイス」だった)のですが、ここ暫くは痛み止め以外の薬を段々減らしていたのでお顔がシュッと、しかも栄養を減らした分これまでよりも少しお痩せになっておられるくらいで、そんなことまでして頂けるのかと驚いたのですが看護師の方がお顔に化粧と紅とを軽く施して下さったのを見て、彼女が美しい方だったということを思い出しました。介護職に就いて以降はついぞ拝見したことのない、30年ぶりのお化粧です。
 S先生は1時にお出で下さり、死亡診断書を18日1時の時刻で書いて下さいました(本当は0時23分です)。8月半ばに61歳で入所しまして、先生からは1日1歳年を取る老衰を想像するよう言われておりましたが、蓋を開けてみたら2ヶ月の命。本来なら満62歳の誕生日(9月7日)を目標に、と言われていたのですが、永らえましたね。私が「計算すると、母は120歳を超える長命になりまして、有り難うございました」とお礼を言ったらS先生も看護師の方も笑っておられました。死亡診断書は色々な場面で必要になるということで、事務室で5枚ほどコピーを頂戴し。

 2時に、葬儀社「S」のスタッフの方がお出でになりました。福祉タクシーで経験済みですが、母君をストレッチャーにお乗せして、それごと大型車の後方に。私はその横に座って、葬儀社に到着するまで、母君が揺れないようにずっと抱きかかえていました。
 S社の霊安室(和室)に母君を運び込み、お布団に寝かせ、たくさんのドライアイスを敷き詰めます。「ここから有料です」と言われて思わず笑ってしまいました。それなら母君の送迎も有料でしょう(物ではなく人の動きに対する支払いは「施工費」と呼ぶそうです)。母君の担当だというスタッフの方には、介護施設「I」のケアマネKさんを通じて、大々的な通夜葬儀は行わないこと、母君のお棺は、霊安室→S寺(お経を上げて頂く)→斎場(火葬)、と移動したいこと、など伝わっています。その打ち合わせを明朝9時から行いたいと提案され、親戚一同への連絡・S寺への連絡等があるので10時半に延ばして欲しいとお願いしたら受け容れられました。所謂「寝ずの番」を置かず、霊安室に母君お一人を残しておく時間を作って大丈夫かとお尋ねしたら随意にとの返答だったので、スタッフの方が帰られた後、3時半に母君にお暇を告げてタクシーで自宅に。

 お風呂にお湯を貯めている間に、先程の板書準備の残りを終わらせ、クローゼットから礼服の上下を取り出しました。入浴後に仕事着に着替えて自転車で自宅を出発し、学校入り5時半。本来なら6時にしか開かないのですが、昨夜同様警備員さんに我が儘を言いました。
 時間割を確認したら、土曜の2コマは高1A担任英語先生との交換で来週に移動できることが判りました。前日に授業交換の(しかも来週の授業を突然明日やってくれという)お願いをするのは相当に図々しいので憚られましたが、6時半に出勤した先生に母君を見送ったという事情をお話しして承諾を頂きました。他の先生には取りあえず伏せて1限の授業は行うとお話ししたら少し(ほんの少し)驚いてお出ででしたが、そこは百戦錬磨の(且つ私と同じくF校出身の)英語先生ですので過剰な心配が必要ないことを直ぐに察して下さって助かりました。

 S寺の和尚さんに電話をして事情をお話しし、明日の昼13時よりS寺本堂でお経を上げていただくことを決定。その後、その時にはお手伝いをして下さると言って下さっていた事務嬢さん・Hさん、それと母君のお姉様Fさん、妹君Mさんに連絡をしました。お寺での読経には、親戚の他に、事務嬢さん、Hさん、「もりき」ご夫妻に立ち会って頂くことをお願いします(全て、母君の口に入るものを作って下さった方々です)。
 1限は高1A、いつもの通り授業をしたつもりではあったのですが、事前に一度母君の前で説明の練習をしたからでしょうか、常になくスムーズに口が動いてしまい、50分の授業時間を5分弱余らせるという軽いミスを犯してしまいました。ま、今日は特別ですから。

 学校から葬儀社「S」までは自転車で10分弱、霊安室に着いてから、63回生Nくんのお母様、そして母君のポート手術を担当してくれた58回生Fくんにお知らせと御礼のメール。他に事情をお話ししたのは、70回生学年主任体育先生、美術先生、それから同窓同僚数学と英語パイセンと。
 10時半にスタッフの方と打ち合わせ。棺桶・装束等々の必要なもの、S寺でお経を上げて頂く(葬儀の)時の飾り(花)等々のあってもよいもの、葬儀の参列の方々への配り物……と、割とたくさん買わないといけないものがあります。但し、葬儀場ではなくS寺で葬儀を行うということで葬儀に必要な道具一切は不要だったり、参列者が私を含め10人に満たないので会食云々の準備もなくしたり、本来ならもっともっと細々した打ち合わせをしなければならない部分は割合カット出来ている様子です。14時から湯灌を行うことを決め、それに2時間程度かかると言われて内心でガッツポーズをしたのはちょっと不謹慎でした。
 本日は授業が1限だけですが、それ以外に一つ大きな仕事があるんです。8月30日の日記にも書いたのですが、某県立C高校(中高一貫校)の学校訪問の応対が16時30分から、その後の慰労会(要は飲み会)が19時から。前者は昨年の高3現代文担当者ということで私をご指名ですし、後者は私が16人を饗応する幹事役、どちらも私としては外せない(外したくない)仕事です。湯灌が14時から2時間程度なら、これは両方ともこなせる。湯灌に立ち会って下さると仰ったHさんの車で学校まで送って頂こう。

 お昼前に、Hさんがたくさんのお菓子類を持って霊安室に来て下さいました。お菓子は、明日の葬儀の時に参列者、及びお香典を持って来て下さる人に振る舞うものだそう。私は、お香典は多くても(葬儀に来られる方は除いて)同窓数学夫妻、英語パイセン、学年主任体育先生、高1A担任英語先生、美術先生ご夫妻(美術先生のパートナーは母君の絵の先生でした)、7人くらいじゃないかと思っていたのですが、Hさんからは「まぁ何て世間知らず! あのね、人が亡くなるというのはもっともっと大変なことなのよ!」と鼻で笑われてしまいました(実際、私の予想を遥かに超えるお香典を頂戴して、お返しの品を大量に追加注文することになりました)。でも、その人数を減らしたいのは、私の意志ではなく母君の遺志です。

 14時からの湯灌は和室に金属製の大きな浴槽を運び込んで。但し、母君は浴槽に浸かることはなく、浴槽の上に所々穴の空いた金属板を置き、その上で母君のお身体を洗う(お湯は浴槽に溜まった後で捨てられる)んですね。女性お二人、iPodでヒーリングミュージックを流しながらの、それはそれは優美なお仕事でした。お二人で母君のお身体の体勢を次々に替えながら、而も大きなバスタオルをスクリーンの形で目隠しにして母君のお姿が私・Hさんの眼には決して触れないように。正座して見守りながら、Hさんが頻りに「惚れ惚れするわぁ」「見事だわぁ」と感嘆の声を上げられます(私も同じ気持ちでした)。身体を洗って下さった後は、棺桶の中で纏う装束に着替えさせて頂き(ワンピースとスカートとは枕元に畳んで)、それから20分はかけて丁寧に丁寧にお化粧を施して下さいました。深夜の薄紅も「ほぅ」と思いましたが、今回の本格的なお化粧の仕上がりにはHさん溜息、私も絶句です。美人なのは存じ上げていたつもりではあったのですが、まさに一世一代。

 16時を少し過ぎて湯灌は終了、直後にHさんに車を出して頂きF高へ。バタバタで会議室に飛びこみ、C高校の国語の先生と、東大・京大の授業について(実際の特講のプリントをお渡しして)お話をしました。C高校では志望者がそうは多くないので、東大・京大志望者を一緒くたにしてある日は東大の過去問、ある日は京大の過去問、という形で演習・授業をしているということ。私にはそれは出来ません(東大志望者には東大しか解かせたくないですし、京大も同じです)が、そういう贅沢な(図々しい)ことを言えるのもF校に勤務しているからこそなんですね。C高校の先生とは、結局添削をして生徒一人一人の文体に応じた指導をするのが大切だということ、そして生徒は何だかんだ言って東大・京大の現代文の文章を面白がる知的好奇心を持っていること、で考えが一致しました。
 1時間の会議の後、中学・高校教頭先生に母君のことをお話しし、故人の遺志で公表を控えて頂きたい旨をお願い(普通なら、職員室の黒板に書かれます)。その後、S社の霊安室に戻り、介護施設「I」の方がお見舞いに来て下さったのを応対。立派な花籠を頂戴したので、母君の枕元に飾りました。

 親不孝が服着て歩いている人間ですので、「申し訳ありませんが、宴席饗応も仕事の内ですので」と(顔の覆いをお取りして)母君に申し上げてから18時40分に霊安室を出発。19時から、F校8人、C校8人16人の個室で宴席の幹事を務めました。店は文化街寄りの焼き鳥「S」で、料理の味は私が勝手に折り紙をつけています。C高校の先生方は(去年とはメンバーが違いますが)パワフルで明るい方が多い様子です。
 解散後はF校8人の中の有志で二次会……なんですがそれは流石にお断りしてお暇。霊安室の母君の隣に布団を敷いて就寝。

 さて、本日最後のお話。
 2016年3月末に、56回生有志と銀座「シグナス」というジャズバーに水森亜土さんのステージを観に行きました(大ファンなんです)。その時に、客の中でも随分と若い我々のことを亜土ちゃんが気遣って下さり、お話をして下さったりお酒を奢って下さったり、色々良くして戴いたんですね。店を出てから同行のOくんから「聞かれたんで、先生の携帯の番号教えといたよ」と言われた時は驚きましたが、後日起こった熊本地震の時に「先生、大丈夫?」と本当にお電話を下さった時にはもっと驚きました。
 で、今日。C校の先生方との宴席の途中にスマホが震え、手に取ったら何故か「水森亜土さん 携帯」からの数年ぶりの着信。「?」と思いながら出てみたら亜土ちゃん開口一番「先生、大丈夫?」と数年前の電話と同じフレーズを。ぞくりとしました。地震のことは全国ニュースですが、私の家庭のことは? 「……大丈夫です」とお返事をしたら「良かった! じゃあね、バイチャ!」と切れてしまって有難うございますを言い忘れました。
 スピリチュアルなことを信じる訳ではありませんが、亜土ちゃんならもしかしたら、という思いもあります。