その嘘、ホント?

 昨年末から3月にかけて一気に日記記述を現実の日付に追いつかせて、ここ暫くは毎日(前日の日付の日記を)更新しているのですが、毎日きちんと一日分更新をすると日記を読む人の数が減る、ということが判りました。3月末に2、3日置きに一週間分を一気に更新、とかしている時に徐々に閲覧数が増え始め、しまいには一日に500人超が読んでる(←ユニークアクセスの数ですけど)なんていう状況になった時に「ちょっと嫌だな」と思ったんですね。荷が重い。ですが、毎日一回更新をするようになったら、すぐに200人ちょっとに落ち着きました。私にはこれが限界(要するに、学年集会で話す時の規模が私のキャパなのです)。読者数を抑えるために毎日更新しよう! ってのも変な話ですけども。
 教官が毎回出席を取る講義と、3度に1回気まぐれに出席を取る講義と、欠席(仏恥義理)の率が低いのはどっちでしょう? という問題は、学生が本当に真面目に講義に出席するようになった今の世では通用しない設問なのかも知れませんね。

 仕事を忘れて上京旅行中、「浮世の馬鹿は起きて働く」とまで弛緩しているつもりはありませんでしたが、63回生Kくんからの「初登校ですよ。不安と緊張で死にそう」というメールで初めて「あ、そっか、今日は4月1日で新年度の始まりなのね」と気づいた次第。新聞テレビの報道を観ない人間はtwitterのTLが世の流れの全てなのですが(恐ろしいですね)、私のフォローしておられる方々は新年度がどうかとかよりも先ずは大企業のエイプリルフール合戦に興味津々のご様子で、そりゃ面白くないわけじゃないものも多いんだろうけど、名だたる企業が洒落の判るというイメージを押し出すのに必死になってるというこの状況もグローバル化の影響の一つなんですかね、と若干の違和(もしくは平成の「ええじゃないか」?)。
 とまれ、新年度の始まりですよ。F校でも辞令交付が行われる日です。でもって、63回生諸氏が大学(若しくは予備校)の新年度を迎える日なのであります。私もF校教員生活の12年目に突入しました(していると信じています)。

 で、上記段落の「63回生Kくん」という書き方は、私なりの気持ちのリセットのあらわれです。3月31日までは在校生、私が仕事で(現在進行形で)担当している生徒ですので、この日記の中でもある程度ぼやかして「生徒某」とか「生徒A・B」とか、言葉は悪いけれどもRPGの敵キャラ的な無個性化で個人の特定を避ける呼び方をしておりました(勿論、これは態度の問題であって、書かれた当人やその友人が見りゃ分るんですけどね)。ですが、本日4月1日以降、彼らは最早F校からは独立した卒業生ですので、呼称は他の卒業生と同じくきちんとイニシャルにする訳です。
 具体的な例を出せば、3月30日の日記で夕食をともにした「Aくん・Bくん」という呼称は、今日以降の日記では「Bくん・Eくん」という記述になるんですね。

 そのBくん(東大文三)とメール。
 私「今年度のユーの上クラに61回生のHくんという人がいるそうです(本人談)。酷いことされたら告げ口して下さい。しめますから(笑)」
 B「おなしゃす笑」
 私「おなしゃす、語源調べたら使う気が無くなるかもよ。不要な野暮言だったらごめんね」
 暫くして。
 B「もう使いません笑笑」
 結局下ネタに落ちつくんかい、って話ですけど。

 さて、明日は移動だけの日です(夕方からは仕事もします)ので、実質的には本日が上京旅行最終日。流石に旅行の終わりも近づいたら上記仕事に対する意識が徐々に徐々に芽生え始めて来る。ぼ~っとしてたら、今年度の授業のことを考えたりしてますもんね。4月1日なら情報解禁なのかどうかは知りませんが、私は今年度、もう何回目だよという学年の授業(数えたら8回目ですね)を1種類と、ちょっと久しぶりですねという学年の授業(数えたら3回目)を1種類やります。
 でもって、今日は上記「ぼ~っと」する時間が比較的長くなりそう。理由は昨日の日記にも書きましたが、昼の約束は無く、夜の約束も無くなって、一日が完全フリーの「予備日」的な日になったから。

 池袋のネカフェで昨日付けの日記を更新するところまでは昨日とほとんど同じ動きをして、池袋から神保町に移動、古書街を逍遥。何冊買う気だ上田三四二や別宮貞徳やの講談社学術文庫を中心に、主に人に贈るための本を中心に購入。
 で、ドトールでサザンの新作『葡萄』を通して(歌詞を読みながら)聴こうとして、一曲目「アロエ」の素晴らしさに殆ど驚倒してしまい、結局今日はそのリピートだけで終えることになりました。シングル2枚は買わず(聴かず)にアルバムを待ち、その間年末年始に交通事故(っつか轢き逃げ)みたいな不運な人災(エイプリルフールの日だけ洒落が判ったって何の意味もないじゃんねぇ)に見舞われたことを心配してたんですけれども、桑田さんは流石の「大丈夫」でしたね。

 ふと岩波ホールで映画を観ようと思い立ち、14時の回のチケットを購入(窓口に立ってから、今日が「映画の日」だったと気づきました)。平均年齢高め(50歳は超えている)の客席で、リラックスモードの鑑賞。オチは判ったけれども、ラストシーンの意味は判らなかった。

 大塚駅に戻り、喫茶店で読書。本日独酌は、せっかくならば独酌でしかできないことをしようと考えて、三十路(オツカル様は「アラフォー」と仰るが私は「四捨五入=アラウンド」というのを断固認めません)程度のお子ちゃまは入るのも躊躇われそうな大人の酒場「江戸一」に無神経入店。
 17時開店の5分後に入ったら、年季の入った広めのコの字型カウンター(20人ちょっとのキャパ)は既に常連さんらしき方々で6、7席ほど埋まっています。平均年齢は、さっきの映画館よりさらに高め。でもって、私が入った5分後には、次々とやってくる常連さん(一見さんは少なさそう)で全席が埋まってしまいました。
 ここのお店、入り口の戸の開け閉てから肴の食べ方にいたるまで、作法のなってない客は女将さん・大女将さんにぴしりと叱られると噂で聞いていたので緊張の入店だったのですが、並んで3人のお爺さん客の政治談議が若干大きな声になったのを女将さんが静かに諌められた以外はそういうシーンは見られず。ただ、流石に本を開く勇気は無かったので、店内90分は『ワカコ酒』宜しく無言で独酌。さっき観た映画のこととか、今年度の授業のこととかを、つらつらと考えながら。
 「もりき」マスターにいつも叱られるのですが、遠くの町まで行ってわざわざ普段使いの店にある定番の日本酒を飲む必要はない、というのをつい忘れてしまうんですよね。この店でも、冷酒の「雁木」があったからついそれに走りそうになりましたが、周りの常連さんが一人残らず熱燗ぬる燗だけを注文しているのに倣って、私も初めて名前を見た「惣花」を熱燗で。中瓶1本と日本酒3合で退店しましたが、熱燗だけで通したのは生まれて初めてです。
 肴は、アジ刺し、サバ焼き、湯豆腐。サバは自分の脂で素揚げ状態になってるんじゃないか、という具合の脂のノリで美味。無言無読書の初体験尽くしのシンプルイズベスト。お会計は、女将さんが大きなソロバンをはじいて計算し、いつもの癖でサバ焼きを頭も骨も食べてしまったことを「綺麗に召し上がっていただき有難う御座います」と言われました(緊張して返事ができませんでした)。

 19時前にホテルに戻り、ベッドでだらだらと読書。ジュンク堂に「拾遺」に行こうかなぁ、と思ったけれども熱燗でだいぶ気持ちよくなってたのでやめました。結局、今回は5泊もしながら聖地巡礼は1回だけ。黄金週間にはちゃんと長居(?)しよう。
 でもって、超がつく健康睡眠。