間違いはあの時生まれた 私はがまんできない

 川島幸希『140字の文豪たち』読了、★★★★。初版本コレクターによる文豪挿話tweetを集め、それぞれに短い解説を施した本。本質は些事に宿る、を地で行くエピソードの連打にぞくぞく、好著。2冊目があるなら、「七十歳になっても枯れることなく精力的だった作家は、近代文学史上で谷崎しかいません。まさに超人です」と書く氏の、野上弥生子への言及が読みたいところ(野上弥生子については、三島由紀夫の死に関する「私がもし母親だつたら、『何でマイクを忘れたの?』とその場に走つて届けに行つてやりたかつたでせうよ」との言だけが登場しています)。

 TwitterのTLにフォローしていない卒業生の呟きが偶然流れてくることが稀にあります。絵恋ちゃん(等の地下アイドル)関連でオツカル様が63回生Eくんの呟きを「いいね」したのが回ってくることはしばしばありますが、昨日は西鉄バスが止まることの福岡県民にとっての衝撃を面白おかしく紹介した65回生Oくんの呟きが、TQC20期Kくんのリツイートで回ってきました。

 さて、台風一過の本日は6時に職員室入り。先ずは職員室の白板に本日の時間割を書き、今週末までの一週間分の時間割を作り直してから、それをプリントにしたものを全先生方の机上に配布しました。続いて、高2現代文と高3漢文特講との板書計画を作り上げたら、10時。その後は、高3が任意に提出して来た大学入試過去問を添削して、5限が高2現代文(中島敦「文字禍」)でした。
 本日から、高1・高2は5限授業でその後体育祭の練習。私は5限終了後、一旦自宅に戻って洗濯等の家事を終わらせ、過去の「男く祭」Tシャツに着替えてから再び学校に戻りました。歴代の「男く祭」Tシャツで特講をやるのは、主宰するはずだった50回目の祭がコロナで中止を余儀なくされた69回生への敬意として(なのか?)。

 さて、東大理系漢文特講を終わらせたら18時、その添削を未明に控えた私はどこかでサクッと飲んで帰る……はずだったのに、職員室前の茶髪に呼び止められる。誰ぞと思ったら私が担任団の一員として働いた67回生のYくん(佐賀医2年)、夏休みで学校に遊びに来てるんですね。
 私「何してるの?」
 Y「先生、どうしましょう、夜にご飯を食べに連れて行ってくれる先生が見つからないんです!」
 私「ふ~ん、大変だねぇ」
 Y「物理若手先生にも断られて!」
 私「あ~、物理くんは無理だね。体育祭の責任者なのに、サポートして下さるはずの地理先生が病欠なさってて今日一日で目が死んでたし歩き方がゾンビみたいになってた」
 Y「先生、どうしましょう!」
 私「それは他の先生を地道に探すしかないねぇ、それじゃあ頑張っ放して手を放して掴むな放せ」
 Y「どうしましょう!」
 私「……」
 真っ直ぐにこっちを見つめてくる目は雨に濡れた子犬のそれ、マスクが狡いですよね絶対口は笑ってますもん。
 私「……ホントに? 嘘でしょ?」
 Y「お願いします!」
 私「……まじかぁ。……分かった。特講の添削があるから少しだけね? どうせ外で食べる気だったし。で、僕ら2人だけ?」
 Y「いえ、5人で来ました」
 5人て。

 9/8は「自粛御膳」を中止、67回生5人と成り行きで居酒屋「A」にて飲み会。担任を務めた我らB組の生徒が誰一人居ないメンバーに全額奢るという事実(皆、私のことをどうせ「偶然手足がついてた財布」くらいに思ってます)から目を逸らし、ハンドルキーパー(未成年Aくん)にその後を任せたら、後は開き直って思う様飲み食いをさせます(遠慮されるのは嫌いなんで、好きな物を頼むよう言いました)。私は未明の添削があるのでという口実で21時に解散しました(若者はその後ラーメン「M」に行ったそうです)が、その後こっそり自宅で「日本酒チャレンジ」だけはこなしまして。よく考えたら今日の特講1回分のお給金の10倍を居酒屋で払ったがな、と気づいてチャレンジの途中からは泣き酒でした。福岡「筑後川」(純米吟醸)。

 理系5人、元気そうで何より。ほぼ初対面のKくん(九医2年)の「暇すぎて『スシロー』のバイトに応募して面接で『4年は辞めません』と嘘をついたら余裕で採用されたけれど延々と魚を1枚15gずつに切り分けて誤差は±1.5gまでしか許されないという業務が微塵も面白くない上に責任だけは重たいから二週間目にしてさっさと辞めたいのに直属の先輩が良い人過ぎて辞めると言い出せないのがクソ」という話はよく出来ていました。彼は見所がある。