もっと広いフィールドへもっと深い大きな何処かへ

 胃カメラ検査の時の喉麻酔は1時間程度で切れると言われ、実際そうなのですが、麻酔が切れた辺りから、喉の内側がじんわりと(ほんの僅かに)痛いのが小さくストレス(24時間経っても微妙な違和感)。この痛みは咳風邪流行病のそれではなく、物理的に殴られた時のやつです。

 F中・F高の各教室(通常のHR)は、前方が一面の黒板、後方は1/4が掲示板で残り3/4が黒板という造りになっています。授業では主に前方の黒板が使われ、数学など一部授業では前方・後方両方の黒板を使うことがあるようです。黒板には、教壇の教員には見えて生徒には見えない程度の濃度で方眼マス目が引かれており、前方の黒板ならそれがおよそ縦70行ほどになっています。黒板の右端には日付と日直とが書かれ、左端にはその日の時間割が書かれ、その分をさっ引けば、授業中に使える黒板は縦60行強ということになります。私は、1回の授業の中で一度書いた板書を消すのを好みませんので、毎回の板書準備においては60行以内に収めるよう調整しています(膨大な情報量が必要な東大現代文の第一問解説であっても、根性で60行以内に収めます)。
 前にも書いたことがある話。これまで国語科に来た10人程度の教育実習生について、私は授業に関する注意・批判をしたことが殆ど無いのですが、一度だけある実習生にそれっぽい言葉をかけたことがあります。それは、彼が、前方の黒板に担任が貼ってあった掲示プリントに遠慮をして、書きたかった(と思われる)板書を諦めた時でした。「授業が命」の学校で、授業以外のものに遠慮をしてはいけない。
 後方に掲示板があるのだから、試験範囲だとか小テストの結果だとか補習のメンバーだとか食堂の1週間のメニューだとか各種イベントの案内だとか、そんな連絡は総てそちらに貼っときゃいいんです。教壇の担任がそれを面倒臭いと思うなら(思う人は居ないでしょうけど)、係を決めて生徒にやらせればいい。個人の意見ですが、前方黒板の広さとクラスの成績(少なくとも勉強に対する姿勢の良さ)は比例すると思っています。
 黒板は広く使うとか、授業の10分前から黒板清掃をするとか、プリントは絶対片面印刷にして両面印刷はしないとか、教壇に上がる50分「以外」に注力するのは、授業自体の「下手」の糊塗だという自覚はあるんですけどね(「無知の知」だ、と開き直ってます)。

 7時に徒歩で学校入り。ちょっと前までは、20分歩いて学校に入ったら汗だくのシャツを着替える必要がありましたが、今はその必要が無い程度に朝が涼しくなっています(昼はまだ暑いですが)。朝の職員室では本日の授業(高1漢文)、特講(高3文系東大現代文)の板書準備を。
 高3(72回生)特講では89年の高橋裕『都市と水』を扱います。著者高橋氏は河川工学の世界的権威、『都市と水』は岩波新書の名著で、教務部長地理先生は就職直後にお読みになって、中学生の夏休みの課題図書に選ばれたこともあるそうです。70回生高3で扱って以来2年ぶりの講義なのですが、今朝Wikipediaで調べて、その2年の間(2021年)に高橋氏が亡くなっていたことを知りました。94歳大往生、合掌。

 2~5限で高1漢文の授業(韓愈「雑説」)、6限に時間割関係の机仕事。16時からの高3特講は、20世紀第1問が教材ということで(120字記述を含む2000年以降の問題と違い)分量が少なめ。常は120分の特講が90分で終了しました。89年高橋裕~00年加茂直樹~04年伊藤徹~10年阪本俊生~09年原研哉、というのが毎年の流れで、これは国語科恩師先生の特講の組み立て方を模倣しつつアレンジしたものです(04年の伊藤徹は難し過ぎるから外そうかと思ったこともあるのですが、17年に再び第1問の出典として使われたので引っ込められなくなりました)。

 昨日作ったカレイの煮付けが半分残っている、一昨日の鍋の出汁を残している(雑炊用)、野菜室のミニトマト(一昨日購入)も気になる、というのがあるのですが特講後は自炊をしたくない。でも明日は飲み会が入っている。で、少しだけ迷ったのですが「したくない」を優先した方が幸せだと判断して、カレイ・雑炊・トマト胡麻和えは明後日の夜に回して「もりき」へゴー。筋子(意外なことにプリン体は少なめ)たっぷりの和風パスタ、冷奴、南瓜煮付け。「最近、家で冷奴を作る時は充填豆腐を使ってる」と話したら、何とマスター充填豆腐とは何かをご存じなかった。へぇ!
 自宅での飲み直しに『ブギウギ』1話・2話を鑑賞。取り敢えず、月~土の6話までは予約しています。主題歌が中納良恵(7年前に『トットてれび』で笠置シヅ子を演じ歌っています)なのは安パイとはいえ嬉しく。ドラマは、まだ面白くも面白くなくもない。様子見。