人生賭けて本気で勝負できてんだから幸福

 現役で大学に進学した1年生からよく聞くのが「浪人を経て合格した人の方が大学で勉強しない傾向がある」という話。私の在学当時の印象もそうだったし、逆の話は聞かないし、全員に当てはまる訳ではないにせよ傾向としてはあるんじゃないかなぁ、という印象です(滅茶苦茶真面目な浪人組もいっぱい知ってますんで、あくまで「傾向」ですけど)。
 身も蓋もない言い方ですが、私は現役で合格したので浪人の辛さを知りません。ですが、浪人組が辛苦経て(本人だけではなくて、親もですよね)合格したんだから大学での学問に前のめりになろう、とならない理由をあんまり思いつかない。考えられる理由としては例えば、浪人生がその1年ないし2年を「損」だと思っていて、自分は勉強で「損」をした人間だから大学でその「損」を取り返そう(勉強以外のことをしよう)と意識的か無意識的かは知りませんが思っている、とか?
 でも、浪人って要するにその大学に入るために必要な勉強量を(現役生が3年ないし6年かけてやった勉強量を)4年ないし7年かけてやったというだけで、別に何か「損」をしてる訳じゃないですよね(親御さんが金銭的に「損」をしたと仰るならそれは理解できますけど)。浪人組も現役組も、その大学に入るために必要な知的能力を一定の時間をかけて蓄えたという点では全く変わらず、現役生の方が偉いわけでも浪人生の方が経験豊かなわけでもないって認識です。これを指して時に「浪人生に厳しい」と言われるんですけれども、応援(具体的には頼まれた添削)はしてますし、現役組と同一視することを指して「厳しい」と言うならそれは判官贔屓でしょう。
 判官贔屓、これは負けた(負けそうな)方に使う言葉で、確かに大学から一度「不合格」を宣告される経験を浪人組が持っているのは確かですね。それを指して、その辛さを知っていることが必ず人生に活きる、と大人が励ますなら納得しますが、当人が現役組にマウント取るみたいにそれを言うなら私は現役組を庇うよ。先日、現役で大学に進学した67回生某くんと交わした会話(武士の情けで名前は伏せます)。
 私「浪人してないなんて人生の辛酸機微を知らない、ってのは大人が彼らを励ますためのテンプレだから、真に受けてマウント取ってくる人は相手にしなくて良くない? っつか、そんなのってごく一部でしょ? 関係切って良くない?」
 某「でも、知らないのは本当ですよ」
 私「ご免、その辛酸機微、要りません、って感じ。高校の時の日常を少し引き締めればいいだけでしょ? たかが受験を、人生の糧にはしてもドラマにゃしません……って、言ったげれば?」
 某「言えませんよ! あっちの方が年上ですし」
 私「そんなの、すぐに呼び捨てるようになるし」
 某「でも、『挫折知らず』って言われたら、確かに」
 私「あのさ、某くん、想像力で挫折を先取りした恐怖心が日常を引き締めるタイプの高校生だったじゃん。で、それが消極だとか思えてちょっと恥ずかしいんでしょ?」
 某「……」
 私「それ、誠実の定義だからね。見下すのは論外だけど、浪人組も単なる大学1年生、卑下も萎縮もしない」
 繰り返しますけど、浪人中も本当に真摯に勉強して大学に進学して、誠実に大学生活を送って立派な成果を上げた卒業生もわんさと知ってますんで、念のため。

 1~4限で高1内進組の授業、夕方までデスクワークの後、自宅往復をして母君の夕食のお手伝いと夕食作成。いつもならそこから飲みに行くところですが、今日は学校に戻ってクイズ研究部の取材の立ち会い。「もりき」に入ったのは20時を大きく過ぎていたので、サクッと飲んで早めに帰宅しました。