さえずりのみつ

 年若い卒業生(大学生)某くんから「高校時代の先生の授業が楽しかった」と言われ、色々と思い出したり考えたりする。

 私は、所謂「国語の授業」のスキルについてはほぼ皆無であると自認しています。というかそもそも、「段階を踏みつつ教材を理解させるために、生徒の反応を伺いつつ細かい発問を繰り返して……」という応答型の授業は、大学時代の教育実習での研究授業を最後に一度もやったことがありません。こういうのについては、たまに教育実習に来る卒業生の研究授業の方が何百倍も巧い。私は、そのようなタイプとは全く違う授業(内容は後述)を行っています。
 そうなった理由は極めて外発的なものなのですが、就職以来丸8年間、生徒からまともに授業を聞いてもらえなかったからです。具体的には、高校56回生(中3~高3)・62回生(中1)・63回生(中3~高1)という、まだ男子だけのクラスだった時期(63回生高1A組だけは男女混合ですが)。寝るだとか聞かないだとかならまだマシだったのですが、そうではなくてとにかく生徒が騒いで五月蠅い。発問だとか範読だとか言ってる場合じゃない、そもそも物理的に私の声が届かないんです。当時の生徒は教員の「強・弱」を瞬時に見分け「弱」と認識した教員は徹底的に無視しましたから、授業中の彼らの放縦は手が付けられない(というか、手を付けようとすら思わせない)レベルでした。私に(なだいなだ風に言えば)「権威」か「権力」かがあれば良かったのでしょうが、「権力」即ち暴力は正直似合いませんし、「権威」は経験の中で身につけるものなのにその経験即ち授業をさせてもらえないんですからもうどうしようもない。
 ですが、仕事ですから、そんな彼らにも教材となる文章を理解してもらわなければなりません(もう少し具体的に言えば、テストで点を取ってもらう必要があります)。ですから、その時の私(教室で喋る権利を剥奪された教員)の義務は「声が全く届かない授業の内容を生徒に一通り理解させること」に尽きました。となると、鍵は板書になります。その日の授業の範囲を、黒板1枚にどう収めるか。後で板書(写してもいいし誰かにコピーをもらってもいい)と本文とを交互に見返しさえすれば、授業を全く聞いていなくてもその内容が理解できるものでなくてはなりません。欠席・欠課も無問題。自分なりに工夫を重ねて、そういう板書の「編集」能力は少しだけ向上しました。勿論、進学校の生徒自身の「賢さ」にも依存して初めて成立するやり方ですから、私の方も生徒に「借り」があるというのは百も承知。生徒に教科書とノートを持ってくるなんていう「面倒」なことを要求するのは「不遜」でしたので、授業ではB4の上質紙1枚にその日の本文・ノートスペースをまとめたプリントを必ず毎回配付します(これの「編集」能力にもちょっと自信があります)。授業では10分五月蠅かったら帰ると決めていて実際何度も帰りましたけど、その時も板書だけはきちんと最後まで仕上げてから教室を出て行きました(その際、授業中は口から言葉を全く発していません)。
 自らの下手と不向き(と、子どもの残酷さと)に向き合う惨めに8年間耐えられたのは、勿論職員室に国語科恩師先生がいらっしゃったからです。職場でご一緒できるというだけで、他の一切は相殺されました。恩師先生や当時の学年団の先生方には様々なフォローで御迷惑をおかけしました。

 現在も、基本的にはその時と全く同じ授業をしています。上記の「教科書・ノート一体型」のプリントは毎回必ず配付しますし、板書も行数をきちっと決めてその日の本文を「編集」しています。近年は、共学化という制度的転換及び時代の変化の中で、生徒はどんどん優しく真面目になってきています。私の授業も就職当初(っつっても8年間続きましたが)とは違う環境(喋る権利を付与された状態)で行えています。ですが、「授業というものは聞いてもらえないものだ」、或いは「放縦が許されるなら授業など誰も聞きたくないのだ」という刷り込みは、恐らく退職するまで消えることがないでしょう。何かで上書きするには8年は長過ぎました。
 初めて担当する学年の生徒には、最初期に必ず「恣意性の権利」という概念を説明します。私の授業中には何をやってもいい、授業を聴いても本を読んでも内職をしてもぼーっとしてても寝てもいい、何をしてもいいという権利をあなたは持っている。ただし、騒いだり立ち歩いたり、隣の席に座っている人の同じ権利を侵害するようなことはしてはならない。自由は忍耐を内に含む概念であること、或いは自由と不自由は両義的一体性をもつこと、そこを理解できない者の自由は自由でなく放縦に過ぎないこと、さえ理解してもらえるならそれ以外の何も求めません。
 今担当している中3にも、最初の授業(初対面)で上述の権利について話しました。生徒の真面目さ優しさ、そして過去2年間の担任団の先生方のご指導があるからでしょう、多少の(時によっては結構な)寝落ちはあるけれども、私は授業中に一度も自分が喋る権利を剥奪されたことがありません。
 基本的には「板書と本文とを交互に見返せば理解十全となるだけの準備」ですしそれに応えるだけの生徒の「賢さ」ですから、今でも本当は私が授業で何かを喋る必要はないのですが、権利を与えられたならば別に喋るのが嫌なわけではありません。ですから、本文範読以外にも、例えば本文の内容に関する(生徒の生活の中における)具体例を幾つか挙げたり、過去既習の文章の概念との共通性(これって、あれじゃん)について説明したり、本文に関連して大学入試過去問の中から今の内に知っておいたら便利だと思われる概念を提示したり、時には雑談やくすぐりを入れたり……ぶっちゃけ、単に定期テストで点を取るだけなら必須だとは言えない(と私は考えている)こと……をつらつらと喋って、完全講義形式の50分を終えるのです。一方的な講義形式を選択し続けているのは、例えば発問をしたら返事が返って来るなど今でもとても信じられないからです。
 ベースが「授業というものは聞いてもらえないものだ」ですので、授業準備をしている時間及び授業中に心を占める感情の多くは不安と恥ずかしさと惨めさと……だったのですが、ここ数年、ちょっと楽しいと感じることも増えてきました。不向きも下手も、続けれさえすればなんとかなるということなのでしょう。当時のことは今でも時々、「授業開始時に『静かになったら始めます』と待ってたら終わりのチャイムがなった」とか、「日直に『号令お願いします』と言ったら生徒から『授業中に私語をするな』と言われた」とか、「担任のクラスで生徒に『黒板くらい消したら?』と言ったら『お前はウンコした後で人にケツを拭かせるか?』と聞き返された」とか、色々笑い話にして話すことで供養に代えています(何の「供養」なのかというと、その当時毎日殺していた私の「感情」の「供養」です)。
 念のために書いておきますが、当時の生徒に対して別段恨みがあるわけではありません(というか、一部とは今でもよく一緒に飲みに行く間柄です)。大体、私自身が高校47回生だったのですから、固より生徒はそういうものだということを知った上で就職したんですしね。

 さて、本日(定期テスト2日目)の日記。
 6時に学校入りして、始業前に昨日の校内模試国語(文系現代文)の採点を終了。出典は堀田新五郎「撤退は知性の証である」(2022)で、内田樹編『撤退論』所収。受験者数が67人と少なく2時間で採点集計まで終えられました。現役生浪人生とも平均は17.7/40(44%)。「半分弱でサインはV」(←昭和的駄洒落)が国語科的な理想なので今回は上手く行きました。
 始業後は、1限に中3(国語Ⅰ・現代文)の出題。2限以降はひたすらに採点ガシガシ。そうそう、冒頭から「授業」についての辛気くさ~い話をダラダラ書きましたけれども、定期・模試・入試の「作問・採点」という営みは就職初年度からず~っとひたすら楽しいばかりです。根っからの「クイズっ子」なんでしょうね。これも、最初の8年間(下積み時代?)に耐えられた理由の一つ。

 夜は、「愚痴吐くからつきあって」「ワン」という阿吽の成り行きで英語パイセンと居酒屋「A」へ。阿吽とは言い条、色々あって実はさしで飲むのは多分4、5年ぶり。私もお姉様も最初の内はドギマギでした……が、飲んでる内に解れてっつか解れきって、お姉様が2日後の教員飲み(私含めて3人)に突如乱入宣言をなさるなどお元気に(予約した懐石「G」に電話して頭を下げました)。

 という訳で、10/12は「自粛御膳」をお休み、居酒屋「A」で2人テーブル。
 小鉢~シーザーサラダ~カンパチ刺~串3本~梨甘酢漬け。

 三木那由他『言葉の展望台』読了、★★★★。