文字の導火線

 朝の職員室で、一城みゆ希の死去を校長先生がお嘆き。曰く『ステージ101』が青春だったと仰るのですが、職員室に話が通じる教員が見つからなかったのが悲しみに拍車を。「一城さんって、ヤング101だったんですか? 私、声優としてしか知らなかったです」とお声がけ。出身の有名人としたら太田裕美谷山浩子とが圧倒的に有名(だという認識)ですが、後は串田アキラに小林啓子、他に誰が居ましたかねぇ。

 本日、明日の高3現代文は、2日連続でマーク式評論の授業を。本日は84年(共通一次)本試験、藤田省三「或る喪失の経験」を扱います。そして、明日はその「或る喪失の経験」を援用した文章が出題された、09年(センター)本試験の栗原彬「かんけりの社会学」を演習。2日で1セットという趣向。
 高2高3と二年連続で現代文を担当した学年だったら絶対に(高2の内に)一度は藤田省三を扱っているのですが、この学年は高3で初対面ということで、演習授業の枕として「三つの全体主義の時代」についてちょっと喋ろうと。で、とある理系クラスで板書準備を始めたら、倫理政経を選択している生徒たちが食いついて「全体主義とは……」「アレントが……」と盛り上がり始め、その流れで「本文タイトルの『喪失』『経験』を定義すると……」と高尚な推理(推測)合戦へ。「隠れん坊」のことだよ、と言い出し難くて困りました。

 授業5コマ、前半の中休みで会議、後半の中休みで面談。放課後は職員会議定例。空き時間は時間割その他の机仕事(あと、近所のスーパーで買い物を)。今日は忙しかったし買い物袋もあったので、退勤時はタクシーを呼びました。
 自炊。素麺~サラダ(水菜・カイワレ・梨)~冷奴~きりざい。大豆でしかたんぱく質を摂ってませんね。

 84年の藤田省三と言えば、共通一次直前の河合塾全統模試牧野剛が同一出典の文章を出題する所謂「ズバ的」をやり、一躍大学受験界の寵児となったというエピソードが有名。デビュー直後の曲が大ヒットしたような感覚でしょうか。私も就職初年度に東大(05年の文系現代文、小池昌代)を「ズバ的」しましたけれど、それ「1曲」で生涯食えるって訳にはいきませんし、何しろ就職当初は56回生から毎日いじ(め)られまくっててそれどこじゃなかった記憶。
 牧野さんは普段から藤田省三の愛読者だったんでしょうかね。藤田省三で模試を作る、と先に筆者を決めてしまえば、例えば当時の近著『精神史的考察』の中で出題可能な文章って、1箇所か2箇所かしか見つからなかったんじゃないかなぁ、と想像するのです。私は、在学中の東大文学部で何度か小池昌代の名前を見かけた(多分、藤井貞和が気にいっていたんじゃないかと邪推)のを覚えていたので、就職後最初に校内模試(東大文系現代文を想定の問題)を作る時に先に筆者を小池昌代と定め、手に入るだけの彼女の文章(小説と詩とを除いた評論・随想)を読むことにしました。すると、彼女が丁度岩波の『図書』でエッセイの連載を持っていたんですね。バックナンバーを全部読んだら、(東大文系想定で)問題化できる内容・分量の文章は「背・背なか・背後」と題されたエッセイの前半部しかありませんでした。