ページを繰るように 我が来し方を思った

 2限と4限とに、昨日別の3クラスでやった漱石彼岸過迄』のセンター演習を2クラスで。放課後は、通常の土曜日と同じように、5・6限で東大理系特講、7・8限で京大特講。休校・定期テスト延期のために2度も土曜特講が流れてしまった(2学期以降に振替を考えなければなりません)ので久しぶりの印象。
 東大特講は97年の坂本多加雄天皇論』、解いた後に或る生徒が「天皇、出てこなかったね」と言いましたが、国立大学の入試国語でそんな地獄みたいな真似をするはずがありません。90年代半ばに発表された時は『象徴天皇制度と日本の来歴』というタイトルだった本、筆者亡き後2014年に文庫化される時にタイトルが改められました(元々の署名はサブタイトルの形になりました)。その中から、天皇の語を一度も使わず、個人の来し方と行く末とを現在の「来歴」語りで媒介させる営みの意義を短く述べた一説を本文として取り出し、見事な(そして難しい)問題に仕立て上げたのは超一流の仕事です。
 京大特講は金子光晴『報償を求めない心』、嘗ては新聞にも一流の文章が掲載されていたことの証明のような名文。京大の入試作問者は、その文章の末尾一節を敢えてそぎ落として(タイトルの意味が不明になることを厭わずに)、文章の精米歩合を更に高くしました。この文章、全集を除けば作品社の『日本の名随筆13 心』(遠藤周作編)でしか読めなかったのではないかと思いますが、数年前に中公文庫から『自由について 金子光晴老境随想』という選集が出されて気軽に読めるようになりました。老境エッセイは長寿時代に益々市場を広げている様子、金子光晴の文章の復刊は続きそうです(良いことだと思います)。

 自宅に戻って入浴の後であたりをつけて電話をする悪い先輩、果たして電話向こうの後輩数学先生は「今から学校を出て帰るところですけ/」「送って! ウチを経由して西鉄まで送って!」
 夜は小料理屋「U」、の後で西鉄構内の書店・スーパーマーケットを経由して帰宅。