喜んでる場合かっ

 56回生Yくんからは後で「あらゆる会話がネタなんだろうな、って雰囲気は分かるんだけれども、どんなネタなのかが分からん」という有り難いお言葉を頂戴致しました。取りあえず、オツカル様にはお聞かせしているF校面白話、生徒にゃ(卒業生にも)絶対に聞かせられないそれを、機を見てはペラろうとするのだけは困りましたが、楽しい麻雀でした。人生初のアルコール無しに挑戦してみたら、勝ったし。で、まぁYくんとは明日(12日)も飲むんだけれど、また徹マンってことになるんだろうねぇ。

 ホテルに戻って仮眠2時間、起きて入浴、回転寿司「活」(美登利寿司系の店が池袋駅百貨店内に)で昼食。本日の目的、三越前は光井美術館にて行われている「大妖怪展」を観ること。国立博物館の大烏賊と迷ってこっち(だって、大烏賊の待ち時間がえらいことになってるらしいから)。「大妖怪展」のサブタイトル、「鬼と妖怪そしてゲゲゲ」ってことなんですけれども、私の人生はゲゲゲから始まっておりそこに収斂されますので、江戸絵だろうが狂言面だろうが全て水木翁の絵や作品とどのような関係があるのか、という観点からしか見ません。
 夜逃げ同然で母子で小倉へ出てきてから初めて住んだオンボロアパート。人生最初の記憶が、受話器がずれた固定電話器からそれを知らせるブザーが鳴り響いている真夜中の部屋で、夜の仕事に出かけた母君に残され眠っていたのをそのブザーに起こされたものの原因も対処法も分からず一人恐怖で泣き叫んでいる3歳の時のシーンだという私。その暗く恐ろしい部屋の階下、2階居住フロアの下にあった商店フロアの貸し本屋で水木翁の漫画や妖怪図鑑やを借りては熟読していた私、例えば保育園時代、例えば幼稚園時代に夢中になって翁の妖怪解説を読んだあの体験が、私の日本語学習でした。恐ろしげな絵、一人の部屋、振り仮名つきの日本語で書かれた恐怖譚。怖くて怖くて今すぐ止めたいのに、夜に絶対トイレにいけなくなるのに、ページをめくる手が止まることはありませんでした。それとは別に、母君の監視下であいうえおを覚える時には間違ったら掌を打たれたなんて記憶もあったりしますが、私の勉強の記憶って、緊張と恐怖とから始まっているんでしょうね。幼稚園の「お勉強」も、これは私の担当の保育士さん(若い女性)の性格なのでしょうが、出来なかったら叱られるという恐怖の方が強かったもんなぁ。お父さんの絵を描くというお題の時に(何せ父親不在ですから)オバQの絵を出した時なんて、吐くかってほど怒られましたもん、「どうしてこんなふざけるたことするの!」って、理由を説明する術を持ちませんでしたけれども。小学校に入って間もなく私は無茶苦茶勉強の出来る子になりましたけれども、理由は簡単、小学校の勉強には何も恐ろしいものがなかったし、水木翁の文章よりも難しい言葉を誰も使わなかったし、これは私の担当の先生(ベテランの女性)の性格なのでしょうが出来たらそれはそれは褒められたし、小学校になって新たに生まれた「宿題」という概念が鍵っ子の一人遊びに最適だったし……あれ、私、美術展を見ながら何を考えているんでしょうか。

 三越前から渋谷に向かう地下鉄を意図的に乗り過ごしてしまったら、電車は真っ直ぐ市が尾に向かうんです。地下鉄と言いながら地上を走る時間は何分か各路線を調べてみたみたいな「ずんずん調査」ベスト本を読みながら、途中雷鳴轟く荒天へと様相を変えた車窓をぼんやり眺めながら、何年ぶりでしょうか(最低でも10年ですよね)、市が尾下車。駅周りの風景、変わっているのかいないのか、全く覚えていません。ラーメン「たかせ」は覚えてるとか、あの本屋がTSUTAYAに変わってたとか、所々の記憶を便に駅近く散策の後、真っ直ぐ「英彦寮」に向かう。雨は電車を降りる時にはあがっていました。
 一家の収入が少ないことを入寮条件とする(のかね、今も)その県人寮に、私は大学の1年・2年の間暮らしていました。「自分、福岡県、私立、K高校出身、東京大学、教養学部、1年、イケノト、タツヤと申しますっ!」みたいな挨拶を絶叫しないといけない、廊下で先輩とすれ違う時には道を譲って「失礼します!」みたいな環境を、ど文科系の私がなぜ耐えられたのかってそりゃそれを「おままごと」だと思ってたからですよね。影の薄い寮生でしたが、権力者たる4年生Hさんには大変可愛がっていただきました。「ベテラン声優が好き」という共通点で話が合ったからです。飯塚昭三の声の良さを語るHさんに、小原乃梨子の演技の魅力を語る私、みたいな……って今日はどういうモードなんでしょうか。
 勿論、12年も前に寮を出た人間なんて寮にとって今では完全な「不審者」ですから敷地内に入ることはなくスルー、確か歩いて歩いてこのあたりにコンビニが……あれぇ、無かったっけ。生まれて初めてビールが美味いと思った「冬物語」を買い足そうと走って戻って飲んでつまみ食ったら足りなくなって結局もう一回走って入店して店員さんに「寮の飲みのお使いですか、大変ですね」的なことを言われてまさか2回来店で購入した500mlの缶18本が全部自分の分で実際にそのうちの12本を1晩で空けたとかとても人に言えるもんじゃないっていう思い出が今も消えないあのコンビニ。

 何しに来たんだ感満載の90分散歩、地下鉄乗り継いで池袋。ホテルに戻って汗だくのシャツを着替え、ネカフェとジュンク堂を回った後、待ち合わせは58回生の女性お2人、E嬢とK嬢。夜に落ち合うのに飯食ってきたってあんたらどういうことよ、まぁこっちも気は遣わんけどね、って勢いで「中国茶館」で食べ飲み放題。サークル合宿をデキ女幹事してきた帰り道ですE嬢は早々にお疲れ、今年芸大に入学しなおしたK嬢の授業・入試話は役に立つ。私の高2Aにも同じ大学学科を志望している生徒がいるのです。いつかこの2人は引き合わせよう。後、とりあえず大烏賊は観に行かなくて正解だった、とお二人声を揃える。がっかり名所らしい。行かなくて正解だった、かどうかは実際に観てないんで分かりませんが。

 女子2人ということであっさり解散、ホテルで健康就寝。