ふう時々紅く灯るたび 照らされる横顔

 雨音に気づいて早く起きた朝、呪詛よりもいっそ感嘆の声だわ、何でこんなに外さずに雨を降らせるかね野球部顧問。でもって、一瞬の雨の途切れめをよくも見分けて来ましたね母君、帰れなくなったらどうすんのよ、とツッコむ間もなく庭をちょこちょこっといじった後は「食事の約束は延期ね!」との言葉だけを残してさっさとお帰りになってしまわれました。半ば呆然で化学先生に「交流戦は中止でしょ? OB会はやるんですか?」とメールしたら、「飲むのは飲む!」と元気なお返事。望むところだ。

 武田砂鉄『芸能人寛容論』読了、★★★★。気鋭のコラムニストによるTV評論集、と言えばナンシー関と比較される(そして否定される)に決まっているわけで、実際に各タレントごとに「そのタレントが言いそうなセリフ」つきの似顔絵を付してなんていうデザインは明らかに彼女を意識しているんですが、あとがきの砂鉄氏は(割とどや顔で)「ナンシー関エピゴーネン」という評価はダメージどころか過分な光栄だという認識なんでそれを批判として言ってるつもりなら全く当たらないよ、と書きます。自分は先達ナンシーの寸鉄を激しく尊敬しつつ、迂遠冗長な比喩を用いて彼女とは異なる文体を模索しているんだ、と言う。気持ちは凄く分かります。私も以前、63回生の誰かに「××完コピ」(←「××」は国語科恩師先生です)と黒板に書かれて、「劣化コビーじゃヴォケッ!」と喜んだことがありますから。実際、違う文体を模索しているならそれをどんどん突き詰めて欲しい(そういうコラムをどんどん読ませて欲しい)。でも、それなら「現役時代の谷亮子が自ら『前人未到の四連覇』と述べてきたようなスケール感」という比喩は使わない方が良かった。これはナンシー寸鉄の極みとも言うべき彼女一流の比喩でそこに敬意を払うなら出典を書くべきだし、追慕ゆえの本歌取りを言うには若書きだし、そもそもその本歌取り本歌取りと若い読者に気づかれる可能性は少ないし(ナンシー関は2002年没)。

 自宅、ミスド、書店、ネカフェ、学校、自宅、野球部OB会@居酒屋「T」……は、二次会人身御供を避け、一次会後に化学先生と2人で退散。野球部の話題には全くついていけないアウェイだったので、今回は専ら話の聞き役(でしたが楽しかったです)。お酒のお土産を下さったOくんに多謝。

 今夜の野球部OB会でもそうだったのですが、最近の飲み会って自然に「喫煙席」が出来ますね。喫煙者が最初から端っこに固まるか、最初はバラバラの席だったのに吸い始める段になったら端っこに固まって移動しちゃうか。私「別に、移動せんでもねぇ?」 化「いや、俺は煙は嫌だ」ってやり取りのように非喫煙者の反応は様々。私は色んな人と話したいのに、喫煙者が逃げていく感じ。
 職員室の飲み会を考えても、私が就職した15年前なんて誰もそんなこと気にしなかったんですけれども、今はめっきり少数派になったスモーカーが非喫煙者の意を忖度して下さるもんですから自然に席が固定化されて私は大変勿体ないと思う。これは、毎度毎度幹事をやってて結構気になる問題なのです。卒業する高3に「喫煙するな」と言うのは、宴会で不自由な思いしたり卑屈になったりする可能性があるからそれを避ける意味でね、ってのも大きいかな。