冬虫夏草鶏スープ

 4時に目覚めて入浴、お風呂にお湯を貯めている間にベッドでスマホを弄ったり本を読んだり。取りあえず、昨日阿呆ほど飲んだ影響が身体に残っている様子ではなかったので安堵。入浴後に近所のコンビニでパンと「野菜生活」とを購入、2泊分の母君へのお供えです。旅行準備(本・CD・衣類)を終えた後、歩いて学校へ向かい6時の開門と同時に職員室入り。添削をガシガシ。

 予想(予定)通り、10時に全ての添削を終えたので、後は野となれでタクシー。K市を出た新幹線は僅か35分の時間で小倉へ到着です。半分くらいシャッター通りになったと言っても過言ではなさそうな小倉商店街・銀天街を歩いて旦過へ向かう……
 ……途中で「池ノ都先生?」と呼ばれて振り返った相手が一瞬誰だか判らず。「56回生のHです!」と言われて初めて人物を同定しました。今は北九州市内でお医者様、夜勤明けの帰り道に偶然高校時代の副担任(現代文担当)とすれ違ってびっくりなさっておられる。私もびっくりです(すっかり雰囲気がお変わりになって)。曖昧且つ抽象的な挨拶をしてお別れしたんですけれども、ちょっと余所余所しいくらいのあれが正解だったはず、うん、あれは私の気遣い。だって、もしちゃんと立ち話でもしようもんなら、私、コロナ禍夜勤明けのお医者様に対して「Hさんと言えば在学中は随分活発で明るくてでも蜘蛛だけは大嫌いで或る朝女子トイレでデカい蜘蛛を見つけた途端に『ボエエエエエエエエエッッ!』って叫んで外に飛び出してきてその場で目が合った僕を『池ちゃーーーーーーん! 蜘蛛蜘蛛蜘蛛ーーーーーっ! 退治してーーーーーーっ!』と女子トイレに押し込んだのが忘れられないですねぇ」とか喋ることになったわけですし。思えば、あれが私の女子トイレデビューでした(2度目なんて無いですよ、念のため)。

 旦過市場の「丸和」は全国初の24時間営業スーパー。小倉の誇りじゃて……と思っていたら、嗚呼! 知らなければ良かった、今は何と外壁のロゴだけ残して中身は血痰ネーミングスーパーマーケット「You meマート」に成り下がるという冬虫夏草みたいな最期を迎えていました。市場の中も随分雰囲気が変わって、お洒落珈琲店なんて出来てるじゃないですか(客は入ってなかったけど)。鯨専門店は昔のままで何だかホッとします。

 商店街内に建った多目的ビル(?)の中に移転したカレー「ガネーシャ」に初訪問(移転前と合わせても訪問は3度目です)。カシミールカレー・ナン・サラダ・ラッシーの「サラダランチ」を注文。1080円ですが、ルーを大盛りにしたら100円増しでした。カシミールのスパイスから幽かに、今は無きK市の名店「Sally」の記憶を想起したり(でも、やっぱり思い出補正抜きで「Sally」に軍配ですね)。以前はあったラサムスープが無くなっていたのでルーを大盛りにしたのですが、ナンで食べるなら大盛りにする必要はなかったです。11時オープンと同時に入店、直後に店内は9組満席の状態になって流石人気店(それに加えてテイクアウトも何組か)。

 旦過市場近くの書店「QUEST」で背表紙読書を1時間程。10冊程度の本を買ってこれは観光の荷物になりますが、今日市内をお車で案内して下さる先輩数学先生が月曜まで(車の中で)預かって下さることになっています。
 13時に書店まで迎えに来て下さった数学先生(市内在住)の運転で(一回り以上年上のベテランを運転に使うって、考えたらとんでもないな)、八幡方面へ。途中、先日訪問した北九州市立美術館(双眼鏡型の建物)が映画『図書館戦争』の中に出てきたという話をしたら、北九州は映画ロケ誘致に積極的だということを教えて頂きました(知らなかった)。
 さて、北九州観光最初の目的地は八幡東区の「ひらしま酒店」。K市の「もりき」マスターも名前をご存知という県内外に聞こえたお店で、親しくなれば「十四代」も手に入るみたいな感じらしく。店の外壁には種田山頭火の句と秋山巌の版画(フクロウ)。そんなに広くない店内に主に日本酒・焼酎が所狭し。京都の「タキモト」みたいなインパクトは無かったですが、それでも知らない蔵のお酒は(九州山口を中心に)幾つも。良さそうなものを5本ほど見繕って、クール便で自宅配送の手続き。

 その後、夕食(飲み)と「ひらしま酒店」以外ノープランというとんでもないドライブの移動ルートは地元知悉の数学先生にお任せ。北九州を地元にしながら私にはついぞ縁の無かった若松地区をご案内ということで、先ずは戸畑から真っ赤な若戸大橋を渡ります。途中、様々な公立中学校・高等学校の横を通りながら学区について案内して下さるという教員ならではの醍醐味も。ドライブと言ったら高い山に登る(街を展望する)というのが礼儀だということで、若松では「高塔山」に登りました(最初伺った時はてっきり「高遠山」だと思っていたらまさかの湯桶読み!)。展望台から山道散策(火野葦平の碑がありました)、その後は市内をぐるりドライブで、「小倉競馬場」やすっかり寂れてしまった「アドベンチャープール」(昔は、その隣に「アドベンチャーメイズ」という体験型大迷路がありました)やを通過しては懐かしい思い出に浸り。途中、私の地元であるところの小倉北区金田近くも通ったのですが、途中の「A寺」が小学校時代の同級生Hくんのご実家だ、とポロリ話したところ何と数学先生は前任校(公立)で高校時代のHくんを担当なさったとのこと。私も数学先生もHくんとはFacebookで繋がっているので、世間は狭いですね~、というやり取りが。
 最後は小倉南区、城野の数学先生宅に車を止めた後、モノレール10分で小倉駅へ。ご自宅隣にあった城野の「ダイエー」(小学生時代に母君によく連れられました。外が見えるエレベーターが大好きでした)が廃墟になっていたのが哀しく。

 駅近くのホテルにチェックインしたあと(数学先生をお待たせしてしまいました)、予約していた旦過の蕎麦屋「しらいし」へ。先にも書いた通り、酒屋と飲み屋と以外がノープランというだけあって、私も数学先生もお酒は大好きでして。

 2/12は「自粛御膳」をお休み、大先輩数学先生とさしで平和通の蕎麦「しらいし」へ。私も屋号は知っていた有名店にて美酒佳肴、大人の経験です。蕎麦も酒肴も美味しかった(出汁と油とが良いんでしょうねぇ)中、特に「蕎麦屋の焼鳥」というのが概念覆す系の逸品(串無しの文字通り「焼いた鶏」に甘ダレがたっぷり)で、あれはまた是非食べたい味でした。日本酒は有名どころがずらりで、「十四代」の玉返し(←蔵を全国的に有名にした仕立て)が安い値段で何杯でも飲めるのは(昼に訪れた)「ひらしま酒店」との繋がりがあるからなのでしょう。
 話題は一緒に担当させて頂いている70回生高2学年のこれからのことや、職員室の噂話(?)など色々。政治的なこと(?)もちょこっと。F校勤務年数自体は私の方が長いのですが、教員としては数学先生の方が遙かにベテランでいらっしゃるし、先生は公立校のご勤務が長くていらっしゃったので学校や生徒やの見方に私には無い客観性があられ、教わることが多いのです。

 「緊急事態宣言」につき20時でお開き、そのまま解散になったのですが、どさくさに紛れて全額奢って頂いてしまって本当に恐縮です。お返しする術を持たないので、その分を下に返します(月末の後輩数学先生との「メシハラ会」で)。
 ホテルで健康睡眠。