ありがとう こんなに 寂しい想いがあるなんて

 6時過ぎに目が覚めた後、霊安室から自転車で自宅に戻って入浴。お風呂のお湯を溜めている間に、今日の葬儀に飾る写真を1枚選びました。
 そうなんですよ。他者(他人及び家族、即ち自分以外の全ての人間)に借りを作ることを極端に嫌う母君の厳命は「通夜・葬儀をするな」「年休を取るな」です。余所様(だけでなく親族でもそうですが)にお金を出させたり移動のために時間を使わせたりすることを憚るんですね。で、通夜はやりません。今日と月曜午前中(役所手続きに必要かな、と)との休みは年休届で処理をして忌引きはとりません。ですが、お墓でご縁の生まれたS寺で和尚さんにお経を上げて頂くという(お寺からの)ご提案を否むことはできませんでした。母君のお姉様(Fさん)とそのお嬢様(YUさん)、及び母君の妹君(Mさん)とそのお嬢様(YKさん)とが立ち会いたいとのご意向、こうなったらもう「葬儀」です。葬儀場は使いません(お寺の本堂で行います)し、祭壇その他も準備せず棺桶を床に直置き(胡蝶蘭くらいは飾ります)ですし、喪主挨拶だとか司会だとか一切なしで全てを和尚さんが取り仕切りますが、やっぱりこれは「葬儀」。となったら、私のお友達の中でも、母君のお口に入るものを作って下さった(母君とご縁の生まれた)方をお呼びするのは人情というもので(私にもあるんです、そういうの)、「もりき」ご夫妻、Hさん、事務嬢さんの4人が来て下さることになりました。「葬儀」に立ち会うのは私を含めて9人です。
 で、写真1枚。祭壇がないので遺影なんて立派なものじゃなくて、ただ私が中学校の時に母君と2人で出かけたシンガポール旅行の時に並んで取った写真を額装したものを1枚、棺桶の上に置くだけです。母君は(私もそうですが)写真を嫌いました。私が14歳だとしたら母君は36歳かな。化粧をしなくなった後の写真ですが、お美しいです。これならそんなに嫌がらないだろね。
 お風呂から上がってからは、棺桶の中に入れる物を考えます。中学校時代の私の写真、介護職の勤務年数で北九州市から表彰を受けた時の表彰状、お好きだった植物図鑑、の3点を。霊安室にある、介護施設「I」の方々が作って下さった寄せ書きも、申し訳無いですが棺桶に入れましょう。後は、こないだ買ったよそ行きの上下。

 準備した荷物や礼服を携えて再び霊安室へ(今度はタクシーで)。棺桶をS寺に移動させるのは11時からですので、8時から2時間半ほど、部屋の机で浪人生の答案の添削等をして時間を潰しました。昼食を摂る時間はなさそうなので、霊安室近くにある中国粥の店で朝昼兼用の食事も済ませています。礼服に着替えて、10時半過ぎに来て下さったHさんにお茶を出して少しお話。改めてお顔を見たいと仰るので、二人で棺桶の窓を開けて中を覗きます。H「やっぱり美人さんよね~」 私「このお顔、写真に撮ったら駄目ですよねぇ」 H「それはちょっとねぇ。でも気持ちは解るわ~」
 11時にS社のハイヤーで棺桶をS寺に運びます(ハイヤーにも幾つかのランクがあって値段が全然違いました。金ぴかデコデコの霊柩車は今は使わないんですよね)。私はHさんの車でS社のハイヤーの後ろをついて行くだけ。到着したS寺の本堂一室に(9人ですから本堂の脇の方にある小部屋で充分です)棺桶を運び込みました。注文していた胡蝶蘭を頭・足の部分2箇所に。昨日介護施設「I」から頂戴した花籠も飾っています。棺桶の足の部分の上に、母君と私との写真、「I」の皆さんからの寄せ書きを飾って、棺桶の前に和尚さん用の座布団を置き、部屋に9人分の椅子を並べたら、全ての準備はお仕舞いです。

 12時頃から、同窓数学と若手体育夫妻、英語パイセン、美術先生がS寺(F校から徒歩3分)にわざわざ訊ねて来て下さって、お香典を受け取りました。母君の顔を見て拝んで下さったのに深く御礼の意。母君も、徒歩3分(と職場内での着替え)の手間程度なら何とか許して下さるんじゃないかなぁ、と。
 12時半過ぎから、参列の親族や友人(全員年上も年上ですけど)が集合し、和尚さんも着替えてご挨拶に来て下さいました。黄檗宗のお寺ですので庭の仕立ても本堂の内装も珍しいものが多く、「もりき」マスターが和尚さんに色々と質問をしてます……っつか、マスター、態度デカくない? そらマスターの方が年が随分上なのは判るけど、ここはお寺でその方は和尚さんよ? と気になったので、
 私「ちょっとおじさん、幾ら何でも和尚さんに馴れ馴れし過ぎない? 店の客じゃないんだから」
 マ「いや、客やん」
 私「は?」
 マ「一目見てどっかで見た顔やんね~って思って、向こうもこっちをチラッチラ見よるから、何やったかな~、って思ったらつい一週間くらい前に来てガバガバ飲んで帰った客やった」
 私「客かい!」
 伺えば和尚さん、K市知る人ぞの日本酒バー「M」の常連で店主ご夫妻に仲人も務めてもらったそう(和尚さん、新婚です)。「M」ご夫妻と言えば開店前には随分「もりき」に通って日本酒のことをマスターと話し合っていた関係ですから、マスターの口癖を借りるなら「人って繋がってるねぇ」という。日本酒が繋いだ偶然に皆で大笑い、場が一気に和みました。因みに、この後、和尚さん・私・Hさん・マスター夫妻等々で酒宴を囲むような関係になっちゃったというのは別の機会の話でして……。

 和んだとは言え、読経は粛々です。参列9人ですから、廻し焼香なんかもあっと言う間、13時過ぎから始まった「葬儀」は和尚さんの指示に従い合掌をしたり焼香を廻したり。狭い和室ですから、和尚さんの読経(すんごい美声!)や木魚のリズミカルな音も響く響く、迫力です。
 初七日の儀まで終え、最後に参列者一同で花籠のお花を棺桶の中に飾りました(胡蝶蘭は後日自宅に届くそう)。全部合わせて1時間弱のコンパクトなお弔いです。その後、再びS社の車に棺桶を載せて、今度は私はS社の車の助手席に乗って(骨壺と木で作った仮のお位牌を持って)斎場に向かいます。

 そうそう、戒名なるものまでつけて頂いたんですよ。贅沢だと叱られること間違いなしです。母君のお名前から1字を取って「優」、植物がお好きだったことから「妙芳」、等の漢字を使って、S寺の和尚さんが考えて下さいました。
 斎場に向かう前に和尚さんにお布施をお渡ししようと思ったのですがタイミングが見つからず結局渡せず仕舞い。葬儀場ではなく寺で読経をあげるのは和尚さんも初めてと仰っていましたから、お布施を幾らにするのかは本当に迷いました(一応、30万円を包んでいます)。

 さて、斎場というのは要するに火葬場。S社の手配で「火葬・埋葬許可証」というものを受け取っていますので、これを窓口に提示したら数千円(K市民ですので)の料金で火葬をしていただけます。親戚一同(4人とも市外在住で、市内は車移動)は事務嬢さん・「もりき」ご夫妻が自家用車で送って下さいました。Hさんは私用で(体調も悪くて)ご自宅へ戻られましたが、3人は焼き場までお付き合い下さるとのこと。心強いですね。

 母君のお姉様Fさんは三姉妹の長女ということで、私の母方のお祖父様のご葬儀では「喪主」を務められました。私、肉親の葬儀に出るのは生涯で2度目なのですが、1度目がこのお祖父様、お名前は「池ノ都麒麟」という明治の「光宙」さん(怒られる)で、その葬儀は30年以上前、私が小学校に上がるか上がらないかの時の話でした。そこで、強烈に忘れられない思い出が一つ、葬儀場ではなく斎場(焼き場)での記憶なのですが、火葬のボタンが押された瞬間に、Fさんが人間にこんな声が出せるのかというほどの絶叫をあげてそのまま倒れてしまったんですね。Fさんのご長女Mさん(今日は出張で来られませんでした)は覚えてお出でで、私の一つ上である次女YUさんは覚えてお出でではありませんでした。そしてFさんご自身も、その時のことは全く記憶にないと仰います。恐らく、火葬のスイッチを押されるのを拒否なさって、パートナーの方(私の義理の伯父様)が代行して押されたという流れだったと思います。
 だから、今日、斎場の職員の方が「それでは、喪主の方がこのボタンを押して下さい」と言ったのに続けて、「軽~く押したら大丈夫ですから。何なら私が押しましょうか?」と来たのには「いやいや」と本気ツッコミを。「大丈夫、押せますから」と。火葬前最後の対面は充分に済ませました(やっぱり写メりたかったな~)。ボタンは本当に軽かったです。

 ボタンを押して、トイレで顔を洗って、火葬が済むまでの待合室に移動。Hさんを除く8人(親族5人、友人3人)が集まって、和やかなお話が続きます。叔母様であるMさんがスナックのママということで(この方には強烈なエピソードが無茶苦茶たくさんあります)、「もりき」マスターご夫妻と話が弾んでお出ででした。
 途中、Fさんに促されて2人で外のベンチへ。私の存じ上げない所における母君とFさんとのこれまでのやり取りを少しだけ聞かせて頂いた上で、それでも「絶対に話せないこと」がたくさんある、とFさん。貧しく、幼い頃は一時期施設に預けられたこともあるFさん・母君の姉妹ですから、Fさんはお姉様であると同時に母親代わりでもあるのでしょう(実際の母親、即ち私のお婆様は長く煩ってずっと病院の中だったそうです)。「絶対に話せないこと」の中には、そうですね、私が顔も覚えていない(遠く写った写真が1枚あるだけの)私の父上のこともあるのでしょう。それも終わった話で、私に関係のあることだとは思っていません。

 お店の準備で一足先に戻られた「もりき」ご夫妻以外の6人で、即ち親族5人に加えて事務嬢さんも参加して頂いて、母君のご遺骨と対面、骨拾いを行いました。最初に係員の方が「鉄板が熱くなっておりますのでお気をつけて」と言ったのには「『Volks』かよ」と内心でツッコんだり、私が「この、ミルフィーユみたいになってるのはどこの骨なんですか?」と訊いたら係員さんが「あの、それは、若しかして棺桶に本か何かを入れられました?」と遠慮がちに答えて「あぁ、図鑑入れたわ!」と微妙な空気になったり(事務嬢さんから睨まれました)、ことここに及んだらもう気も間も抜けちゃってます。骨壺に全身の骨を(口から入るよう箸で砕きながら)入れていき、最後は頭蓋骨で蓋をするという一連の流れを粛々と。骨壺に入りきらなかったお骨は斎場が処分するのだということも初めて知りました。まぁ、それだけしっかりお骨が残っていた(骨は健康だった)のだということでプラスに捉えます。

 親戚4人はタクシーで斎場を後にして、私は骨壺(行きと違って中身が入っています)と木のお位牌とを抱えて、事務嬢さんの車で自宅まで送って頂きました(今考えたら結構なことをお願いしてますね)。帰りの車内で、今晩飲む約束をしています。店は私からお願いして、小料理屋「A」~「S」と梯子をすることに。
 自宅に戻って、和室の小さなTV棚をお祀り用に整え直しました。壺とお位牌とを上に置き、その下に私と母君との写真や頂戴したお香典やを飾りまして。2人で写った写真には、シンガポールのものだけではなく、今年6月にリハビリ施設「J」で撮って貰ったものも(母君が作られた栞を手ににっこりと笑っておられて、晩年のお写真の中では唯一のものです)。

 入浴後にタクシーを呼んで自宅を出て、西鉄近くの酒屋「K」(4合瓶2本を購入、「御礼」の熨斗をつけて貰いました)、及び事務嬢さんのマンション経由で、先ずは小料理屋「A」へ。ママさんに斎場帰りであることをお話しして、母君のお食事を手伝って頂いた御礼に4合瓶を1本お渡ししました。母君に縁が出来たお寺が黄檗宗ですので、選んだのは「浦霞」の「禅」です。
 1時間程飲んでから、今度は徒歩10分で文化街、小料理屋「S」のママさんにも同じ物をお渡ししてお礼参り。事務嬢さんは「A」も「S」も馴染みなので、2軒の店で私がだらだらと喋るのを、それぞれの店のママさんと優しく見守って下さいました。

 支えられてます。幸せな入眠。