いったいだれでしょ だれでしょね

 なんと気が早いんだろうと思ったんですけど、「もりき」カウンターで或るお客さんがお子様へのクリスマスプレゼントの話題を(既に子育てを終えた後の思い出話として)。ご自身がファミコン熱中世代だからプレゼントに「ゲームボーイ」その他を買い与えることに心理的抵抗は全く無かったけれども、ある年に「プレステ2」とソフトとを欲しがった時に金銭的理由でギブが出て、「サンタさんは実は居ないの! ママなの! 2はちょっと高いわ!」とカミングアウトなさったというお話でした。

 私にも、サンタクロースを信じていた時代はあったんですよ。ここで、突然ですが、母子単親のご家庭のお母様に、クリスマスを利用した節約術をご紹介致します。
 私が覚えている最も古いクリスマスプレゼントは12色(だったかな)のクレパスで、これは幼稚園年中組の時。クリスマスという日を認識していたのかどうかもあやふや、ただ、朝起きたら枕元に綺麗に包装されたクレパスが置かれてあって、母君曰く「これがサンタクロースからのプレゼント」だと。ほぅほぅ。その時の私、クリスマスに「自分が欲しいもの」が貰えるという認識がなく、ただプレゼントとして(半ば一方的に)クレパスが与えられたという事実を「そういうもの」として受け取っていただけなんです。プレゼントは大切にしまっておこうという母君のご提案に、それも「そういうもの」なんだと従っておりました。
 さて、翌4月に年長になった私。ある日、クラス(きく組)の先生が「今度から、毎週みんなでお絵かきをする日を決めま~す」的な説明をなさいまして。で、「その時にはこの画用紙セットと、クレパスを使いま~す」と、先生がみんなに見えるよう掲げて下さったそのクレパスを……「ぼぼぼ、僕持ってるっ!」 私の中で、サンタさんは未来のことが分かる魔法使いなのだという設定になった瞬間。
 因みに、その年のクリスマスには、小学校に上がった後「書き方」の授業で使うことになるお習字セットが。ご丁寧に、千代紙の裏に認められた(恐らく母君が筆ペンで書かれたのでしょう)サンタさんからの手紙までついてましたっけ。でもって、その次の年の「裁縫箱」の辺りで私がトリックに気づいたか母君から明かされたかだったという記憶。

 遊び半分でらしたのは間違いないでしょうが、これも一つの節約術だったのかしらん、とも思います。母君からの「だまされ」については、お見送りした後で「私の父君とのご結婚が初婚ではなかった」というのを知ったというのが人生最大のものでしたけれども、このサンタクロースの話はその次くらいに見事に「だまされ」た体験なんじゃないかなぁ。
 いや、実はもっともっと凄いのがあるのかも知れませんけれども、流石にこれ(初婚じゃなかった)以上のやつがあったとしたら、それは「だまされ」た私の方が生涯気づくことがないレベルなんじゃないかと思います。

 土曜半ドンで授業は4限に高2某クラスの現代文。通常なら金曜日の授業が土曜4限に移った(というか私が時間割係なので「移した」というのが正しいのですが)格好です。一週間の最終時限、寮生ならこれが終われば久しぶりの実家帰省という人も居ましょうね、板書準備に入った10分前の教室が何となく明るいというかフワフワしているというか、この学年にしては珍しく開始の号令後にプリントを配り始めてもちょっとざわついている。厭味でもなんでもなく、「楽しそうねぇ」とポロリ。素直で良いですね。

 15時過ぎに帰宅、入浴後に少し台所で作業。明日はHさんちでホームパーティーで、Hさんから頼まれている浅漬けと刺身コチュジャンとの内、浅漬けの準備は今日の内にしておくのです。山うに豆腐・だし奴を肴にして、京都「澪」(スパークリング清酒)を味見しながらの作業(まぁ、こんなもんなのかな、という感想)。宝酒造デビューとキッチンドランカーデビューとを兼ねていますが、これが今日の「日本酒チャレンジ」ですね。

 11/14も「自粛御膳」はお休み、居酒屋「A」で読書独酌。ミニシチューとらっきょう漬けとが突き出し、オクラ納豆・鰤釜焼きで飲んだ(ビールとキープの焼酎)後、〆は新作メニューのジャージャーパスタ。これはピリ辛芋焼酎にピッタリ。