責任という虚構

 高1生に、高2からの文理分けについての希望(仮)調査を配布しました。事実上、理系は医学部志望と非医学部志望とに分かれますので、生徒の志望をざっくり(本当にざっくり)3つに分類すると、「文系・理系・医学部」という形になるでしょうか。文系はカルチャースクール、理系はラボラトリー、医学部は専門学校。私はカルチャースクール一択で、中1の春に国語科恩師先生のお姿を拝見して「ここ(F校)に就職したい!」と思って以降それが揺らぐことはありませんでした。母君に相談(ご意向伺い)したこともありませんし、母君から進路を確認(命令誘導その他)されたこともありません。私が中学生だったときの母君の最終学歴は中学卒業でした(その後、私の大学進学後に、ご自分も通信で某大学を卒業なさっています)が、当時は文系だとか理系だとかいう発想・知識そのものが希薄でいらっしゃったのではないでしょうか。
 田舎の進学校。田舎……本社レベルの大企業がない地方に、不景気の波は確実に押し寄せている。進学校……親御さんが教育熱心で子どもは親の影響を受け易い。となったら、まぁ、「手に職!」という発想で「正の走医性」みたいな反応を示す大人とそれに従う従順な子どもが増えてくるのは仕方ありません(この「走性」はアプリオリなものではなくアポステリオリなものなので、比喩として正確なのかは自信がありません。何せカルチャースクール派なので)。
 私としては、「文系・理系・医学部」がせめて3分の1ずつくらいになったらいいなぁ、と思っているところ。実際に67回生で外進高1Aの担当をした時には、何故か51人の志望がほぼ3分の1ずつに分かれたので「あら、結構担任の影響ってのもあるのね」と他人事みたいに驚いたものです。外進高1Aなんて医学部志望の下請けかよ、みたいな傾向があります。だから、少なくない親御さんから恨みを買ったんじゃないかなぁ、と思っています。
 実際に、教員として私が「あなたはこうしなさい」と進路を誘導することは(少なくとも意識的には)ありません。ただ、選択の方法については確実に言いたいことが一つあって、それは「自分で決めなさい」ということです。

 進路は自分で決めなさい。自分で決めたら、成功して誇れます。途中で成功とは違う方向にずれそうになったとしても、自分で決めた道ならそれまで努力できたはずでその分修正も巧くいきます。自分で決めなかったら、成功しても誇れませんし、成功しなかった時に自分以外の誰かのせいにします(その時は、立ち直るのに時間と心身の労力との両方を要するでしょう)。

 本日は授業無し。午前中は職員室で授業準備や過去に作った問題(出すあてのない模試や入試)の問題のブラッシュアップ(趣味じゃん)などのデスクワーク。その後、11時から16時までの長い年休を取り、市内を自転車でうろつきました。
 ①行きつけの美容室……同じ年の店長(ワンオペ)と最近起こったこと(要するに母君のこと)についてお話ししながら、髪を割とバッサリと切ってもらいました。
 ②銀行経由で介護施設……9月及び10月(母君が逝かれた日まで)の代金(含む医療費・訪問看護費)を払いました。内訳は省きますが、40万円超を払っています(母君が事前にご準備なさったお金で足り、私は1円も支払っていません)。
 ③仏具店……頼んでいたお位牌が完成したのを引き取り。
 ④血痰ネーミングショッピングモール「You meタウン」……タワレコ中島みゆき井上陽水トリビュート、の2作品を購入。

 学校に戻って、デスクワークの続き。明日は高1の2クラスで演習形式の授業(私はテスト監督のみ)があるのですが、バレー部の試合で公欠する生徒が放課後に個別で受験したいというので、職員室で解いて貰いました。真面目。

 夜は、近所の肉料理「I」で読書独酌……とふらり入ったら、カウンター1席を残して全席満席、その1席も時間制という繁盛振り。よく考えたら、今日は11月29日で肉屋が一年で一番力を入れる日なんでした。普通に出したら1本600円以上する牛串焼きが1円で売られていたために、会計金額の一の位が「1」になってしまったのですが、10円未満の端数は切り捨てるそうです。