フランスではメルシー 中国ではシェイシェイ

 7時入りして高3現代文の板書準備。今日はセンター01年の本試験評論、富永茂樹『都市の憂鬱』を扱います。近代の個人主義・資本主義を背景とした西欧世界の変化を象徴するものとして個人の日記を取り上げた面白い文章。筆者曰く、日記を書くというのは「病」なのだそうです。毎日毎日、四半世紀も日記を書き続けて、しかもそれを(プロでもないのに)ネットで公開までしているなんて人間の「病」は既に膏肓に、ってことでしょうかね。
 あと、どうでもいいですけど、黒板に「憂鬱」と書くときには、どうしても嘉門達夫(の、多分ショートソングのメドレー)を思い出してしまいます。小学生の時にアレで書き方を覚えた。「憂鬱のウツという字は木を書いて缶を書いてその横にまた木を書いて その下にワカンムリを書いて その下に米という字をナナメにしたヤツの左と右と下を囲みその下にカタカナのヒを書いて右にチョンチョンチョンと書くのよ~」という歌詞、今でも歌えます。

 高3の授業が1~5限、その後に授業演習の採点結果の集計を取り、時間割業務を行い、職員室に遊びに来た64回生Oくん(夜にサシ飲みの約束)と少し話をしてたらあっと言う間に終業。今夜の約束は「もりき」ですが、その前に一旦自宅に戻って入浴、掃除。18時過ぎにお店に着。Oくんは、職員室で様々な先生とお話しした後、スマホ頼りで15分歩いて店に到着したそうです。
 マスターには最初に刺し盛りだけ注文、その後は適当に、豆腐ステーキや馬肉ユッケやなど単品を。今、自衛隊さんが県外(高知だったかな←香川でした)から大挙K市駐屯地に滞在中だそうで、連日店が満席という状態なんだとか。今日も、カウンターが(我々を含めて)2名客3組、小上がりにも3名客。我々以外は全員自衛隊で、殆どが顔見知りだった様子。
 さて、Oくんは来年度の就職(コンサル)が決定済みの修士2年。現在は東大大学院で公共政策学を学んでいるそうですが、途中2年間のフランス留学や最近帰ってきたばかりの上海留学など海外経験も豊富。最初の北大、フランスで2大学、上海で1大学、最後の東大、と学生証が5枚も(!)あるのに吃驚しました。しかも、予備自衛官補でもあるということでマスターとも話が弾む。よく考えたら、F校に教育実習に来て社会科(公民)の教員免許も持ってるんでした。学生生活の充実っぷりたらないですね、話題無尽蔵。
 ただ、Oくんは日本酒好きだそうですが(1杯目から冷酒でした)、そんなに強くはないということ。多めのチェイサーを置いて、ゆっくりゆっくり。4尺グラス2杯で顔が赤くなり、3杯が限度かな、という感じ。帰る家も若干遠いということで、カウンターで3時間弱のお話の後、お名残惜しいですがタクシーを呼びました。最後には現在は鹿児島大隅半島で村おこしに携わっているということで、現地の芋焼酎(一升瓶)をお土産に頂いて、多謝。
 最後に一つ、失敗譚。720蔵を超えた常連にさえも新しい蔵を提示してくる「もりき」の(「久山酒店」の)底力は流石。セラーの中に「秋という名のもとに」というクソダサネーミングのついたラベルがあって、それが未踏破の蔵だったので飛びつきました。722蔵目・栃木「松の寿」(特別純米 秋という名のもとに)。で、「ダッサイ名前だよね~」って笑いながら飲んだ後で、明後日の午前中に栃木から届く新しい蔵の酒4本の中に同じラベルがあったことに思い至りました。何という偶然、何という迂闊! マスターは大笑い。

 私は、一日一食の夜を殆ど食べなかったので、帰ってから素麺を茹でました。レトルトのカレールーと、めんつゆを熱したやつとでカレー素麺。缶ビールを1本。
 健康睡眠。