下がったりなめたり

 母君の朝食をお出しして、通常通りに学校入りしてデスクワーク。授業準備や浪人生の依頼添削等。高1は昨日で前期課外終了ですが、高3は31日まで課外・特講が続くのです。12時に学校を出て、スーパーで軽く買い物をしてから帰宅。母君の昼食は冷たい素麺を中心に。

 13時にマンションのエントランスに。理事会の副理事長という立場で、マンション点検に随行する役目があるのです(理事長は主張中で不在)。マンションの住人からは私ともうお一方(還暦近くの男性)、それに管理会社のBさんと、一級建築士の方。建築士氏の引率による点検(の見学)は宛ら大人の社会見学。私は1階の住人なので2~5階には足を踏み入れたことがありません(最初に見学する前から、母君がお越しの場合を想定して1階にしか住まないと決めていました)し、エレベーターに乗るのすら今日が初めて。1階の柱が特に太く2階より上とは違っているとかいうことも知りませんでしたし、現在のマンションは屋上に上がるドア階段が存在しないものが多いということも知りませんでした。
 今日は、建築士氏の先導で屋上に上りました。普段屋上に上れないようにしている理由は、侵入者の飛び降りを防ぐというのが割合として大きいとか。ふむ。上れない屋上に上る方法は、最上階である5階の踊り場から脚立を使ってというものしかなく、これは冗談抜きで命がけ(バランスを崩したらアスファルトの地上に真っ逆さまです)。屋上は多少の風はありましたが、直射日光ががんがんで、滞在は15~20分が限度というところ。床や側面の素材の説明を受けながら、傷みがないかの建築士氏チェックの見学を。細かいひび割れが散見されるのは、建築時の問題ではなく、3年前の熊本地震の影響だそう。確かに、寝室のベッド、滅茶苦茶揺れましたもんねぇ。
 5階から2階まで、壁の傷みや非常灯の点灯チェックや共用廊下に私物を置いていないかの調査など、結構色々と見るところがあるんですね。自転車をマンションに引いて上がり廊下に置くのは共用スペースの占拠になるそうで、避難時の妨げにもなるためやってはいけないのだそう(知りませんでした)。
 1時間ちょっとかけてマンションをぐるり回って、建築士氏が出した結論は「良好」。地震による影響は天災故仕方が無いもので、且つどこの傷もそれほど酷くはなく今すぐ手を打つ(要するに住人が積み立てた金を使う)必要はないということですね。

 自宅に戻って、いよいよ決心したWOWOW加入の手続き。ユーミンのライブ番組を観るため「だけ」と言いながら、入ったら入ったでライブ・映画を録画しまくる未来が目に見えてます。
 入浴後に、母君の入浴介助。その後、まだ15時過ぎですが夕食を作成します。今日は16時に自宅を出発し小倉へ行く用事(遊びです)があるので、母君の夜のお世話を訪問介護士に依頼済み。出発前に、お盆の上に箸・スプーン・急須・マグカップに夕食後の薬、あとは介護士氏への置き手紙。

 お世話になっております。以下、宜しくお願い致します。
 ★夕食は冷蔵庫の真ん中の段です。①冷汁(タッパの中の汁をご飯にかけて下さい) ②太刀魚刺(ポン酢も入れています) ③小鉢2連 ④お茶(T-falで入れて頂いて、冷蔵庫上段の水でぬるめて下さい)
 ★冷たいお茶か牛乳かで、薬を飲ませて下さい。
 ★食後、車椅子で、トイレ→洗面台(歯磨き)→ベッド、の順番で誘導をお願い致します(一人で出来ますが、見て頂ければ助かります)。
 ★洗い物は、時間が超過する場合は結構です。
 池ノ都Y子(長男・辰也)拝

 親不孝が服着て歩いている私は、今回の不在を「小倉地区保護者会」という嘘で母君に納得して頂きました(小倉でお酒を飲むのは本当ですが)。準備に思いの外手間取って、新幹線は30秒前にホーム着のギリギリでしたが、何とか予定の号に乗車。
 小倉着、駅近くの待ち合わせ場所に集まったのは、私、「もりき」マスター、Hさん、Dくん、Hくんご夫妻(に幼いお嬢様)。何のことはない「もりき」常連がK市から移動しただけなのですが、今日は特別な日で、幹部候補生時代に「もりき」常連だったHくんがいよいよ東京に転属になったそのフェアウェル・パーティーなのです。幹事はDくんで、お店は駅前で日本酒を売りにしている居酒屋「K」。「皿倉山サラダ」なんてネーミングが如何にも小倉です。
 私は、小倉で育った人間ですが(3歳~12歳)、中高はK市F高で寮生をし、大学は東京(市が尾→巣鴨)、卒業後はK市F高で勤務を続けています。また、下戸の母君にお付き合いして実家で母君とご一緒する時(だけ)は休肝日と決めていましたので、要するに小倉でお酒を飲んだことが(お屠蘇ですら)ありません。小倉の居酒屋に入るのはだから初めてで、この居酒屋「K」がどのくらいのレベルの店なのかは判りかねますが(店員さんが「もりき」マスターに「日本酒、お詳しいんですね!」と言ったのは少し面白かったですね)、糠炊きや焼きうどんなどの小倉名物(あと、下関が近いので魚)を一通り食べられたので満足。Hくんとの思い出話や、彼のこれからのお話も盛り上がりました。

 2軒目は、屋号失念の日本酒バー。カウンターオンリー、そのカウンターも半分以上が日本酒の瓶に埋め尽くされていて御猪口以外のものを置く場所はほぼ無い、つまみは漬物程度は出すけれども基本は持ち込みで、という「お拘り系」臭プンプンのお店。実際に、マスターが日本酒の知識で客にマウント取ってくるタイプだったから、あれでよく「もりき」さんは横から口出ししなかったなぁ、と思ったら気持ち良く酔っててマスターの話を聞いてねぇ。
 個人では行かないタイプの店ではあったけれど、それでも「大典白菊 ウィンターボム」(岡山)、「町田酒造35 MAX 大吟醸」(群馬)、「花陽浴 純米大吟醸」(埼玉)等々、「もりき」にはないタイプのお酒が飲めて満足(特に「花陽浴」は好きな味でした)。

 新幹線→タクシー、で帰宅。マスターはK市でもう一軒行きたそうだったけれど、私とHさんとが待ったをかけました。「もりき」は月曜店休でも、私とHさんとは仕事ですので。っつか、皆で監視しながら乗ったから新幹線で降り間違いをしなかった、程度の酔っ払い方はしてましたよ、私たち。