死なずに生きてこれちまった すれちがった 流れ弾にも当たらず

 きみの前前前世からきみを探し続けてるような主人公なら漢文の素養はあるんじゃないでしょうか。主人公と作者とは別個の人格だとは言え、作者が漢文知らないなら、作中のきみの前前前世時代の(延いては歌における現在の)主人公の知性にはリアリティがないってことになりません? いや、作者が知らないことを知ってる主人公を描くのも悪くはないんですけど、「知らない」じゃなくて「要らない」っていうのは言いすぎじゃない? とちょっと心配になります(歌詞を前々、じゃない全然知らずに書いてます)。
 とまぁ、例の「漢文不要」ツイートの歌い手さんは「古文不要」と仰っている訳ではありません。だから、「普通に中国語で読める漢文」というフレーズに現われている誤解(漢文は中国語だという誤解。漢文は中国語ではなく日本語です……という言い方も難しいですが)が無くなれば、考えをお変えになるのかも知れませんね。訓点って、世界史レベルで考えても、人類の最も偉大な発明の一つだと言えるのでは、と思います。

 F校が、タオルやら鉛筆やらのグッズを作って売り出しているというニュースを職員朝礼で知り。こんなもん売れるんかいなと思いますけど、きっと売れるんでしょうね。あれですかね、東大50人で雑誌取材とか学校訪問が増加して、ちょっと調子にのっちゃいましたかね。何人かの卒業生にツッコまれたんで、教員はノータッチだ(少なくともわしゃ知らんだった)ということだけ強調して。

 第3回定期テスト初日。自分が(最終金曜日に)出題する問題に関しては、内進B~E組は完成、外進A組についてはボーナス問題のネタを考えついたら完成、と9割5分完成しているので気が楽。本日は高1の試験監督が2コマと、後は高3のセンター授業が3コマ(高3は定期ではなく通常授業)。

 純粋定期テストの先生方は半ドンですが、高3授業の関係で6限までぎっちり。16時から年休を取って帰宅、入浴後に介護施設「I」にお見舞い。今日はベッド横にあるテーブルの上に、S先生からの花籠が置かれていました。「いつも気にかけています」のメッセージが有難く。母君は最早視認することがかないませんので、恐らく施設の方から説明を聞かされているのでしょう。見て喜ぶことが出来るのは家族である私の方ですね。
 明日は58回生Fくんと飲み会、明後日は職員室有志の宴会(中3担任団の飲み会にゲストでお呼ばれ)、ということで本日はしっとり読書独酌……の遠征を二日市「月空」まで。生サンマの塩焼きは今年初で美味。読書は森博嗣のエッセイ、田村由美『ミステリと言う勿れ』、そして下村幸子のルポは在宅看取りについてでこれは私の話ですね(私は非力故に在宅の看取りが出来ませんが)。