みんな 毎日 おなじこと話す

 家族が医者で背中に憧れ、若しくは家族または自分が入院した時の献身に感動しその道を意識し始め、高校の進路口座を聴いて自らの志望を確信し、確かな技術に加えて患者に寄り添う人間性を備えた医師を理想像に、将来は地域医療に軸足を置きながら得意の英語を活かせるグローバル社会における医療にも関心を持ち続け、臨床医でありつつ最先端の研究にも注力したい。
 ……以外の「志望理由書」を読ませてくれ、と思いながら添削。どっかにテンプレが転がってるのかってくらいみんな同じで、「ババ抜きだったら最初に捨てられんぞ」とか考えたり。ただ、あれだけの難易度の入試を出す学部に進学しようと思ったら生半可な勉強量では済むはずもなく、青春期の時間はごっそり持って行かれることになります。経験の幅がある程度狭いのは仕方ないですし、医師志望の生徒の親の多くが医師であるのも仕方ない話ではあります。そして、理想の医師像に関しては各大学が出す豪華なパンフレットにでかでかと書かれている以上それから逸脱することは難しいでしょう。要するに、学部の方も「大体みんな同じよう」だというのは解っているはずで、それを苦々しくだとか悲しくだとか思うなら思う方が間違っているんですね。別に何に対する批判でもありませんが、添削は基本的に退屈。但し、特に推薦入試の場合などにおいて稀に素晴らしい文章に出会うことがあって、直近だと63回生のHさんの文章は感動的でした(内容も文体も)。それはコピーを取らせてもらって、未だに医学部志望の生徒と面談をするときに見せます(Hさんとは在学中の直接の交流は多くありませんでしたが、あの一枚に感心して未だに年賀状の応答を続けています)。こういう一枚が読みたくて、大学もババ抜きみたいになると判っていながら「志望理由書」を書かせているのかなぁ、とか考えたり。勿論、佐賀大学の後期のように、自己推薦書に毎回独特のテーマを絡めて書かせるような工夫をしているところもあるのは承知しています。ここの医学部に関して言えば、嘗て「あなたがこれまで見た最も美しいものに絡めた自己紹介(大意)」というテーマで、自宅にある大きな仏壇を開けた時の光について書いてきた生徒の文章がまさに美しいもので、届け出る前から合格するのが目に見えていました(実際に合格しました)。

 さて、その医学部志望理由書について職員室でとある生徒と面談中。その某くんが、翌日に受験するF校親玉大学医学部の「試験開始時刻ですか? えっと……知りません」と言ったのに思わず「はぁ?」と返した声が、後で英語科パイセンから「池ノ都にあの声色を出させたか」と仰った程度には尖っていたそう。だって、他者どころか自分に対する誠意(打算と言っても良いです)すらドブに捨てた18歳って、流石にアウトでしょう。B組の生徒ではなかったですけど、もし自分のクラスの生徒だったら、野原みさえ式に頭グリグリやるか、花井拳骨式にゲンコツ落とすかしてます。

 授業は東大理系コース(2015年の池上哲司)、京大理系はテスト会(本番と同形式で90分)。未明の書斎で、空き時間の職員室で、ひたすら添削をガシガシ。
 17時過ぎに自宅にケアプランナー氏をお招きして話し合い。夜は近所のラーメン屋「M」にてラー飲み読書。

 川西ノブヒロ『バスルームのペペン(5)』読了、★★★★。