スパゲティで勝負だ、丸井シェフとの決戦

 国語科恩師先生に関する伝説的エピソード。もうお辞めになった先生(名前は聞いていません)の大昔の話です。
 入試問題検討会の前日、というよりも夜が明けたら検討会というその当日の深夜、とある先生が恩師先生のご自宅を訪ねて来られ、どう呻吟を続けても問題のアイディアが出ないので代作を頼みたいという凄い(今では考えられない)お願いをなさったというのです。9時就寝3時起床の恩師先生ですから、その訪問で叩き起こされたという格好なのではないでしょうか。で、恩師先生は翌朝見事な問題を持って来られた、と。私が聞いたのはこういう話でした。

 これで「凄い作問能力!」と驚くのは早計だと思います。突貫工事で問題をお作りになったというのは考えづらい。恩師先生なら技術的には可能だとは拝察しますが、ことは入学試験、突貫の提出は礼儀としてあり得ず、練りに練った熟慮の果ての問題を出すというのが常識です。一晩の内に、数週間練りに練った問題を作り出すという形容矛盾が(精神と時の部屋でもあるまいし!)、しかし恩師先生には可能だったのだと想像します。というか、私でも可能です(練りに練った結果出来上がった問題の客観的な出来映えは雲泥でしょうけれども)。
 そりゃそうです、作り置きがあるんですもん。
 設問が完璧に出来上がっていたかどうかはともかく、本文のストックはあったはずです。そして、国語の問題を作ったことがある同業者なら全員が同意すると思いますが、本文が用意されているということは殆どの設問は完成しているということを意味します(「この本文は行けそう!」という思いは、核となる設問と、そこへ至る道筋の設問が降ってきた時に生じるものですが、これは今回の話とは別のところで)。ですから、既に温めていたネタがあったから、翌日だろうが数時間後だろうが練りに練った問題をはい、提出できますよ、って話です。
 何しろ、私がこの話を聞いたのは恩師先生ご自身からなのです。もしも先の話が突貫工事の作問能力を讃えるべき話なら、恩師先生がご自分の自慢話をなさいましたはい終わり、なんていう愚かしい(有り得ない)結論になります。それが有り得ない以上、上の話を恩師先生がなさったのは、そこから「普段から危機に備えて、かつ知的訓練と思って問題は作り置いておくべき」という結論を導けという私への教育だったと考えるのが自然です。
 就職して2、3年目の某日、印刷室でそれぞれの授業プリントを印刷しつつの(数分間の)世間話の中の出来事でしたが、その教え(私の一方的勘違いかも知れませんが、それでも良いのです)に従って作った問題は既に数十を超えています。殆ど全てが使うことなく没になりました。危機に備えた準備は、結果的には役に立たなかった、ということを喜ぶべきでしょう。

 だからね、お願いだから時間割係の私に、「午後もこんなに晴れなら、昨日わざわざ4時間短縮授業の時間割なんて作ってアホらしかったし無駄に学校が混乱したね~」という内容の声かけをしないで。
 という「思い出話がラスト一文で愚痴に」という嘉門達夫の「歌が変わるシリーズ」みたいなネタを、「もりき」でパスタ茹でてもらってる間に披露。見事なアルデンテになりました。