聖なる海とサンシャイン

 6時半過ぎにゆったりと起床、朝風呂も独りで独占の贅沢。朝食は遅めの8時にお願いしました。塩鮭・蒲鉾・縮緬山椒・鹿尾菜・温泉卵・お浸し・味噌汁・香の物、それにお櫃にたっぷりのご飯で満腹以上。台風通過直後の昨日はまだ濁っていた音信川の流れ(2階の部屋の窓から見下ろせます)も今日は澄んでおり。朝食後に、川沿いを30分程散歩しました。
 9時半にチェックアウト、5000円引きのサービスは別注文のビール・酒代を賄ってまだお釣り、2000円分の商品券は新山口駅でお土産を買うのに使いましょう。10時前に駐車場を出発する乗り合いタクシーで新山口駅へ。

 新山口駅のお土産コーナーで、事務嬢さん・「もりき」マスター・Hさんに胡麻油を購入。自分用には未踏破の蔵の日本酒(300ml)を1本購入。新幹線で戻りますが、K市に直帰せずに途中の小倉駅で下車します。
 新幹線改札側のコインロッカーに旅行鞄と陶器とを押し込んで、室町方面へ向かいます。「シロヤ」の前には相変わらずの大行列、私も久しぶりに並んで、オムレット(50円)を1つだけ購入してその場でもぎゅもぎゅ。室町はリバーウォークに向かい、1階の店舗でお握りの昼ご飯を摂った後(今日は珍しく3食!)、北九州市立美術館(分館)で開催中の藤原新也の個展『祈り・藤原新也』に。

 藤原新也、写真家・文筆家。北九州出身の偉大なる文化人ですが、半世紀の活動歴で全経歴を振り返るような大々的な個展は初開催なのだそうです。本人自薦の写真・書のベスト盤。国語科恩師先生は50年前の「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」に衝撃を受けられたと仰有っていました。若輩の私は、やはり2010年の『死ぬな生きろ』でしょうか。発表時には「死んだように生きるな」の意で使われた言葉が、翌年の東北大震災、現今のコロナ禍と、どんどん額面通りの意に変容しています。
 磯崎新作の図書館に併設の「北九州市立文学館」はリバークォークから徒歩10分弱、ここが展覧会の第2会場ということでこちらにも足を伸ばしました。「死ぬな生きろ」の大書、瀬戸内寂聴への手紙、そして亡父の臨終を捉えた連続写真、と狭い会場の粘度が高い。

 序でに私の経歴回顧展。
 「市立文学館」から徒歩5分の所にある「西小倉小学校」は私の母校。門扉は(正にこの日の私のような)不審者対策で固く閉ざされており、校門の写真を撮っていたら校舎からグラウンドに移動する小学生たちにジロジロと見られました。その折に偶然鳴ったチャイムは、校歌の「いざ友歌え西小倉/その名讃えよ西小倉」という部分のメロディでしたね。私の在学中に120周年の記念行事がありましたが、今は150周年の垂れ幕です。
 小学校の頃に習った歌って、意外に記憶に焼き付いてるんです。「にこにこニッコリ西小倉/しっかりやろうよ力を合わせ/子どものパワーを見せてやれ/くよくよするなめそめそするな/ランラランルンルルン/……」これは冒頭1文字を繋ぐと「にしこくら」になる児童会のオリジナルソング(2番は繋いだら「じどうかい」になりました、確か)。そんなのを口ずさみながら小学校から通学路を逆にたどって「金田公団」へ向かいます。私の旧実家。公団を写真におさめ、近所の「中尾書店」で新書1冊を購入した後、「金田二丁目」のバス停から小倉駅までバスの通り道を徒歩で移動。公団横のマンションにはハマダさんのお部屋、路地の駄菓子屋(閉業)に寄り道してから遊びに行ったマシノくんのマンションはここ、よく出前を取っていたお寿司屋さんは潰れて焼き肉屋に、スケート場が潰れて「マルショク」を中心としたショッピングモールになっているその道向かいのマンションにはタナカくん、等々記憶は残っていますね。

 小倉駅からK駅まで新幹線、タクシーで学校へ。ちょこちょことした仕事を済ませたり事務嬢さんにお土産を届けたり。途中、東京から帰省中の61回生Hくんが職員室に遊びに来たので、私が18時半から「もりき」に行くのに後から合流するという約束を。タクシーで帰宅、荷解き、入浴。

 9/21も「自粛御膳」をお休み、山口土産の胡麻油を届けがてら訪問した「もりき」に、61回生Hくんが合流してサシ飲み。
 小鉢~刺盛り~鶏セセリ炒め~鯵塩焼き~パスタ。
 私学共済勤務のHくんには我々の給与体系から健康状態まで筒抜け……なので仕事の話は抜きで、Hくんが最近関東で観た髙橋真梨子のライブの感想は私が土曜に大阪で観る直前なので口止めして、と話題の選択が難しく。何故か私がHくんの実家がある八女の新店・閉店情報を色々と教えるなどして、ブックマークしているフレンチ「N」に潜入捜査するよう命じた……んですが、多分覚えてないだろうなぁ(ど酔っぱだったし)。 

 やましろ梅太『悪の華道を行きましょう(2)』読了、★★★。