心 怯むうちに 時は流れていった

 5時に学校入りして、始業8時半までいつものようにデスクワーク。途中、高2の授業を担当なさっている非常勤先生がご病気でお休みとの連絡があり、7限授業を6限に詰める時間割作業(パズルと連絡と)の必要が生じたので、昔取った杵柄(時間割経験4年間)でお手伝い。
 5時間授業はセンター評論、98年の中西新太郎「文化的支配に抵抗する」。弱者の喧嘩戦術を描いて痛快、解説っつーか最早余談ではビートたけし桑田佳祐矢沢永吉なんていう21世紀チルドレンにとっては誰それ感しかない芸能人の話を盛り込んだり、弱者の喧嘩戦術で11年間働いてきた私の生徒からの「苛められ」経験を(嬉々として)語ったり。「弱」担当の教員として、例えば56回生とか62回生とか63回生とかには随分「可愛がって」もらったけれども、それなりに恩返し(仕返しも込みかな)はしたし、何より当時の話をしたら飲み会でも授業でも受けまくるからこんなに有難い財産はない。

 昼休みに、ある中学生が授業中にガムを噛んでたとかパンを食べてたとかでこっぴどく叱られてたんですけれども、あそこできっちり叱ることが出来る先生が「強」な訳ですよ。「えっ、まさかお前、叱れないの?」と驚かれる向きがあるやも知れませんが、はい、叱れません。63回生が中3とか中4だった頃なんて、授業中にガムだジュースだ携帯だゲームだなんて当たり前、彼らがこぼしたり吐き散らかしたりしたジュースのシミにガムにと、床をゴッシゴシに拭いて擦ってしてましたもん、担任の私が。これは担任団ではなかったんですが、58回生の高3校内模試を監督してた時なんて、解き終わった生徒が目の前で弁当食べ出しましたからね。いや~、あれには大笑いさせられました(笑わせられたら負けですね。口惜しいなぁ)。
 私が「強」になるのって、高3の添削してるときと、国語科で模試とか入試の会議をしてるときだけだと思います。

 さて、5時間授業突っ走った後は、文系東大特講。00年は加茂直樹「環境と人間」。利己的環境保護、名づけて「エゴ的エコ」(これを逆説だと言うかどうかは微妙、私はその必要はないと思っています。「意外」ではありますけどね)。生徒難渋の65分解答、その後解説。
 「エゴ的エコ」は4年後の04年(伊藤徹)でもう一度問われ、それを次回の特講で扱うんですけれども、「エゴ」たる所以については今日の00年の比じゃ無い理解し難さだから、頑張ってね~。

 明日は「文化の日」ですけれども、昼から天神で卒業生(浪人生)と小論文の面談があるので、5時入りで高3添削・中3小テスト採点とを終わらせる必要があります。ひ~、忙しい。
 夜は、定休日だけれど予約が入ったから開ける、と言われてた(要するに来い、と)「もりき」で独酌。体重がとんでもないレベルで落ちてるので、頑張って肴をたくさん。アナゴの白焼き、牡蠣入りニラ玉、鹿肉のシチュー。