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 進路指導室で、私が高校3年生だった時の8月東大オープンの結果を発掘する。英語86、数学39、国語73、日本史33、世界史21。合計252、偏差値63.0、判定A。客観的に言って「そら、通るわ」って感じ(F校文系高3としては水準以上で、群を抜いてるという程ではないレベル)。世界史だけならD判定。
 現役時代、担任の先生が世界史なのにカタカナ嫌いで世界史だけを選択的にやらなかった、ってのが如実に出てますね。その先生ご自身は好きだったから授業はずっと起きてたけど、「楽しそうに授業するよねこの人は」とか思いつつ教壇の上をちら見しながら、ずっとルーズリーフにユーミンとか中島みゆきとかの曲の歌詞を書いてた糞餓鬼だった記憶。「東大は一科目で落ちるから(世界史勉強しろ)」って言われても「大丈夫」だと強弁してました。嫌なガキだったなぁ。というか、そもそも(F校の国語科の)教員志望だったから、高3までの第一志望は福教大だったわけで(母子家庭の子供がはるばる東京住まいが負担だって意識くらいはありましたよ)、母君に「東京に行っていい」と言われた時に第一志望が学芸大に変わったくらいで、そんな東大なんて考えてもみませんでしたもんね。
 高3のある日、「じゃりン子チエ」を描いた表紙絵に惹かれてジャケ買いした本、尾上圭介『大阪ことば学』を読んで凄いと思い(中高6年間で、ミステリ・漫画以外に読み通した30冊にも満たない本の内でいちばん面白かった)、その著者が東大の国語学の先生だと知った時に初めて東大を意識したのです。なぜか東大に行ったら教職は取れないと勝手に勘違いしていたのですがそんなことはないということを担任の先生に聞き、じゃああの本の著者に会いに行こうと思って志望を文Ⅲに決めた次第。
 それでも世界史はセンター後に一気にやろうと思ってた私。高3夏休み、要するにその東大オープンを受けた頃、先生に「インカ帝国ってどこですっけ? インド?」って聞いた時は流石に叩かれたもんなぁ。その担任先生、今はお辞めになっていますが私が就職した当時はまだ現役で、一緒の学年(56回生)を持ったときも「世界史だけ勉強しなかった」ってことをず~っとネタにされて復讐されてました。職員室でいじ(め)られるの、楽しかったな~。

 その担任先生に世界史の二次の勉強はセンター後にやり通すと言った高3の夏、「センター後に世界史だけ勉強するなんてできない、間に合わない」と返され、「間に合わないかも知れないけれども、世界史だけ猛勉強すること自体は絶対にできます」と答えました。一日約10時間、センター後の1ヶ月で約300時間、私は予定通り欠けることなく世界史をやっています(正確に言えば300時間以上やってると思う)。食事と風呂とを挟みつつ、10時間までなら一教科をぶっ続けでできることを、私は中高時代に定期考査の一夜漬けで20回以上経験しています。そして、定期中(の暗記科目受験前日)、昨日までやらなかった10時間ノンストップ勉強を今日久しぶりにやるということの難しさに比べたら、一昨日も昨日も今日も明日も明後日も明々後日も同じように10時間ノンストップ勉強をすることなんて簡単に決まってます。ある瞬間に動き出すのが難しいのであって、動き出したものを続けるのなんて易しいの一言。
 担任先生のお言葉通り、世界史、間に合いはしませんでしたけどもね(16世紀までしか終わりませんでした)。

 大学に通ったのは、もちろん世界史第一問が史上に残る奇問(近代しか出ないはずの第一問に、中世までのイベリア半島の通史が出た)だったことも幸いしたのでしょうが、基本的には英数国の点数があったおかげでしょう(当時は点数開示がありませんが、多分そう)。
 国語はさておいても英数がそれなり以上に解けた理由は、教員から「これだけはやればいい」と言われたことを全てやって来たからです。予習復習、宿題は必ず期限までに出す。だって、それをやれば「大丈夫」だと、受験生を何人も見送ってきた大人が言うわけで、それを信じない理由なんかどこにもない。だから中高時代は非常に楽だった。指示を遵守するってのの、どこに難しいことがあります? 何をやってもいいから自分で考えて行動して勝手に大学に通ってね、なんて言われたら(大学の研究って大体そんな感じなんでしょうけれども)、私すくみ上がってたと思います。だから、「これさえやれば」を教えてくれる教員には全面的に甘える、代わりにノルマは耳を揃えてこなす。やり方を教えてくれるという「施し」に対して所詮子供が「お礼」をする方法は、そのやり方の遵守しかありません。そして施しへの返礼は人間としての「倫理」です。ですから、英数に関してサボらない遅れないを貫いたのは子供ながらの「倫理」です。
 勿論、「世界史をやらなくても通る」などホザいた高3に、その授業が「施し」だったという意識などあるわけもなく、返礼義務の「倫理」も働かなかったわけですね。教科科目によって働くか働かないかがばらつく訳ですから、私の「倫理」なんて高が知れています。同じ回生のでっくんなんかは、その「倫理」を公私全ての方向に向けて働かせていたのだと思います。

 今の生徒の「倫理」如何。

 さて、大学にて。
 お会いしたいと思っていた尾上先生とは、文学部進学(3年生)を待たずにお会いすることが出来ました。1年生の冬学期に文学部からの持ち出し授業で先生が駒場で講義をなさったからです。そして、その授業の初回の授業で、聴講カードに必ず電話番号を書くこと、評価は試験で行うので必ず受験すること、とを指示された時に高得点を取れば連絡が来るということが分かり、これは上記世界史の時くらい必死に勉強しました。
 案の定、試験が高得点だったのでしょう(というか、周りの受講生、一部を除きほっとんど勉強らしい勉強をしてなかったんだと思う)、直ぐに面接の呼び出しがあり、そこで『大阪ことば学』を読んで東大を決めたことをお話しました。その後の国語学進学は別のお話……というか、おまけのお話です。なぜなら、人生を決めた本の著者にそれを直接告げた瞬間に、私の東大進学の目的は果たされたからですね(こういうの、最近では「東大までの人」って言うんでしたっけ?)。
 だから後は、TQCでおもっくそ飲んだくれて遊び倒して、国語学科では劣等生まっしぐらの教育学部浮気三昧(そりゃ、先生になるのが人生の目標だからね)。国語学科の中ではいるのかいないのか良く分からない存在だったと思うんですけれども、大学からはフェイドアウトせずに楽しい部分をめいっぱい味わってました。

 教員になった今。
 私「第一志望、東大にしとけば?」 A「嫌です」 私「ほどほどの勉強で行けるところに行こうかな、って感じ?」 A「はい」
 私「志望、ま~だ決まんないの?」 B「え~、ま~」 私「ぜ~んぜん考えてないの?」 B「え~、ま~」
 ってやり取りの生徒、あんたは昔の私ですよ。どっかでがっしり勉強(なりなんなりに)集中する覚悟さえあれば、「~までの人」とかなんとか呼ばれるカテゴリの中で、生徒(昔の自分)におもっくそ舐められながらどM教師家業に勤しむ人間程度にはなれます。それはそれで悪くない、楽しいよ。

 さてさて、本日も3時30分起床で5時に学校入り。長いお休みをしていた生徒が帰ってきて、久しぶりにA組44人、授業は別学年(高1)漢文4コマ、授業準備その他など19時まで仕事。夜は「もりき」で鴨鍋。
 ちょっと頑張って勉強して会いたかった先生にお会いした後の大学生活は、余生だと思ってめいっぱい楽しみました。F校に就職した最大の目的である国語科恩師先生との協同(おこがましい言葉を使いましたが、これは先生ご退職まで7年間続きました)をめいっぱい楽しんだ後の仕事生活は、余生だと思ってちょっと頑張って働きます。