あの頃の生き方を あなたは忘れないで

 7時半に出勤。職場の指示で毎朝の検温、4日連続で36.0℃。体温計の品薄が続いているらしいですが、私は母君がお求めになっていたものが遺されているので助かりました。マスクといい体温計といい(自分では絶対に買わないので)、母君に助けられています。
 最初の仕事はデスクワーク、職員室のPCで、生徒個人個人の授業登録を行います。選択科目等もあって全員分を一気に更新という「楽」が出来ず、一人一人登録(チェックボックスのチェック、及び更新)をしなければならず大変。今日は4時間弱をかけて、中1と中2とを終わらせました。

 F校校門から徒歩3分のところに5日にオープンしたラーメン「M」。西鉄K駅近くで現在のF校生の魂食になっている人気店が、味噌ラーメン1本で勝負する新店舗をオープンしたのです。オープン初日は8時の出勤時から数人が並んでいて(開店は11時なのに!)驚きましたし、興味本位で見に行った11時前の店頭には100人ではきかない行列が出来ていて「3密」はどこ行ったんじゃいと呆れたものでした。が、今日の開店時刻に再び興味本位で観に行ったらスルッと入れたんで味見をしてきました。アルコール消毒必須、入口と窓は全部開放、机やカウンターの椅子は1つ置きで使用(常に客入りは店のキャパの半分)、と工夫が。辛味噌ラーメンとご飯とを注文、確かに美味しかった(私は本店の豚骨よりも好きな)んですが、支払い1050円はF校生にはちょっと高いんじゃないかしらん。

 18時に、Hさん家で「自粛」の練習、8日目。最後に、遂にHさんから今日で「練習」は卒業、という宣言が出ました。やはり息子氏の怪我が心配、再出勤の日まではご自宅で面倒を見られたいとのこと。明日東京からK市に戻るよう息子氏には厳命、朝イチで出発してなかったらHさんが日帰りで迎えに行くという勢いです。東京からK市の自宅に戻したら、お二人で2週間の籠城生活に入るとのこと(Hさんは自宅がオフィスなのでそれが出来ます)。だから「練習」はお仕舞い。本来Hさんが食卓を囲むべき相手は私ではないのに、8日間も甘えてしまいました。
 最後のお土産に、筍ご飯をタッパで、後は赤貝の煮物、納豆もろみ(胡瓜にも豆腐にもかけられます)。要は、これらを含めた食事を自宅のリビングで摂るということ、即ち「自粛」生活に自炊を取り込む。

 母君と2人暮らしの時は、母君の三食を全て準備していましたので、不器用だし味は良くないしという点を無視したら調理能力はゼロではないです。但し、自分自身のために料理をする、という経験はほぼ人生初で、それへの意思意欲は平時ならそりゃゼロですよ(外で飲んだ方が100万倍楽しい)。ですが、今は非平時です(戦時とは言いたくないですね)。鍋釜皿は洗っていますので、明日から「自炊」生活を始めましょう。
 独身アラフォーが、自分のために料理と皿洗いとをする。こういう時に、それを何と名付けようかというのを最初に考えるのは職業病でしょうか。真っ先に思いついたのは「独身侘し飯(わびしめし)」なんですけれども、多分数日続けている内に泣いてしまいそうになるだろうからという理由で回避、結局「自粛御膳(じしゅくごぜん)」と呼ぼうという結論に。「御膳」は僭称ですが、努力目標として。あ、あと、セラーの日本酒は全部Hさんにプレゼントしたから、自前で酒(ビールと日本酒)とを購入しないといけません。

 というわけで、明日からの一日一食は毎日自炊、「自粛御膳」生活のスタートです。【5/10記】5月10日現在、一日も休まずまだ続けています。【5/10記・ここまで】