We Will Meet Again

 K市から小倉駅は新幹線で40分ですから近いものですが、毎日往復通勤する気力があるかと問われたら、私は明確にノー。行きの車内ではスマホゲームをだらだらと。
 結局、昼食は小倉北区民の魂食「はるやうどん」を選択、11時前に小倉駅着の新幹線を選び、駅徒歩5分で開店直後の入店でした。かやくうどん(揚げ・なると・昆布・葱)の大盛りに若布のトッピング。改装後の店内はすっかり味気なくなってしまいましたが、うどんの味は昔のまま。普通なら稲荷も注文するところですがここではパスして、ランチ後のデザートを別の店で(そのために、鰻・カレーは回避しました)。
 「はるやうどん」がある駅前路地から10分強、井筒屋新館の裏手にある喫茶「Aunty」に初入店。前から気になっていた英国カフェは、上品且つ好き嫌いのはっきりしてそうなマダム(ノーマスク)と若いウェイトレスさんお二人(マスク)とで回しており、英国調の店内には可愛らしい(でもって高そうな)皿・カップ・紅茶がずらり飾られており(全て売り物)、至る所に猫に関するアートも(入口のドアノブからして猫のしっぽ)。店内数組の客(全て女性)はどうやら全員予約の上でランチに訪れている様子で、予約なしの私はテーブルに座れる最後の客でした。紅茶と栗のタルトを注文、美味。

 ティーポットいっぱいの紅茶でお腹がたぷたぷ、栗のタルトも大きめのカットだったなぁ、と記憶を反芻しつつ、くちいお腹で次の目的地まではやや長めのお散歩。小倉観光、最初の目的地は初訪問の「TOTO MUSEUM」です。
 1917年創業の東洋陶器、100周年を記念して2017年に開館。衛生陶器の開発史、製造過程の詳細が知れます。水回り商品ずらりは勿論、衛生陶器が軌道に乗るまでの会社を支えた食器類の展示も充実(食器製造は1970年まで)。2011年に小倉~東京1400キロを実際に走ったという「トイレバイク ネオ」の展示も。映像コーナーも充実、観られて嬉しかったのは戸川純ちゃんの「ウォシュレット」のCM(1982年)。全て観たらたっぷり2時間はかかるこれら展示、信じられないことに、無料。
 第2展示室では特別展「SUEP. Harvest in Architecture」。地球環境をテーマに、資源・エネルギーが循環する環境建築デザインを手掛ける建築家ユニット。佐賀嬉野の中学校の高床式校舎にはびっくり。雨水を集める屋根、災害時には中庭・グラウンドが貯水池になるという設計。
 ミュージアムショップでは、自分用に歯ブラシ立てと、職員室の先生お二人(寮監長地理先生・後輩数学先生)にチョコレート(便器の形)とを購入。

 ミュージアムの前からバスに乗り、長く揺られて降車したのは砂津。小倉観光の後半は、自らのルーツを辿る漫ろ歩きです。私は、3歳から幼稚園卒園まで、大田町・富野・砂津が出会うエリアに住んでいたのですが、そこいらを巡ってみようという試み。
 3歳の時に最初に住んだアパートは直ぐに見つかりました。大阪の、多分父君から母子で夜逃げしてきた時の母君はまだ25歳、砂津近くのアパートというのが最初にどういうお仕事を選んだのかの想像を容易にさせます(私が覚えている限りの最も古いお仕事はアパレルでしたが)。当時から薄気味悪いと思っていた建物でしたが現存しているとはまことに意外。35年ぶりの訪問者には、2階にあがる階段に近づく勇気はありませんでした。2階のどこかの部屋、真夜中の留守番でわんわん泣いて、1階の貸本屋(閉業)で借りた水木しげるの妖怪図鑑に慰められながら日本語を覚えた(総ルビだったので)のはもう40年前です。向かいにあったスーパーマーケットは潰れ、少しの間だけ通った「ひまわり保育園」も閉園していました(鍋みたいな容器の中におしっこさせるようなところでした)。
 幼稚園入園と同時に引っ越し、不気味アパートから大人の足で徒歩5分のところにあったマンション、こちらもまだまだ現役でした(花壇やブロック塀等はボロボロでしたが)。道向かいの駄菓子屋(T商店)がまだ開いていたのにはびっくりです。そして、そこから5分程歩いたら、「とみの幼稚園」。建物も変わっているし、ファンシーなデザインの幼稚園バスが何台も停まっているのは記憶の中に全くありません。幼稚園、私の中学合格・大学合格の時に大きな名前入りの垂れ幕を作っていたというのはどこから聞いた話だったでしょうか。それももう四半世紀前のことです。

 砂津から小倉駅前のホテルまでも徒歩移動、何だかんだで2時間以上歩いています。チェックイン、入浴。着替えてタクシーに飛び乗り、数学先生とは会場で直接の待ち合わせです。

 布施明『よみがえれ、昔日の情熱』@小倉・ソレイユホール。
 ①勝手に想い出 ②昔日の情熱 ③Mr. Bojangles ④雪がおどる ⑤流離の彼方で ⑥それが僕です(Ese Tipo Soy Yo) ⑦メドレー(YOKOTA AIR FORCE TOWN~これが青春だ~落ち葉が雪に~霧の摩周湖カルチェラタンの雪~恋~うりずんの風~シクラメンのかほり~愛情物語を観ましたか) ⑧愛情物語(To Love Again & Manhattan) ⑨マイ・ファニー・ヴァレンタイン ⑩We Will Meet Again ⑪慟哭 ⑫まほろばの国 ⑬My Way EC①君は薔薇より美しい EC②Time To Say Good Bye
 嘗ての実家(金田公団)そばのホールは、美空ひばりが生涯最後のコンサートを行ったことで一部に知られているかもしれない老舗。私が入ったのは嘗て一度だけ、6歳の時に母に連れられ中森明菜のコンサートに当日券最後列で参加し、彼女が当時ハマっていたというCMのキョロちゃんの真似をするというMCの部分以外全て寝るという離れ業をやってのけました(今は、その時の自分を殴打したいです)。それ以来2度目のホールで、人生2度目の生・布施明
 御年75の声量お化けが歌い踊る。山下達郎は「Ride on time」をノーマイク歌唱ですが、布施明は「霧の摩周湖」でそれをやります。本編・アンコールのラストは最近の定番「My Way」「Time To Say Good Bye」でしたが、歌い終わりとともに2列後ろの女子(多分20代)2人が「凄い!」「やばい!」と感情を爆発させていたのが印象的でした(彼女たちは「摩周湖」のノーマイクでも「嘘……」と声を漏らしてて。分かる~)。
 勇気を出してお誘いした職場職員室の大先輩にも楽しんで頂けたようで何より。先輩の終演後最初のご感想が「授業がしたくなった」だったのには流石! となりましたが……本当に僅かに、ほんの少しだけ、分かるような気もしたり。
 本日2度目の公演では前回聴けなかった「これが青春だ」を聴けましたし、バレンタインデー直前のステージでだけ聴けるという⑨も大ラッキーでしたが、今回も「積木の部屋」「そっとおやすみ」はお預け。来年の3回目では、きっと!

 コンサートが終わって会場を出たら小雨、男二人で月形半平太でもないでしょうが何も持たずに徒歩移動、魚町の人気店「炉端のくろ兵衛」を初訪問です。幹事は、お店で落ち合ってお久しぶりのご挨拶を交わしたHくん。
 烏賊の活き造りを見て直ぐさま良店と知り、男3人で思い思いの肴を注文。お二人はビール、私は乾杯ビールを直ぐに干して日本酒へ。多分、Hくんは私の日本酒好きを慮ってお店を選んでくれたのでしょうから、ビールは2軒目に回して日本酒リストの上から順番に。
 お寺さんというところには色々な情報が回ってくるんでしょうね、小学校時代の同級生の動向について、Hくんは無茶苦茶詳しい。また、T高校(Hくんを数学先生が教えた高校)でも同窓会幹事のお仕事を務めておられこっちのネットワークも強い。私相手にも数学先生相手にも、会話を回すのは主にHくんでした。

 翌日にお仕事を控えた数学先生とは1軒でお別れ(私は、ホテル泊で明日午前中は年休です)、Hくんと2人で小倉梯子酒へ。行こうと思っていた日本酒バー「H」の席が空くまで小一時間あるということで、先ずはHくんと私とのN小学校の同級生……とは言っても私と同級生氏とはお互いを覚えておらず……が店主をやっている立ち飲みバーへ。一軒目で結構飲み食いしたんですけれどもどうしても食べたくなった鰺フライ(いつの間にか福岡県のソウルフード的な立ち位置を狙ってますよね)、注文したらえらいこと美味しかったので1軒目でビールを控えてて良かった、と2本。
 最後は私が提案した商店街路地の日本酒バー「H」、正に3軒目用でフードの提供が一切無く、若い店主氏の日本酒蘊蓄を聞きながら提供されるまま日本酒を飲むという「だけ」の店。好き嫌いがはっきり分かれそうですが私はOK、日本酒好きで且つ普段は職業柄いつも人に向けて語りかけてばかりのHくんも楽しそう。独自の日本酒ルートを模索・構築しつつある(酒屋の実店舗が富野・小倉駅構内に2点)店主氏の野心とプライドとは相当なもので、「『とどろき酒店』にも『久山酒店』にも負けない!」と意気込んでおられました。皮肉嫌みではなく「いいね~」と。明日、帰る前に小倉駅の店舗に寄りましょう。

 歩いてホテルに戻って、健康睡眠。