世界はもうちょっと 優しい色になることでしょう

 本日は半休をとって出勤はせず。10時半に、事務嬢さんが車で迎えに来て下さいました。母君の骨と仮のお位牌・本位牌とを抱えて助手席に。所ジョージの結婚に際して仲人を務めたタモリ、二人が「仲人と言えば」「親も同然」というやり取りをしていたのは有名な話ですが、親の骨拾いを手伝って下さった方は何と同然になるんでしょうね。途中、自宅近くの花屋に寄ってお供えの花を買い、S寺には10時過ぎに着。
 「もりき」ご夫妻、及び従姉妹のMさんとそのお嬢様がお出でになり、参列の6人が揃いました。母君が逝かれて以来、Mさんにお会いするのは初めてのことです。

 葬儀(の、ようなもの)は本堂横の小さな和室で行ったのですが(読経の声がギンギンに響きました)、今日の四十九日は本堂で行われます。ご住職に「埋葬許可証」をお渡ししてから(この辺りはちゃんと事務的な手続きが必要なんですね)、先ずは、読経と焼香、ご住職の法話。葬儀の日はクーラーが必要なくらいでしたが、それから一ヶ月半経った今日の本堂は震えるほどの寒さで、季節が変わったことが分かります。その後、白木の仮位牌から本位牌へと魂を移し替える為の閉眼供養・開眼供養が行われ、およそ30分程で四十九日法要は終了しました。
 その後、お寺横の樹木葬墓地に移り、母君の骨をお墓(私と二人分のスペースの半分)に納めました。納める前に、Mさんに頼まれてお骨をお渡し。Mさんは、暫くお骨を抱えて泣いておられました。お納めしたお墓に石屋さんが蓋(墓石に相当するのかな、「池ノ都」の名が彫られています)を被せた後、全員で線香を手向けて納骨の儀はお仕舞いです。

 12時半には全てが終わり、ご住職にお布施をお渡ししてからお寺を出ました(この日のために袱紗も買いました)。その後、私はMさんが運転なさる車にMさんのお嬢様と3人で乗り、「もりき」ご夫妻と事務嬢さんとはそれぞれの車を運転し、会食の会場である豆腐料理「U」に移動。途中、車内でMさんに突然「辰也、お正月は私の家に来なさい! 今からFさん(Mさんのお母様で私の伯母様)に電話して伝えとくから、何日に来るか今決めて!」と命じられ、小さな頃から絶対に逆らえない方なので「2日にします」と即答。3日辺りを仕事始めにしようと決めていたので、その日以外ありません。
 ビックリしたんですが、両手で車を運転しながら、スマホで通話をすることが出来るんですね。スピーカーからFさんの声が流れて、車内の人間の声もFさんに聞こえている様子。普段お世話になっているK市のタクシー運転手さん、運転しながら携帯に出るのが当たり前なんで、そういう技術があるのなんて考えたこともありませんでした(で、考えたらそら開発されて当然か、と思いました。コロンブスです)。因みに、Mさんの車の中で流れていたのはRADWIMPSの曲でした。

 6人でランチコース。机上には母君の(お若いときの)写真が置かれているので厳密には7人なんでしょうかね。初めて入った「U」のコースは美味しかったけれどもちょっと量が多すぎました。私と事務嬢さんはたくさん、Mさんのお嬢様は少しだけお酒を。運転があるMさん、仕事がある「もりき」マスター、下戸の奥様はソフトドリンク。
 自宅に戻ったのが15時過ぎ。母君のお位牌を、朝まで遺骨を置いていた台の上に設置。ここへの飾りや必要な道具は、明日買いそろえます。

 仮眠のつもりでベッドに入り、目が覚めたら20時。何となくタクシーで文化街に出て、夜だけ空いているうどん屋で軽く飲んだ後、ライブバー「a」と小料理屋「A」とを梯子(最初に文化街に出たため、いつもと順番が逆になっていますね)。その後、タクシーで「もりき」に行き、ここでは飲まずにお昼のお礼だけ。徒歩5分で自宅に戻った後、昏々。