さらわれて突然

 1981年のシングル「ボサノバ」の中で「女はいつでもSwinging Jazz」と歌った研ナオコさん、その2年後の1983年に素晴らし過ぎる企画アルバム『Naoko Mistone』を発表しました。帯のキャッチに「いいじゃないのスウィングすれば……」とある通り、三木敏悟(共同クレジット)率いるビッグバンドをバックに全編ジャズに挑戦した意欲(異色)作、取り上げられた楽曲は海外のジャズ・ポップス・ラテンや日本の(戦前の)流行歌・童謡等々。オリジナル10枚目となる今作が発売から40年を経てこの程漸くCD化されました。で、これがまぁ傑作だったんです、★★★★★。
 先ず面白いのは、海外の曲も総て日本語で歌われている、その日本語詞を新たに(本作のために)書き下ろしているところ。例えば、これまで唯一CD(ベスト盤)に収録されていた「堕天使メロディ」の原曲は、ペギー葉山によるヒットや井上陽水によるカバーが知られる「ドミノ」で、本作にて新しい詞を提供したのは阿木耀子。「ベサメムーチョ」に「初恋」と題された詞を書き下ろしたのは(駆け出し時代の)秋元康、という具合。
 1曲目「27番街シャッフル~さらわれて突然 Based on "IT'S ALL RIGHT WITH ME"」冒頭の(演奏開始前)の拍子木から、ラスト10曲目「ある日ふっと"IT'S ALL RIGHT WITH ME"~花いちもんめ」(ジャズと童謡の合体、矢野顕子みたいで超カッコいい)まで、MC無しのライブを聴いている感じ。大相撲中継のラジオ音源をバックに歌われる「通りゃんせ」だったり、コント風の語りも駆使された「のんき節」だったり、ぎりぎり歌謡曲をはみ出ない範囲の冒険心遊び心を満載して、しかもどの曲のどんなアレンジでもナオコさんらしさを喪わない歌唱で、小粋の権化みたいな音を浴びる40分間がず~っと気持ちいい。繰り返して言いますが傑作。しかしまぁ、これが30歳の歌声だって言うんですから、昭和の芸能界って本当に不思議な異世界だったんですねぇ。
 そう言えば、幼い私に活字を通して日本語を教えてくれたのは水木翁の妖怪図鑑(文章が総ルビだったので幼児でも読めました)だったのですが、音声を通して日本語を教えてくれたのは間違いなく研ナオコさんです。3歳の鍵っ子時代から幼稚園時代、母君所有のオリジナルアルバム『Deep』(1985年作)のカセットを、それこそすり切れる程聴いていました。だから、幼稚園児が、辞書で歌詞に出てきた「娼婦よりも唇は淫らで」やら「金襴緞子帯締めて」やらの歌詞に出てくる単語を必死で引いてたんですね。『Deep』はナオコさんにとってCDで(も)発売された最初のオリジナルアルバムで、私はそれを大学時代に入手しました。その2年前の『Naoko Mistone』は、発売から40年です。

 4時前に起床、書斎で昨日の特講の添削をガシガシ、6時に場所を職員室に移して添削の続き、答案は朝のSHRで返却。本日は高校球技大会で高1漢文の授業が無くなったので机仕事のみで、一週間分の授業のプリント準備をしたり、時間割業務をやったり。

 10時頃に事件出来。警備員さんからの連絡で、土曜に構内に侵入したイノシシが再び正門前に現れたことが分かりました。パトカーも出動して、正門(学校中の門を閉め切っています)前は物々しい雰囲気。生徒に知らせると混乱する(というか、多分見に行く)ので内緒にすることにして、グラウンドでは高1・高2が普通に球技大会(サッカー)を楽しんでいます。
 野次馬で正門近くに出向いてみたら、イノシシはF校に隣接する建設会社の敷地内に移動したそう。F校敷地とを隔てる溝川越しにひょいとあちらを覗いてみれば、現場盛り土に普通に溶け込んで腹ぺこイノシシさん……なんですが、隣の先生に思わず「でけぇ」と溢してしまった程の見事な成体。こんなの、子どもじゃなくても普通に怪我するわ。写メバシャバシャ撮って(いちばんよく撮れた体育科後輩先生からLINEで写真を貰って)距離の余裕をかましましたが、あちらでは警察も扱いかねて結局逃がしてしまったそうです。

 15時から年休。帰宅後は入浴、17時の予約を取った美容院「G」までは徒歩移動。同じ年のワンオペ店長Kさんとは、それこそさっきのイノシシの話とか今度観に行くライブの話とか色々でしたが、私生活でちょっと困ったことを抱えてしまったというKさんは心なしか元気の足りないご様子(私にどうにか出来る話ではないのですが、私の仕事に関係のあるお悩みなのでどうも反応に困りました)。
 1時間弱で退店、西鉄K駅構内の書店を軽く素見かしてから、近くの焼肉「M」へ。この年の独居独身が焼肉屋に行くのは飲み事がある時だけ。球技大会の慰労会です。2時間の飲み放題はビールとマッコリと。二次会は小規模の5人体制でしたが、幹事を任されてお邪魔した小料理屋「U」に事務嬢さんもいらしていたので結局6人で盛り上がってから和やかに解散……

 ……しようと思ったら、最後に事務嬢さんから袖を引かれました。お前、帰れると思ってるのか?
 店先で拉致られて「U」のカウンターに座り直し、隣の常連さんたちも交えて飲み直した、その最後の記憶はありません。ふと目が覚めたら自宅の廊下で体育座りの2時でした(慌てて確認したら、荷物はきちんと揃えてて、着替えてもいました)。43歳やぞ、と自分を詰りながらベッドで二度寝。後で「U」の女将さんに伺えば、随分機嫌良くタクシーに乗って帰ったとのこと。記憶以外何も失くしてなくてよかったです(ここに晒して尊厳を僅かに失ったような気もしますが)。